第35話 いつかの憧れ

「青コーナー遠宮統一郎選手、陸中県出身20XX年12月デビュー。」


会場に選手紹介のアナウンスが流れていた。


厳密に言えば出身は違うのだが、別に突っ込む必要はないだろう。


そもそもそんな精神的余裕は無い。


「ダメージはどうだい?直接の被弾は無かったから問題なさそうだけどね。」


会長が俺の前にしゃがみ込み、問い掛けてくる。


その目は状態を確認するべく忙しなく動かされ、腕には氷嚢が当てられていた。


「はい。問題無いです。寧ろ相手の方がきつい筈ですから。」


最後のパンチは手応えがあった。


あれでダウンを取れていてもおかしくないと思うほどに。


今日はここまで、試合前の不安定さが嘘の様に落ち着いてやれている。


「この先だけど、相手が同じ様に来るなら今のままでも良いと思う。でもコーナーに詰められるのは流石に怖いから、それだけは気を付けて行こう。」


俺もそれには同意だ。


だが相手の得意な領分で打ち勝ったというのは、精神的にもかなり大きい。


打ち合いにさえ持ち込めば勝てるという考えを打ち砕いたのだから。


セコンドアウトがアナウンスされ俺が立ちあがると、牛山さんが慌ただしく椅子を下げる。


そして直ぐ後、第二ラウンドのゴングが鳴った。


どう出て来るかと思い相手を見やると、先程と変わらずだ。


これはセコンドの指示なのか独断でやっているのか、判断が難しい所。


だが向こうのコーナーから何も檄が飛んでいないのを見ると、納得済みという事なのだろう。


選手にしてもその表情に迷いは無く、その視線は鋭くこちらを捉えている。


「…シッ!」

(強がってもダメージはあるはずだ。)


動きを止めずジャブを打ちながら足を使い、ダメージを確認する。


「…!?」


すると相手は踏み込んでワンツーを放ってきたのだが、これが似つかわしくないくらい教科書通りで驚いてしまった。


(いや、当たり前だ。ここに立っているんだから、必死で練習してきたに決まっている。)


そのコンパクトな一撃でさえも自らの渾身を超える事実に多少の妬みは感じながら、それを表に出さぬよう努め相手の動きを注視する。


その視線の先では、更に止まらず左フックから右ストレート、更に左アッパーと前に突き進みながら放ってくる。


「シッシッシッ…」


しかし俺は冷静にジャブを突き距離を保ち、数cmを見極め躱していく。


ジャブが当たると相手の表情が僅かに歪み一瞬動きを止めるが、隙になる程では無く直ぐにまた振り回してきた。


(凄い耐久力だ…ジャブじゃ全然止まってくれない。)


右ストレートを回り込んで躱しこちらも強打で打ち抜こうとするが、野性的な勘が働くのかその時だけ一瞬打つのを止め視線だけをギロリと向けてくる。


その目からは、打つなら打ってみろという意思が感じられた。


ジャブとは違い、強打を打てば僅かとは言え動きを止めざるを得ない。


そこを狙い撃とうという魂胆だろう。


ジャブをもらい続けた相手は、だらだらと鼻血が流れ顎から滴っている。


しかしその表情に悲壮感は一切無く、寧ろ笑っているとも取れるほどぎらぎらとしていた。


その姿は、見る者にとっては不思議な魅力があるのかもしれない。


「はぁるぅとぉ~~っ!そいつビビってんぞ~~っ!!」


そしてこの独特の声援にも後押しされ、会場の空気がだんだん変っていくのを感じる。


「残り六十っ!」


牛山さんのドスの効いた声が、残り時間を告げる。


「追い掛けっこ見に来たんやないど~~っ!打ち合えや~~っこのヘタレぇぇっ!!」


第二ラウンドもあと少し、ポイントは恐らく優勢だが勝ってる気がしない。


気のせいだろうか、スタミナの消費も激しい気がする。


それでも何とかリードを保ったまま、ゴングを聞く事は出来た。


足取りが重い訳ではないが、何かが背に重く圧し掛かってくる。






「会場の声は気にする必要無いよ。会場を盛り上げたい認められたい選手の気持ちは分からない訳じゃないけどね。自分が得意な事、練習してきた事を精一杯出せば良い。罵声があるならそれは全て僕へのものだ。」


