第六話 空気を読まない男

八月初旬、パラパラとボクシング雑誌のページを捲る。


巻頭を飾るのは相沢君、【天才ボクサーのこれから】と題した大きな見出し。


その次が御子柴選手の再度世界挑戦の話題なのだが、こういう所に世間の移り変わりの速さを感じてしまう。


あのメキシコでの一戦が様々な媒体で取り上げられると、こういう専門誌での扱いも当然変わるもの。


ちょっと前までなら、相沢君の話題が御子柴選手より前に来る事など絶対無かった筈だ。


これを見ても分かる通り、やはり世間は結果を重視する。


これから相沢君の興行は、国中どこで開催しても満員御礼になるだろう。


そして嬉しい事に、インタビューで何度か俺の名前を出してくれており、その恩恵がこちらにもある様だ。


捲っていくと真ん中より後ろ辺り、四ページも使い俺の事を取り上げてくれている。


因みにこの記事を書いたのは松本さん、ちょっと前に取材に来て色々と聞いて行ったのだ。


ここまで大きく扱われるのは珍しく、多少浮足立っているのは否めまい。


俺の次戦は既に決まっており、十月十日。


相手の国籍はフィリピンで、東洋三位のナサン・ガンポア選手。


以前は対戦相手を探すのにも一苦労と言った感じだったが、最近はそこまで苦慮する様子は見られない。


と言うのも、やはり劉選手から捥ぎ取った世界ランクの存在が大きいのだろう。


俺の持つ世界ランキングは二団体、WBA七位、WBC六位だ。


何となくだが、東洋タイトルよりこっちの方が餌としては良質な気さえする。


しかし現状、世界タイトルなどと言う大舞台に上がれる気配は欠片もない。


どちらかの団体で一位の座を獲得すれば、指名試合と言う形で実現する可能性もあるが、その見通しも少々厳しいだろう。


最近はそれを無視する王者もいるし、課される罰則も結構曖昧、つまり強制じゃないならやらないよと言う選手も多いとか。


それでも何とか交渉で持っていきたい所だろうが、その際ものを言うのは何と言っても金。


つまりうちの状況を鑑みれば声が掛かるのを待つよりないのだが、この辺りのランクを維持するのも俺にとってはそう楽ではない。


まあ、とにもかくにも今は課された課題をこなしていくしかないだろう。





「え?中央のテレビ番組に俺が…ですか?」


ある日ジムに向かうと、会長からそんな事を伝えられた。


「そうそう、ボクシングの特集で一時間番組をやるんだって。」


聞けば、御子柴選手のスポンサーでもある帝都テレビの番組。


収録は二週間後の日曜に行われるとの事で、色々なボクサーが呼ばれているらしい。


地元以外のこういう話は今まで断ってきたが、交友関係を広げる良い機会でもあるし、俺は二つ返事で快諾の旨を伝えた。





そして迎えた収録の日、会長の車で一路帝都へひとっ走り。


辿り着いたのは大きな自社ビル、収録はここの十何階かで行われる様だ。


中では何人か芸能人も見かけ、サインをもらおうかとも思ったが、どうやらそんな時間的猶予はないらしい。


途中の道で工事と事故、二つのイレギュラーが重なり大幅に遅れてしまったのだ。


現場に入ると、既に収録準備が整っており後は俺を待つのみと言う態勢。


二段造りとなっているひな段、そこに腰かける顔ぶれを見ると思わず緊張してしまう。


元世界王者に現世界王者、司会に一番近い場所に陣取るのはやはり御子柴選手で、その隣に座るのは時の人となった相沢君。


よくよく話題に上がる高橋選手はいない様だ。


スタッフさんにマイクを付けてもらい案内されると、後ろの段は埋まっており、前段丁度真ん中くらいに二人分程度の空きがある。


どちらでも良いと言われたので、俺はなるべく中心から離れた方へ着席。


そうして収録が始まるのだが、元世界王者たちはもう慣れたものと言った感じで、司会者からの質問によどみのない返答。


時折冗談を織り交ぜて場を沸かせる一幕も展開された。


俺はニコニコと微笑むだけの舞台装置、最初の紹介以来一言も発していない。


「御子柴君は二度目の正直、十二月に世界戦控えてるよね?自信のほどはどう?」


司会者に問い掛けられた御子柴選手は流石芸能人、つらつらと流れるような返答。


しかし、司会者のある一言で多少空気が変わった。


「御子柴君と言えばさ、そこに因縁の相手、遠宮選手がいるけどどう?再戦話とかは無いの?」


この番組、思った以上に突っ込んだことを聞いて来る。


問われた御子柴選手はどうなんだと言った感じに、にこやかな笑みを浮かべたまま俺を眺め見る。


だが明らかに目だけは笑っていない。


「…あ、あの…すみません…会長に聞いてみないと…分かりません。」


ぶっちゃけて言うなら、金次第だ。


億単位の金額を提示されたなら、俺は間違いなくやる。


その時スタッフさん達がざわざわし始め、何だと見やれば遅れていた最後のゲストが到着した様だ。


「ども~っ!ちっすぅ~っ!」


そんな声を響かせやってきたのは、アンファン・市ヶ谷選手。


ネクタイのないスーツ姿、小柄な体格だが肩回りは窮屈そうになるほど盛り上がっている。


そして開いている場所は俺の隣しかなく、俺の太ももをパチンと叩いて一声。


「どもっす。市ヶ谷です。よろしく。」


俺も苦笑い交じりで挨拶を返し、ちらりと視線を向ける。


何と言うか纏う空気が独特、場の雰囲気を一気に掻っ攫っていく感じの存在感だ。


インタビューなどにも慣れているのか、司会者から振られる度に場は笑い声に包まれる。


そして司会者が別の人と話している時には、我関せず話しかけてくるのだ。


「遠宮君ライト級なんでしょ?ランキングは?…WBA七位っ!?なら俺とやろうよっ!俺三位だからさっ!」


スタッフの後ろから眺めている会長もこれには苦笑い。


「…でさっ!勝った方が正規王者エルヴィン・コークとやるってのはどうっ!?こっちで話つけっからさっ!」


市ヶ谷選手は声が大きく、全員の視線が俺達に向いていることに気付いていない。


会長に視線を向けると、何と意外にも大きく二度頷いた。


「ほらっ!遠宮君とこの会長やっても良いってよっ!俺もいっすよねっ!?」


市ヶ谷選手が語り掛けた場所には長身で髭を蓄えた初老の白人男性、マネージャーか何かだろうか。


その男性は肩を竦め苦笑い、うちの会長と視線を交わし頷いている。


俺が周囲に視線を向けると、お祭り騒ぎが大好きな相沢君は親指を立てていた。


その隣に座る御子柴選手は、相変わらずの笑顔だがやっぱり目が笑っていない。


それもそうだろう、この場の主役は本来彼なのだから。


なのに、全部市ヶ谷選手に持っていかれてしまった。


冷たい視線の向く先は俺にも及んでおり、お前と関わると碌な事が無いと言っているかのよう。


その後も正に市ヶ谷ワールド全開と言った感じで、司会者の進行など関係なく荒らしまくって収録は終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る