第十二話 彼女の後悔
「私のお母さんね、とても綺麗で、優しくて、凄くカッコいいの。」
誇らしげな表情だった。
「私の自慢。大好きなお母さん。そして、私が傷つけちゃった人…。」
そう語った後、俺の胸に顔をうずめ何かを堪える様にしていた。
そんな姿を見て、自分は酷く残酷な事をしているのではないかという罪悪感が沸き上がる。
話さなくていいと意思を込め頭を撫でると、彼女は少し微笑み続きを語った。
「中学三年の夏休み明けだったかな、その日ね、登校したらクラスの男子にある事を言われたの。」
先ほどとは違い淡々と語っていく。
「DVDを持ってきてね、これお前の母ちゃんだろって。」
それは成人男子なら、誰もがお世話になるものだったらしい。
そのあまりに無遠慮且つ、礼儀の知らないその男に殺意を覚えた。
顔が平らになるまでジャブを打ち込んでやりたいとさえ思う。
そんな憤りを抱えた俺を尻目に、彼女は淡々と話を続けた。
「自分で言うのもなんだけど、私真面目っ子だったからね。もうショックでショックで、頭の中が真っ白になっちゃったよ。」
それはそうだろう、中学生と言えば特に多感な時期だ。
その時期にそんな事を知ってしまったら、それは荒れるだろう。
「まあ、苛めとかになったわけじゃなかったけど、私を良く思ってなかった女子もいたみたいで、噂があっという間に広まったんだよね。」
俺はあまり人の悪意に触れた経験が無い為、そういう感情に対しての恐怖感というのが今一分かっていない節がある。
だが、それに触れてきた彼女にとっては思い出すだけでもきついだろう。
何でもない事の様に語っているが、その辛さは俺には想像する事すら出来ない。
憧れが一気に崩れ去っていく気持ちは、自分に例えるなら、父が八百長試合をやっていた様なものだろうか。
いや、彼女のはそれよりきつい気がする。
「ひそひそこっちを見て話す生徒がたくさんいてさ、男子なんかは皆いやらしい目で見て来るし、ちょっときつかったかな。」
俺は何故、こんなに辛い事を大好きな人の口から語らせているのだろうか。
踏み込むべきではなかったのかもしれない。
そう思った。
もういいと、頭を抱き抱え押さえつける。
しかし彼女は、俺の体を這う様にして頬に口付けをした後、更に語り続けた。
「私が怒りの矛先を向けたのはお母さん。」
それは当然の事だ。
まだ子供なのだから。
一番向けやすい所に怒りの矛先を向けてしまうのだろう。
「一郎君には知られたくないくらい酷い事を沢山言ったよ。顔を合わせる度に何度も何度も。」
声には震えが混じっていた。
その時の情景を思い出しているのだろうか。
「お母さんは何度も何度も私に謝ったよ。それなのにっ!」
感情を抑えきれないとばかりに、歯を食いしばりながら語る。
「お母さんね…。心を病んじゃって外に出られなくなっちゃった…。」
彼女の目からは、もう耐える事も出来ずぼろぼろと涙が零れ始めていた。
「ずっと優しかったのにっ!いいお母さんだったのにっ!それを知らない人たちの言葉で、私が全部否定しちゃったっ!」
その後も、彼女は所々言葉に詰まり泣きながら話を続けた。
父親と話し合い、その実家があるこちらにやってきた事。
その父親は全てを知った上で結婚した事。
そして離れて暮らしてから気付いたのだと言う。
自分は最低な人間だと。
「最近は少しづつ外に出られるようになったみたいだけど、まだまだ不安定なんだって。頑張ってるんだって。お母さん。」
だから、大好きだった、いや大好きなお母さんが治るまでは幸せになれない。
だから福祉学を学び、あちらに帰り尽くすんだと。
そう語った。
ここで、母親は子供の幸せを願っているんだから、などと寝ぼけた事を言ってしまえば最高に自己中な奴になってしまう。
これは心のけじめの問題なのだという事が、まるで分かっていないのだから。
「昔の事だからって、いまは変わったからって、そう言っても吐いた言葉は飲めないし、傷付けた事実も変わらない。」
全てを語り終え、彼女はふぅ~っと一息つきこちらに視線を向ける。
いつもと変わらぬ笑顔がそこにはあった。
互いが何も語らず少しの沈黙が支配した後、彼女はこちらを覗き込みニヤニヤとした表情を浮かべ口を開く。
「一郎君は好きだって言ってくれるけどさ、あの神社の娘を目の前にしてもそれ言える?まあ、私としても勝てないなって思ったから、こうやっていない時を見計らって、ね?」
まるで子供が悪戯した後の様な表情。
「話はこれで終わり。夕飯作ろっか。何食べたい?」
彼女はそれまでの重い空気など無かったかのように爽やかな笑みを浮かべ、エプロンのみを纏い台所へと向かう。
何故、人は一人の異性しか愛してはいけないのだろうか。
簡単な事だ。
法律がそうなっているから、という問題だ。
厳密にいえば婚姻が認められていないだけであるが、それが全てという側面もある。
誰もが世の中で認められた関係になりたいと思うのだから。
そんな事を考えながら、何とも言えない気持ちのまま、俺はただその後姿を眺めていた。
「一郎君、誕生日プレゼント何にしようか?」
彼女からは日々沢山のものをもらっている。
だから必要ないと、これから作る手料理で十分と返しておいた。
翌日、ジムにはスポンサーである斎藤酒造からお酒が送られてきており、帰宅後叔父に見せると、
「こりゃお前…一本で5万くらいする高級清酒じゃねえか!」
そんなに高いものだったとはつゆ知らず、思わず両手で抱え直す。
そう言われてみれば金色の箱に入っていていかにも高そうだ。
これは後で直接お礼を伝えるべきだろう。
「叔父さん、せっかくだし一緒に飲もうよ。」
そう言って二人で向き合い一献。
「くぅ~~、たまんねえなっ。旨い酒だぜ、こりゃ。」
気分だけ味わえればいいと思っていたが、これが思いのほか飲みやすい。
所謂辛口のお酒ではなく、どっちかと言えば甘口寄り。
恐らく酒に慣れていない俺に合わせたチョイスをしてくれたのだろう。
とは言ってもそれなりの度数はある為、直ぐに頭がぐるぐると回るような感覚に襲われた。
「お、俺はこれくらいにしておくよ。後は叔父さんが楽しんでよ。」
フラフラと立ち上がると、自室へ向かい歩いていく。
「はははっ、またお前には早かったな。じゃ、遠慮なくもらっておくぞ。」
飲める年齢になったとはいえ、これにはまだまだ慣れが必要なようだった。
葵さんと軽いチューハイくらいから入るのが良いかもしれない。
そう考えながら、回る世界を感じつつ眠りについた。
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