どうやら俺の雰囲気を察し、会長に気を使わせてしまった様だ。


そこまで言わせてしまった自分を恥じ迷いを断ち切るべく、ふっ!っと息を吐く。


そして第三ラウンドのゴングが鳴った。


対角線を見やると、先程と同じ様にノーガードで打ってこいと挑発してくる。


当然そんな挑発に乗るつもりは無いが、観客は盛り上がりを見せ始めていた。


ここまでのやり取りで、何となく相手選手の事が分かってきた気がする。


最初は相沢君に似ていると思ったが、感じていたのはそれだけではなかった。


第二ラウンドに放ったワンツーからも分かる様に、やろうと思えば器用な事もこなせるのだろう。


だが彼はそれをやってこない。


そこに何か信念があるのか、只の目立ちたがりなのかは分からない。


だが一つだけ確信したことがある。


激しい試合の中で、興味が無かったはずの観客までいつの間にか引き込まれ味方につける。


そんな選手を俺は良く知っていた。


『遠宮大二郎』俺が一番憧れた選手であり………父親だ。





間合いに入った相手を冷静に見極め、左を突く。


「シッ!」


パンッ!と乾いた音と共に顔面の中心を捉えた。


すると止まっていた鼻血がまたも噴出して来たようだ。


相手はそんな事構いもしないと言わんばかりに左を強振、続けて右を振り抜いてくる。


飽くまで冷静に、丁寧にジャブを突き、打ち合いには絶対応じてやらない。


「…はぁ………はぁっ…」


本当にタフな選手だ。


強打を与えられたのは第一ラウンドの一発だけとはいえ、これだけ左を浴びてふらつく素振りもない。


正直に言えば、男としてその姿をカッコいいと思ってしまう。


(だが、勝利だけは、これだけは譲れないし、譲らないっ!)


会場からは、相変わらず相手の応援団の罵声とも声援とも取れる声が響いている。


「お前漢やないんかっ!そんなやり方して恥ずかしないんかっ!打ち合わんかぁいっ!!」


言っている事は理解出来る。


正々堂々ガードを腰まで下げて、さあ打ち合おうと誘う相手に俺は逃げながら左を突くだけ。


(それの何が悪い…。俺は俺の、こいつはこいつの持ち味を出しているだけだっ。)


観客席からの声はどうとも思わないが、何故だろうか目の前の相手には少し苛ついてしまう。


(そんなに打ち合いがしたいんなら左を掻い潜って来れば良いっ。それが出来ないからこうなってるんだろっ!?)


心の中で少し毒を吐きながら、淡々と作業をこなす。


この選手を左だけで倒すのは無理だと理解しているが、俺の目的はKОすることではなく勝利する事だ。


相手は相も変わらずギラギラと瞳を輝かせ歩みを止めない。


だが、こちらも同じく一切動きを止める事はしない。


止めれば為すすべなく飲み込まれ、俺の積み重ねたもの等たった一発で全て崩れてしまうのだから。




四ラウンド程度なら動き続けても足が止まる様な鍛え方はしていないが、どうしても流れの中で捕まりそうになる場面は出てきてしまう。


正に今がその時であり、このまま行くとロープへ詰められるという危機感から一瞬だけ踏み込み、


「シィッ!!」


すれ違い様の一瞬、左アッパーで顎をかち上げる。


所謂ヒットアンドアウェーとは違い、ずっと下がり続けていた所を瞬間的に前に出る、これには相手も意表を突かれたようで良い形で入った。


再度自分の距離を確保した所で一息つくと、第三ラウンド終了のゴングが鳴る。







「うん。言うこと無しだよ。周りの声に惑わされずこのまま行こう。」


呼吸を整えながら頷き、うがいをする。


「…どうしてあんなやり方するんでしょうか?あれじゃ勝てないのに…。」


無意識に、自然とそんな言葉が口から漏れていた。


「そう思うかい?でもね、並の選手なら捕まってるよ。君は凄い選手と試合してるんだ。」


会長はそれだけ言うと、インターバル中ずっと足をマッサージしていた。


丁度呼吸が整ったのと同じくらいに、第四ラウンドの開始を告げるゴングが鳴り響く。


相手に視線を向けると、言わずもがな同じスタイルで距離を詰めてくる。


目に映るその顔は、俺の左を浴び続けて酷く腫れ上がっていた。


右目の瞼は腫れ上がり完全に視界を塞ぎ、白を基調としたトランクスは赤く染まっている。


それでもその足取りは確かなものだ。


最終ラウンドという事もあってか、激しいほどに前に突き進んでくるが、塞がった視界を利用し隠れる様に回り込み、丁寧に一発一発を打ち込んでいく。


「…ふぅ…シッ!………シィッ!」


だがこの男は、打たれたら必ず打ち返してくる。


その愚直な姿は、見る者を惹き付ける何かがあるのだろう。


その証拠に会場は大盛り上がりだ。


「シッシッシッシ………シィッフッ!」

(だからっ!それじゃっ!勝てないってっ!普通にっ!やれよっ!ボクシングっ!!)


自分でも不思議な程の苛立ちを抱えながら、死角に回り込み左を突く。


状況を考えれば余裕でもおかしくないのだが、相手は天性のパンチ力とよく分からない勘があり、死角にいても時々捉えられ引き摺り出される。


それでも徐々にだが大きなパンチも当たる様になってきており、流石にダメージを隠せなくなってきた様だ。


「頑張れ金髪っ!」「意地見せろぉっ!」


この絶望的な状態でも尚諦めず前に出続ける姿に、触発された観客も声援を送る。


それは波の様に他の観客にも伝播していき、会場は相手への声援一色に染まった。


(これ……どこかで………。)


この空気には覚えがあった。


会場全体が奇跡を期待する。


大どんでん返しを見たいと切望する。


(思い出した………あの時だ。)


