第二十二話 意地
「…はぁ~~っ…はぁ~~っ…シッシッシィ!」
左、左、右。
右に合わせ、相手も大きく踏み込んでくる。
分かっていても、ガードは固く打ち込む隙間もない為、どうしようもない。
厳密にいえば、俺のパンチではどうしようもない。
一撃でボディを抉り卒倒させる様な強打があれば、それも違うのだろうが。
「シュウチュウ…シュウチュウヨ。」
間延びしたセコンドの声が響くがもう遅い。
雰囲気で分かる。
(こいつはもう俺を…脅威とみなしていない。)
その表情は自信満々。
前のラウンドは立て続けにポイントも取られている筈だ。
もう半分勝った気でいるのではないだろうか。
事実、この男は俺よりも強い。
だがそれは飽くまで、テレビゲームの様に数値化できればという話。
生憎これはゲームではない。
例え戦力で上回っていたとしても、ちょっとした事で引っ繰り返る…現実だ。
右のオーバーハンドに合わせ頭から胸部に飛び込む。
緩んだ空気を感じた。
ああまたかよ…と。
(…そう……まただよ。しがみ付くから…レフェリーが来るのを待ってろ。)
そう心の中で呟くが、腕を腰には回さない。
(…今っ!!)
勢いよく左腕を胸部に押し付ける。
相手は一瞬焦った様に態勢を整えるが、抗えず重心が揺れた。
(…ここは命懸けのリングだぞ?…ぼ~っとしてんじゃねえ…。)
俺は既に構えを取り終えていた。
腰をねじり、腕は力を溜める様に引き付ける。
そして左腕を引き付ける反動を利用し、
「……ヂィッ!!」
解き放った。
視界には捉えているだろう。
だが、後ろに傾いた重心では咄嗟の回避行動はとれない。
右のコークスクリューブロー。
ボクサーとしての本能が、首をよじり衝撃を逃がそうと試みる。
ズパァンッ!!
乾いた音が響く。
今度は俺が勝ったと思った、思ってしまった。
だが、相手は肩幅よりも大きくスタンスを取り、鬼の如き形相で耐えている。
(…う…嘘だろ…。)
肩までずしりと響く感触だった。
間違いなく俺のベストパンチ。
(ここで沈めるっ!!)
「…シッシッシッシッシッシッシッ……」
所詮意地で立っているだけだと己を鼓舞し、残る体力をこの一瞬に注ぎ込む。
だが、倒れない。
それ所か、力強い反撃を返してくる。
効いていない訳では決して無い筈だ。
「…っ!?」
視線は虚ろ、鼻からは夥しい出血、それでもなお心折れる事無く拳を握り打ち返してくる。
だが俺にだって意地がある。
ここは例えリスクを負ってでも仕留める場面。
「…っ!…シッシィ!…シュッ!…シッシッシッシッシッ!」
残り時間はあとどれくらいだろうか。
ストップを期待してレフェリーをちらりと見やる。
「…チッ!」
すると、まるでそれを咎める様に強烈な一撃。
ガードが間に合い事なきを得たが、緩んだ心に檄を入れ直した。
打った本人は自らの体を支える事が出来ず、ふらりとリングを彷徨う。
その時、拍子木の音が聞こえた。
(…ここまでやっても仕留められないのかよっ!)
逃がさない。
そんな意志を込め、追いかけラッシュを浴びせる。
だが、相手の大きなフックが鼻先を掠めたと同時、ゴングが鳴った。
会場を覆う大歓声とは裏腹に、俺の心は悔しさと情けなさで満たされていく。
「…はっ…はっ…はっ…はぁ…はぁ……」
「ゆっくり呼吸して。良いラウンドだったよ。」
一瞬会長の表情が歪んだのを見逃さなかった。
自分でも気づいていたのだが、またも右足のふくらはぎがビクビクと痙攣し始めていたのだ。
ここまで来ると、後は完全に攣るまで遅いか早いかの違い。
マッサージで多少遅らせる事は出来るが、焼け石に水だろう。
その時だった。
レフェリーがこちらに駆けよって来る。
(まさか…俺の状態を知って…)
そう勘ぐったが、どうやら違うらしい。
相手コーナーを見やると、
「…俺はっ…まだやれるっ…つってんだろっ!!」
「…ダメネ……コワレチャウヨ。」
セコンドが示した棄権の意志を、受け入れる事が出来ないのだろう。
だが、そう言っている最中にもふらつき、危険な雰囲気は否めない。
彼は只の一度も、あんな状態になってもなおクリンチはしてこなかった。
それが正しい選択であるのかどうか俺には分からないが、美学にも似た矜持を感じる。
視線の先では促されリングを去ろうとする外間選手。
俺は自分でも気づかないうちに駆け寄っていた。
「……強かったですっ!…またいつかっ!」
彼はチラリと視線を向けただけだったが、あの外国人トレーナーはこちらに駆けよってきて俺を抱きしめる。
「トオミヤ、グッドファイターネ。デビット、モットツヨクナルヨ~。」
「あ、はい。どうも。」
見る限りまだそこまでの信頼関係を築けてはいない様だが、それが出来上がった時、外間選手はまた別の姿を見せるのではないだろうか。
呆気に取られていると、レフェリーが俺の手を掲げ、KОタイムを告げるアナウンスが流れる。
「遠宮君、グローブ外すからこっちおいで。」
恒例のインタビューをするべくリングアナも既に控えており、後ろに並ぶ三人娘もどうしていいのか分からないといった表情。
及川さんがグローブを外し、牛山さんが腰にベルトを巻いてくれる。
何とかまた、戻ってきてくれたと実感した。
そして準備を終えると呼吸を整え中央へ。
「日本タイトル二度目の防衛おめでとうございます!」
「ありがとうございます…」
検診を終え控室に戻ると、前回よりも多い報道陣。
その理由は分かっている。
いくつかの質問に答えたのち、記者の一人がやはりその名前を口にした。
「次の防衛戦は、一ラウンドKО日本記録保持者の高橋選手ですが…」
この試合が終わるまでは敢えて気にしない様にしていたが、挑戦者決定戦を経る事無く彼が挑戦者に決まった。
二位以下の選手が全員辞退した為である。
「強敵ですが、万全を期して迎え撃ちたいと思います。」
俺が言えるのはそれだけ。
それ以外にはない。
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