第十一話 冬の始まり

十一月中旬、ジムにて。


「統一郎君、タイトルマッチなんだけど、多分三月初めくらいになると思うから。」


チャンピオンカーニバルの日程は大体一月頃に発表されるのが常だ。


それでも、微調整と言うか、細かな日程の話し合いは今から進めていくらしい。


今回は相手が特別という事もあり少々大変そうだが。


王者側の都合、特にテレビ局の都合などが関わってくるのだろう。


有名人も中々大変だ。


「会場は今までと同じ場所でやる事になるね。」


そう言われふと疑問に思う。


あれほどの人気を誇るのであれば、もっと大きな会場でも埋められるはずなのにどうしてと。


「随分あの小さな会場に拘るんだな。もっとでかいとこでやりゃいいのに。」


俺の疑問を察したかのように牛山さんが口を開く。


「その辺の事はよく分かりませんけど、今でも十分な益が出てると思いますよ?」


広告収入にグッズ販売、視聴率もボクシングという枠で見れば異例なほどだ。


「でも、僕もそう思いますけどね。もっと大きな会場でやればあんな事にもならないのに…。」


会長が言うあんな事とは、チケットの転売屋の事だ。


御子柴裕也の試合には、必ずと言っていいほど転売屋が多数現れる。


ネットオークションに賭けられ、ファンの女性が競って信じられないほどの金額になるのだ。


熱狂的なファンの間では、出せる金額が一つのステータスというか格の様なものにもなるらしい。


自分はこんなにも彼に尽くせると、お前らにわかとは違うのだと。


赤コーナー側の最前列は数が限られるので、特にそれは顕著だと言う。


自分には全く想像できない世界だ。


「ありゃ凄かったな。俺もちらっと見ただけだが、二、三十倍くらいにはなってたぞ。」


どんな人達がどんな表情で競っているのかを考えるとぞっとする。


「坊主が勝ったら刺されるんじゃねえか?」


冗談めかして言っているが、洒落になっていない。


「流石にそれは…ない…と信じたいですね。」


そうは言っても、今の段階では捕らぬ狸の皮算用でしかない。


そんな心配が出来る程度には、自分を高めていかなくてはならないだろう。


そんな決意を新たに固めると、ミット打ちのためリングに上がり、いつもの通り軽快な音を響かせ叩いていく。


「そう。相手の決めに来た右を狙い、こちらも右を被せる。」


指示に倣い、会長の伸ばした右の内側から払いのける様にして被せる。


「動きは止めないで流れる様に。そこから…。」


ズパァン!っと、それまでの軽快な音とは一味違う炸裂音がこだました。


サウスポーにスイッチしてからの、左のコークスクリューブローだ。


「まだ多少のぎこちなさがあるね。実戦で使うにはもう少し煮詰める必要があるかな。」


これを実戦で放ったのは、意識が朦朧としていた備前選手との一戦のみ。


だが、次の試合までにこれを実践で使えるレベルまで仕上げなければならない。


あの御子柴裕也がそう簡単にコークスクリューブローなどという大きなパンチをもらってくれるとは思えない。


そうなると、こちらには一切の決め手がなくなってしまうのだ。


地力で相手に分がある現状を分かっている上にそれではきつい。


今までの試合を見る限り、あの選手も最後は右で決める確率が高い事が伺えた。


追い詰められた時、頼れる武器があるのとないのでは雲泥の差。


そして、このコンビネーションの優れている所は、流れの中で相手の体勢を崩せるといった点にある。


体勢を崩してしまえば、あの王者と言えどもそう簡単には捌けないはず。


(だが、一発勝負になった時点で勝ち目は薄い。やはり一番重要なのは地力を鍛えることだな。)


「ラスト三十!顎を上げない!本番はもっと苦しいよ!」


会長の檄を聞きながら、頭の中であの男をKOする姿を思い浮かべた。








十一月も終わりに差し掛かり、もういつ雪が降ってもおかしくない気温になった。


そんな日曜日、毎度のことながら葵さんの部屋にお邪魔している。


ベッド横の棚には、依然送った猫のぬいぐるみが二人を眺める様に鎮座していた。


「はぁはぁ、ぁっ…んぅ…。」


外と室内の気温差を表す様に、窓ガラスに張り付いた結露がつぅーっと滴り落ちる。


「…体入れ替えよっか?んぅ…ぁっ…ふふっ。」


ここ最近は、ほぼ毎週彼女とこうして温め合っていた。


こうやって過ごせる時間が終わりに近づいているのを実感しているからだろうか、自分の彼女への執着を感じてしまう。


以前、今の通っている学校を出たら地元に帰ると言っていた。


その事を思い返す度、胸が締め付けられる様な気持ちになるのだ。


どうして自分と一緒にいたいと思ってはくれないのかと。


俺は、彼女を間違いなく愛しいと思っている。


だからこそ、踏み込みたいと思った。


その心の奥底に抱えているものが何なのかを。









行為が一段落して軽く唇を重ねた後、息を整えながら抱き合っていた。


室内に音はなく、余韻を噛みしめる様にその静寂を受け入れる。


そして、彼女の頭を撫でながら静かに口を開いた。


「俺は葵さんのこと好きだよ。」


結構覚悟を決めて言葉にしたのだが、彼女からは動揺した様子が見受けられない。


「うん。知ってる。私も好きだよ。でも、その先の事は…ね?」


これが分からない。


互いが思い合っているのなら、それでいいじゃないかと少しムッとしてしまう。


「どうして?俺は葵さんが好き。葵さんも俺が好き。それ以外何が必要なの?」


いつもならここまで踏み込んでは行かないからか、これには少し驚いた雰囲気が滲み出ていた。


そして少し考えるようにした後、彼女が口を開く。


「…けじめをつけてないから…かな。」


もしかしたら昔の男関係かと思い、少し胸がざわざわしてしまう。


面白くないといった俺の表情を汲み取り、少し可笑しそうに笑みを浮かべた後、彼女は話を続けた。


「驚きの新事実知りたい?」


知りたいかと言われれば、それは知りたいに決まっている。


なので、勿体付けるなと催促するように視線で促した。


「うふふ、実はね、私…一郎君以外とSEXしたことないんだな~。あはは…。」


経験が少ないだろうなとは思っていたが、まさか全然なかったとは思っておらず、少し意外そうな表情見つめてしまう。


「私も血が出なかったのは意外だったな。中学時代結構スポーツやってたから、そのせいかもしれないね。」


でも痛かったんだよと、彼女は可愛らしく笑った。


「けじめっていうのはね、私がある大事な人をとても深く傷つけたっていう話。」


そう語る彼女は、とても辛そうな、そして寂しそうな顔をしていた。


続きを聞きたいと視線で促す。


すると、彼女は仕方ないなと苦笑いを浮かべ話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る