第二十九話 序盤戦終了

「パンチありますね。」


「そっか。見た感じはそうでもないんだけどね、じゃあ次からもう少し足使おっか。リードブローからの流れには充分気を付けてね。」


頷きゴング直前に立ち上がる。


相手はまだ得意なコンビネーションを見せてきていない。


劉選手の得意技は、右のリードブローから派生する多彩なパンチ。


それで幻惑し、左右の強烈な一発を狙う姿が印象に残っている。


俺は頭の隅に警戒を置きながら駆け寄り、ゴング直後ポイント奪取に臨んだ。


「…シッシッシィッ!…シュッ…シッ…」


ジャブ二発から右、様子見の左をフックで返し、そのままもう一発左を伸ばす。


対し飛んでくるのはやはりボディストレート。


リードブロー代わりの右と言った感じ、低い体勢から俺の顔を見上げる様に覗き込み放ってくる。


(…嫌だな…この目。)


強く打ち下ろして迎え撃ちたい所だが、覗き込むその瞳が語る、やれるものならやってみろと。


(…狙ってるんだろうな。なら下から突き上げるか…。)


小さく放つ事を意識してアッパーのモーションに入る、すると、


「…っ!?」

(…右フックっ!?)


正直に言ってしまえば気付いていなかった。


俺の腹部まで伸びていた相手の右は、引き戻す事無くそのままぬるりと大きく弧を描いて死角から襲い掛かって来る。


「…チィッ!!」


慌て仰け反り、頬のあたりを軽く掠めただけで事なきを得たが、ひりつく熱さがその強打を物語っていた。


そしてギアを二段階ほど一気に上げ距離を取ると、もう一度仕切り直しを図る。


だが様子見は終わりだと言わんばかりに、相手もギアを上げ一気に距離を詰めてきた。


(凄いプレッシャー…だがこれは寧ろチャンスっ!)


相手の呼吸やタイミング、リズムが合えばカウンターも狙えるかもしれない。


そう思ったが、やはり事前情報通り一切大振りは無く、コツンコツンとノックに近い細かなパンチで牽制してくる。


実戦的には大きくて強いパンチが迫り来るよりも、こっちの方が厄介。


こうなってみると、最初に強打がある事を伝えてきた意味も分かる。


先ほどノックに例えたが、これはまさにそういう意味、大きなのを放り込みたいので開けてくださいと呼びかけているのだ。


「…シッシッ…シッシッシッシッ!」

(細かいパンチならこっちの領分だっ!なめんなよっ!)


向こうが本格的に開戦するつもりなら、こっちも引く道理はない。


これまでの様子見などではない、本気の左が相手の牽制を弾き、次を伸ばす暇も無いほど早く左の弾幕が襲いゆく。


(…どうだっ!!)


肌を弾く手応えが残り、あの冷たい目が一瞬…細く歪んだのを見逃さなかった。


他はともかく、これだけは自信をもって打ち出さなければならない。


たとえ相手がサウスポーだろうと、これだけは誰が相手でも負ける訳がないと信じるんだ。


逆にここを差し負ける様なら、俺には彼に届くものが何もなくなってしまう。


しかしそれは杞憂、相手は警戒を多分に含んだ空気を纏い、細かいステップで距離を取り始めた。


もう一度戦力評価をしようという事か。


「…シィッ!!」

(ゆっくりとした流れは大歓迎だ。その代わり、そっちのも見せてくれよっ!)


俺は大きく踏み込むと、敢えて右ストレートから入る。


向こうが見たいのは俺の左、そんな素直に見せてやる必要もない。


そこから続くコンビネーションで左フックを上下に二発打ち分け、冷静にガードされた所で第二ラウンド終了。





「…ふぅっ…」


この感覚をどう例えればいいのだろうか。


視線がずっと体に張り付いているみたいだと、そう例えれば分かりやすいかもしれない。


「良い感じだよ。左に凄く警戒心持ってるみたい。一つ一つ確実に、一気に決めようとは絶対にしない。コツコツ行こう。」


このまま判定に行ったと仮定して、以前の嫌な記憶が蘇るが、そこは考えても仕方ない所。


額に当てられるひんやりとした感触を十分に堪能してから、俺は第三ラウンドへ歩んでいく。


眼前に覗く瞳は何も変わっていない様にも見えるが、気のせいか少しだけ変化を感じた。


その証拠に、向こうから距離を詰め放ってきたのはジャブ、流れる様に右フック、左を伸ばせる体勢を保ったまま更に右のアッパー。


いずれも力の籠ったパンチではないが、的確に急所へと迫り淀みが無く切れもある。


その為、引くかガードで対応せざるを得ないのだが、打ち終わりも隙が無く反撃の糸口がつかめない。


(本性出してきたな…。)


正に本領発揮、今までの試合では殆ど見せなかった、フットワーク一体型のコンビネーション。


だがそれでも人間一人一人には必ず特有のリズムがある。


今は対応できなくとも、先を見据え漫然と受けに回るのは悪手だろう。


ギアを上げてきた相手に合わせ、俺も細かくステップを刻み常に動き、リング中央を回る不思議な展開が続いた。


「…シッ……シッ…」


ダッキングで躱しざま、低い体勢から下に伸ばし、打ち下ろしをスウェーで躱すと鼻先に牽制の右を伸ばす。


両者が右に左に弧を描きながら、足や視線、呼吸や肩、至る所でフェイントを交え穴を探り合っていた。


この立ち回りはここまでの試合では見せなかったもの。


その程度には俺の戦力評価は高いのかと、少し誇らしく感じたのは事実。


だがそれで気を緩める様な馬鹿な真似は当然しない。


(…ん?足を止めてきたか。)


コマの様に睨み合い回っていた二人だったが、片方が止まれば当然もう片方も止まる。


そこからは互いにフェイントのぶつけ合い。


分かりやすい仕草も多いが、向き合っている当人同士にしか分からない、僅かな動きも混じっている。


これは様子見のフェイントではなく、戦端が開かれてからの探り合いだ。


両者の視線がぶつかり合う中心に向かい、より濃密な何かが充満していくのを感じる。


「…フッ!」


右のフェイントから踏み込んで左フック。


これは直接側頭部を狙うのではなく、先ずはサウスポーの利点、近い距離に構えた右拳を狙う。


パシンッ!


狙い通り右を弾きガードをこじ開けると、強めに右ストレート。


これが当たるなどと言う甘い考えは持っておらず、本命はこれに対応し伸ばして来るカウンターの左を狙う事。


(…前にっ!?)


だが俺の予想に反し相手は臆する事無く前に踏み出すと、パンチを額で受け止め、左ストレートを上ではなくボディへ伸ばして来る。


こんな荒々しい対応をしてくるのは予想外、反応が少し遅れてしまった。


重いパンチがみぞおち付近に突き刺さり、俺は思わずバックステップ、距離を取る。


このまま追ってくるなら相手せざるを得ない状況だが、向こうは冷静。


(ポイントは取りましたよってとこか…やられてみると嫌な感じだな。)


ここ最近いつも俺がやってきたスタイル、相手側から見るとこんな感じか。


腹部に鈍痛が残ったまま睨み合い、そのまま第三ラウンドが終了、このラウンドは取られたかもしれない。


しかしスタミナという意味ではまだまだ余裕があり、本当の勝負はこれからだ。

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