第二十話 いつも通り

「…どう?」


一ラウンドが終わり、取り敢えずポイントという意味では優勢だと思いたい。


含んだ水を吐き出し、得た情報を伝えるべく口を開く。


「…強いのは右です。あれに気を取られて左をもらいそうになるんです。」


「なるほど…それは分からなかったな。それに…」


会長の視線を追うと、向こうの外国人トレーナーに行き着く。


金髪で年はまだそれほど行ってはいない様に見える。


今までの試合にもいただろうか、思い出せない。


「取り敢えず左回りでアウトボクシング…足踏まれないようにね…。」


セコンドアウトのコールに合わせ立ち上がると、頷きコーナーを後にする。


左回りというのは右フックを警戒しろという事だ。


眼前にはしっかりとガードを上げて踏み込む体勢の相手。


(ここまで完全に中間距離を捨てられると寧ろ潔いな。)


相手はリードブローも打たず、きっちりとこちらの引き手に合わせて踏み込んでくる。


「…シッシッシッシィ…!」


俺は下がりながら左三発から右。


あまり下がる姿は見せたくない現状だが、この相手と近距離で打ち合う気にはなれない。


そして厄介な事に、この男は全く止まらないのだ。


しっかりとガードを上げた体勢のまま、しつこくしつこく追い回してくる。


「…っ!……シッシィッ!」


右のボディブローを受け、打ち下ろす形でワンツーを返す。


相打ち覚悟で放ってくる左右のフックはバックステップで躱し、左を連打。


カウンターを狙うか迷ったが、回転が速く危険と判断した。


まだ第二ラウンド、勝負を賭ける段階にはない。


余程スタミナに自信があるのだろう。


相手は一時も動きを止める事無く、距離を詰めては鋭く強打を振りぬいてくる。


皮一枚でそれを見切り左を突きながら、こちらも強打を狙うという展開。


(……不味いな。このペースで動くと先に参るのは恐らく……)


先の試合でも経験した不安が募る。


そして足が異常を抱えれば、更に苦しい展開にならざるを得ない。


(どこかで……どこかで…見せなければ…)


見せるべきは、不用意に踏み込んだら痛い目に遭うぞという一発。


それはやはりコークスクリューブローしかありえないが、ここまで絶えず距離を詰められればそれは不可能。


(さて、どうしたものか…)


またも大きなストライドで踏み込んでくる相手を下から突き上げようとするも、ギラリとその瞳が覗く。


体勢を低く構えれば当然下から突き上げられるのも予測の範疇らしい、しっかり左のグローブで顎下をガード、続けざま右のオーバーハンドを被せてくる。


(この瞬間…右を叩きこめないかな。)


そう思いながら仰け反り、パンチを躱した所でゴングが鳴った。













「どうやら向こうはスタミナを消費させる作戦みたいだね。」


会長が告げるも、正直分かった所でどうしようもない。


ガードが固く、カウンターを狙いたいが危険も孕むからだ。


「リングを大きく使おう。あっちが大きく踏み込んでくるなら、こっちはそれ以上に大きく動こう。」


スタミナの消費も激しそうだが、今のまま纏わり付かれれば事故が怖い。


「大丈夫。君の足はそう簡単に止まったりはしないよ。」


会長のマッサージのお陰か、幾分か軽く感じる。


立ち上がり対角線に視線を向けると、向こうには余り疲労の色は見えない。


ゴングが響くと同時、俺は素早く距離を詰めるとワンツーを叩きつけた。


「…フッ!シィッ!」


更にサイドステップから、


「…シッシッシィッ!」


細かく左、右、左、そしてバックステップしたのち、リングを大きく弧を描き使う。


相手は必ず俺の引き手、若しくは打ち終わりを狙ってくる。


ならば下がった俺を追う様に伸ばしたパンチを狙う。


少々疲れるが、繰り返していればそんな一瞬も必ず訪れる筈だ。


案の定、第三ラウンドが一分も過ぎた頃、少しずつ追いすがる様な体勢で打つ様になってきた。


「チイサク!チイサク!」


向こうのセコンドからだろうか、聞こえる声は場に似つかわしくないほど明るい。


声が聞こえたか、頭に血が上り始めていた相手が、大きく息を吐き構え直す。


内心、舌打ちをしてしまった。


もう少しで強烈な一発を叩きこめそうだったのにと。


そして仕切り直しと言わんばかりにその場でステップを刻むと、体をゆすり始める。


「シッシッシッシッシッシ…」


そうはさせまいと、踏み込み速射砲を浴びせまくった。


その中の数発が鼻頭を捉え、赤い一筋が日焼けした肌を伝う。


想定以上の痛みが走ったか、相手は表情が歪み体勢不十分のまま反撃に移ろうとしているのが見て取れた。


(……この一発…狙えるっ!!)


そう思ったのだが、


「ダイジョ~ブ。ダイジョ~ブヨ。」


またあの間延びした明るい声が聞こえ、相手は一旦下がるとガードを上げ体勢を整える。


(駄目だ…イラつくな…焦るな。飽くまで冷静に…冷静にだ…。)


向こうが態勢を整える間、俺も一呼吸置きリズムを刻む。


何と言うか、非常にやりにくい。


ペースを掴めそうになっては、また振り出しに戻される展開。


拍子木の音が聞こえ踏み込みを警戒したが、そのまま睨み合う形でゴングが響いた。












「良いタイミングで声だすねあの人…。」


会長も同じ事を考えていたらしく、苦笑いを浮かべている。


ず~っと何かを言っている訳では無く、ここで流れが傾きそうだという一瞬だけ声を出すのだ。


それも少々戦意を削がれる声色。


世の中には色々な人がいるものだなぁと、つくづく思う。


「スタミナはどう?」


「…今の所まだまだ余裕あります。」


「…足は?」


「少し張ってきた感はありますかね…でも多分大丈夫です。」


今も会長がマッサージをしてくれている。


以前本業に習いに行った事もあるらしく、見事なほど筋が解れていくのが感じられた。


「大丈夫そうなら、今のまま大きく使って立ち回ろう。少しタフな展開になりそうだ。冷静に。気持ち強くね。」


「はい。」


俺が立ちあがると同時、向こうも立ち上がる。


(やっぱり世の中簡単には行かないか…。でもまあ、今までもそうだったし、いつも通りかな。)


程よい緊張感と闘争心を胸に、第四ラウンドのリングへ進み出た。

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