第二十三話 初冬
控室から報道陣がいなくなり、俺はシャワーを浴びる為部屋を出る。
すると、控室前に所在無さげにうろつく一人の少女。
「お、亜香里。ちゃんと来れたんだね、偉いぞ。」
「こ、子供扱いやめてって…。もう。」
経験が無いので、どう愛でるのが正解なのか今一分からない。
「俺はこれからシャワー浴びてくるからさ。そこで待っててくれる。」
「そこでって…。この中で…?…いい、ここで待ってる。」
そのままにしていくと本当に立っていそうだったので、近くのベンチに座らせてからシャワーへ。
片付けも終わると、陣営と妹を引き連れ会場前へ向かう。
「坊主は電車だっけか。妹ちゃんと一緒によ。」
「あ、はい。もう自己紹介した?」
「…してない。」
「最近できた妹の亜香里です。この人は牛山さん。こんな顔だけどちゃんとした堅気の人だよ。」
失礼にも亜香里は少し驚いた表情を浮かべた。
よもや本当に向こうの世界の人間だと思っていた訳ではなかろうに。
それから陣営全員を紹介すると、ぼそりと自分でも自己紹介をしてくれた。
その姿に兄として、またも頭をくしゃくしゃ撫でてやりたい衝動に駆られるが、抑え解散。
叔父が車で送ろうかと言ってくれたが、亜香里は何となく電車の方が楽なのではないかと思い、叔父を先に帰らせた。
ここから駅までは徒歩で約二十分。
亜香里から話題を振ってくるのは考えづらいので、俺から何かないかと探るのだが、特にない。
そうして夜の道を、二人並んでとぼとぼ歩いていると、
「け、結構…傷あるんだね。」
向こうから歩み寄ってきてくれた事に気を良くし、俺も饒舌になる。
「そうなんだよ。いやぁ、今日の相手も強くてさ。もう少し粘られてたら逆転されてた可能性もあったかも。試合前は左が強いと……」
急に饒舌になった兄を、妹は呆然と眺める。
少し引かれているのかもしれないと気付き話を区切ると、ぼそりと呟いた。
「凄いね……。」
それはどういう感情から出た言葉なのだろうか。
表情は、ささやかな笑みを浮かべた切ないものだった。
ガタンガタンと響く路面電車の中、二人並んで座っている。
会話は無い。
カッコいい姿を見せたい、そんな思いから試合に呼んだが、何か不味い事をしてしまっただろうか。
家にいる時は普通に話せていたのに、今は距離感が掴めないでいた。
「亜香里は…どうだった?今日、試合見て。」
ジャブ、距離感を計るために打ち出す。
「あんなに沢山の人が集まるんだなって…思った。」
一発ではつかめないらしく、二発三発と打っていく事にした。
「うん。漸くね、あのくらいの会場を埋められるようになってきたよ………今日の夕飯どうする?」
こういう時、自分の話下手が恨めしくなる。
何か気の利いた一言、心が高揚するような言葉を紡げれば良いのだが。
問いかけには応えず、妹は俯きながら呟いた。
「統一郎は…凄いね。私とは全然違う…。」
何故だろうか、電車には沢山の人が乗っているのに、亜香里だけが一人隔離されているように見えた。
俺は何故かそれが悔しくて、寂しくて、思わず手を伸ばす。
「…な、なに……やめてって。」
言われてもやめず、クシャクシャと頭を撫でる。
「亜香里だって頑張ってるよ。何が辛いかなんて、人それぞれ違う。」
それからは会話も無いまま駅に着き、家路までを並んで歩く。
「もうすぐ十一月だな。少し肌寒くなってきた。寒くないか?」
「大丈夫。厚着してきたから。」
そして目についたラーメン屋で夕食を済ませてから帰宅した。
十一月初旬、相変わらず亜香里は学校には行けずじまいだが、それでも構わない。
自分でも何かを変えようと思っている節が見られる中、俺が何かを言えば更に追い詰めるだけだろう。
「洗濯物、畳んでおいたから。」
最近は掃除洗濯を自分の仕事として受け持ち、よくやってくれている。
食事は一番気を付けているのを知っている為、自分から手を出す事はしない。
それでも減量期間に入ったら、自分の食事は自分で用意すると言ってくれており、段々前向きになっているのが見て取れた。
そんな中、迫るチャンピオンカーニバルを思うと、俺の方が少しナーバスになってしまう。
取材などではさも自信ありといった表情を作るが、内心は諦めにも似た気持ちがある。
正直、どうやっても勝てるビジョンが浮かばない。
今まで強敵とは幾度となく当たってきたが、心は闘争心で満ちていた。
少なくとも、まだ減量にも入っていないこの時期からナーバスになるという経験は無い。
十一月三十日。
「あ、あの……これ。」
少し恥ずかしそうに亜香里が手渡してきたのは、毛糸の手袋。
「くれるの?……ありがと。でも何で?」
「今日……誕生日じゃん。統一郎の。」
忘れていた。
スマホを見れば、明日未さんからもお祝いのメッセージが届いている。
恥ずかしそうにしている妹からそれを受け取り手を通すと、指先に穴が開いていた。
「あ……ご、ごめんっ!」
こんなもの捨てると言いながら取り上げようとするが、そんな事はさせない。
どんなに不格好であろうとも、彼女が心を込めて作ってくれたものなのだから。
「そう言えば、亜香里の誕生日って、いつ?」
「えっと………十月一日………。」
もうとっくに過ぎ去っていた。
「まあいいや。誕生日じゃなきゃ贈り物しちゃ駄目って法はない。」
「べ、別にいいよ。お返し期待して渡したみたいじゃん………。」
そんな気持ちでくれたのではないと分かっている。
それでも、お返しがしたいと俺が思うのだから仕方ない。
そんな折、一通の電話が掛かってきた。
『…統一郎?』
母からだった。
『旦那から聞いたんだけど、あんたさ、何か凄いのと試合するんでしょ?』
「まあ…ね。」
『亜香里、邪魔なら無理やりにでも連れて帰るけど…どうする?』
妹がいなくなった生活を想像する。
素直に、嫌だと思った。
「一緒にいたい。助かってるから。ここにいてほしい。」
『そう……分かったわ。』
通話を切り、溜息をついてから気付く。
葵さんと別れたあの日、強くなると決意したのに、結局何か支えを求めている自分に。
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