父の引退試合の時、同じ空気が場を支配していた。


三度ダウンを奪われ、それでも前に出続ける父に会場中が声援を送っていた。


そして、奇跡は起こった。


今だからこそ分かる。


あの奇跡は、相手選手が父を受け止めてくれたからこそ起こり得た奇跡だったのだと。


そして俺には………彼を受け止められる程の器は無い。


(そうか。だから俺はこんなにも………。)


苛立ちの理由が分かると、逆に心が落ち着いてきた。


あの時あの瞬間、俺が父に期待したのと同じ事を、皆が『彼』に期待して、それを『俺』が潰す。


父の幻影は声援に後押しされ力強く踏み込んでくる。


余計な事を考えていたせいか、俺は後ろがロープである事に気付いていなかった。


(不味い…が、冷静に、冷静に…だ。)


一転攻勢の展開に、会場が涌く。


(悪いな…。それでも俺は負けられないんだ。)


ガードを固め受け止めると、未だ骨の芯まで響く様な力強さがあった。


初回よりも強くなったと錯覚させる程の強打を、三発、四発と、その思いを受け止める様にガードする。


「……シュッ!!」


そして五発目をガードした所で、死角からフックを滑り込ませ側頭部を叩く。


それでも打ち返してくるが、その一発は豪快な空振りとなった。


俺は打った瞬間に死角側から移動しており、そこには既に影すら無い。


会場中から溜息が漏れた気がした。


そして自分の距離を確保し、丁寧に、そして確実に、相手を弱らせていく。


残りは三十秒程だろう。


死角から死角へと移動し絶え間なく左を突くと、奇跡は起きる事無く、そのまま試合終了のゴングが響き渡った。






「お疲れ様。よく頑張ったね。」「坊主。良い試合だったぞ。」


コーナーに帰ると、二人同時に声を掛けてくれた。


俺は黙って頷き、大人しく採点結果を待つ。


「…以上、三対〇を持ちまして、勝者、青コーナー遠宮統一郎。」


採点結果を聞き、相手側のコーナーに駆け寄った。


「有り難うございました。」「こちらこそどうもね。」


気付かなかったが、相手側セコンドの内一人は女性だ。


しかもこちら側のセコンドは皆結構若く、まだ三十代前半にも見える。


会長もよくてそれより一回り上って所か。


もしかしたら、高橋選手がこのジムのプロ第一号なのかもしれない。


そう考えると何だか急に親近感が涌いてきた。


退場する時も眺めていると、彼は凄い声援を背に受けていた。


勝った俺にはまばらだったが、何故だろうか不思議と嫌な感じはしない。


ドクターチェックに向かう途中やはり彼とすれ違い、その時言葉は無かったが、俺が頭を下げると胸をトンっと軽く叩いてきた。


よくは分からなかったが、激励の意味が込められているのだろう。








帰りの車中、話題は向こうのジムの事になり、


「今日試合したネクストジムだけどね、会長さんが元暴走族の総長やってて、トレーナーの人が会長さんの後輩で元プロボクサーなんだって。」


試合後、俺達がドクターチェックしている間に少し話したらしい。


「ははっ、そりゃまた凄え濃いメンツだな。」


牛山さんがそう語るが、濃さで言ったら貴方も十分負けてないと思いますよ。


「やっぱりそういう背景だったんですね。そうでもなければ、あの髪型は…ないですもんね。」


俺の言葉には二人とも同感らしく、少し笑いながら頷いていた。


「あ、でも高橋君は別に暴走族じゃなくて、会長に憧れてるだけみたいだよ?」


何でもあの髪型は暴走族時代の会長を再現しているらしい。


憧れだけであそこまで出来るなら大したものだ。


あれだけ我が道を行く強さがあれば、きっと俺の様に迷う事も少ないだろう。


会長は続いて彼の選手としての評価を話し始める。


「統一郎君レベルのリードブローを打てないとかなり厳しい相手だね。恐ろしく勘も良かったし、ちょっとした予備動作で殆ど躱されると思うよ?」


確かに視界が塞がるまでは、ジャブ以外まるで当たらなかった。


俺が勝てたのは単純に相性の問題という事なんだろうか。


それすらもしっかりガードを上げ、基本的なボクシングをされればどうなっていたか分からない。


彼には個人的にも応援したい気持ちがあるし、これから頑張ってほしい所だ。







家に帰り着くと、叔父は丁度風呂から上がった所だった様だ。


「おお、帰ってたのかよ。随分綺麗な顔してんな。楽勝だったのか?」


「全然。ほら、腕なんか酷いもんだよ?」


そう、高橋選手のパンチを受けていた腕は青痣だらけになっており、その事実が威力を物語っている。


「凄えハードパンチャーだったんだな。一発でも貰ったらやばかったんじゃねえか?」


頷くと軽くシャワーを浴びて歯磨きを済ませ、寝室へと足を向けた。


『取り敢えず勝った。また判定。でも今回は満足。』


相沢君に簡単なメールを送った後、俺は泥の様に眠りに着くのだった。

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