第二十一話 勝つ為に

第四ラウンド、相も変わらずの展開。


一つ変わった事と言えば、狙いを上から下に切り替えて来た事か。


正直これを危惧していた感は否めない。


減量で満足とは言えないスタミナをあの強打で削られてしまえば、足が止まる。


残る手段は近い距離での打ち合いとなるが、一方的に負けない自信はあれど、勝つ自信があるかと問われれば微妙な所だ。


「…シッシッシッ!」


俺は距離を詰められる事を一層嫌がり、大きくリングを使いながら弾幕を張る。


相手のパンチが空を切る展開ではあるが、同時に失うものも多い展開。


結果、予定していたよりも早く息が上がり始めていた。


「…はっ…はっ……はぁ……」


そして拍子木の音が響く頃には、少しずつ足が鈍り始めたのも感じた。













「次のラウンド、少し休もうか。」


休むと言っても足を止めれば良い的だ。


どうしろというのだろうか。


「嫌かもしれないけど仕方ない。相手がリズムに乗り始めた所でクリンチしよう。」


俺の選手としての現状を鑑みてもなおそれを進めてくるという事は、自分が理解しているよりも苦しい状況なのだろう。


正直その手段はとりたくない。


つまらない試合を見せれば、この大きな会場は次から空席だらけになるかもしれない恐れがあるからだ。


そうなれば収益を回収できず、これからの興行にも大きな影響をきたすだろう。


自分だけではなく、これから同じジムから羽ばたこうという後輩たちにもその影響は出る筈だ。


だが、負けるより万倍ましなのもまた事実。


「…でも、只で転んじゃ駄目だよ?」


会長は足をマッサージしながら、少し含みのある笑みを浮かべた。


「離れるタイミングは君が決めるんだ。最悪減点されてもいい。そして離れ際……」


指示に頷き立ち上がる。


手応えを感じているのだろうか、眼前の敵からはギラギラと獣染みた闘争心を感じた。


ゴングが鳴ると同時、相手は駆ける様に踏み込んでくる。


その勢いに一瞬距離を取りたい衝動に駆られるが、


「…っ!……っ!!」


数発のパンチを交換し合い迎え撃つと、左右のフックを叩きつけてきた所で潜り込み、腰にしがみついた。


そして相手の呼吸に耳を澄ませる。


張りつめた気持ちが一瞬切れる瞬間。


誰にだってそれはある。


勿論一度ではそうはならない。


だが、繰り返せば…。


「…ブレイクっ!」


試合再開の合図を受け、左の弾幕を張る。


「…シッシッシッシッシッシッ!!」


俺にとっては大きくフットワークを使うよりも、左を続けざまに放つ方が楽だ。


相手は左の差し合いを完全に捨て、ガードの隙間から視線を覗かせている。


強い右を打ちたいが、それをすれば相打ち覚悟で踏み込んでくるだろう。


一発のパワーで完全に優っているからこそ取れる作戦。


本当に厄介だ。


そして激しいウィービングから、流れる様に大きなストライドで一気に距離を詰められる。


これが一番避けたい流れ。


鋭い視線が常に俺を捉え、一挙手一投足を見逃してくれない。


今度は俺がガードを固める番。


「…っ!…っ…っ!!」

(回転がさっきより早い…。)


上下にバシバシと横殴りに叩きつけてくるが、決して適当に打っている訳ではなさそうだ。


全てに意図を感じる。


ガードをずらす為の一撃、意識を誘導する為の一撃、少しリズムを変えて惑わす一撃。


歯を食いしばり、重心を下げ固定し只々耐え抜く。


気を抜けば取り返しのつかない一発をもらうだろう。


そして軌道を変えアッパーを放ってきた瞬間を見極め、首をひねり躱しながら再度腰にしがみつく。


見せたくない姿を晒している現実に、否応なく神経がすり減っていくのを感じた。


「…ブレイクっ!」


声が掛かると同時、勢いよく距離を取り弾幕を張る。


先ほどの一瞬、呼吸から僅かな緩みを確かに感じた。


だがこのラウンドはもう残り二十秒足らず。


大きな勝負に打って出るのは次に持ち越しとなるだろう。












「うん。良い感じだよ。」


表情が曇っているのを見て取ってか、会長は勇気づける様に語る。


「大丈夫。お客さんたちは君の勝利を見に来てるんだ。」


それならばいいが、クリンチばかりの試合でも喜んでくれるだろうか。


「…勝負のラウンドだ。カッコいいとこ見せておいで。」


後ろの二人からも緊張を感じる。


「…はい…カッコいいとこ…見せてきます。」


間もなくゴングが鳴る。


一度失敗すればもう次は無い。


こういう時に必要なのは、開き直りだ。


「…ふぅ~~~っ……」


大きく息を吐く。


何となく二階席を見上げるが、流石に暗くて妹の姿は拝めなかった。


ゴングが響き、第六ラウンドのリングへ進み出る。


その時、試合前に妹が言っていた言葉が思い出された。


『いいけど…帰れるの?負けたりとかしたら…あ…ご、ごめん。』


少し現実味を帯びてきてしまったが、最善を尽くす事しか俺には出来ない。


今までも、そしてこれからもだ。


「…チィッ!…っ!!」


悠長な事を考える暇など与えられず、相手は開始直後から猛然と襲い掛かってきた。


繰り返しているとクリンチも警戒され、タイミングを間違えれば狙い撃ちされる。


相手の勢いはとどまる事を知らず、腹を叩かれスタミナを削られ、同時に神経もすり減っていく。


(…今っ!!)


放ってきた左フックを絡め取りしがみ付く。


相手の表情を見やれば、またかとうんざりした雰囲気。


内心悔しさを抱えながらも、レフェリーが引き剥がしたあと油断なく態勢を整える。


(…次で……勝負だな…。)


こちらを射抜く相手の視線を睨み返すと、俺は鋭く左を伸ばし、神経を研ぎ澄ましていった。

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