第十話 秋の終わり

「いやぁ~やっぱり凄かったですね、御子柴選手。あんな相手とやる遠宮さんに弾みをつけるためにも、自分も負けられませんよ。」


試合を目前に控えた佐藤さんは頬が少しこけているが、それでも幾分かの余裕を残した表情で語る。


「多分うちのジムで一番安定してそうなのって佐藤さんですから、恐らく大丈夫ですよ。」


佐藤さんは技術は勿論の事、良い意味での狡さも兼ね備えているので、そう簡単に負ける事は無いだろう。


試合巧者とも言う。


「確かにな。坊主は結構不安定っつうか、ポカやらかすイメージあるもんな。」


後ろで聞いていた牛山さんが余計な一言を付け加えてくる。


「そ、それでも最終的には何とかするでしょうがっ。勝てば官軍ですよっ。」


動揺して言い返す俺をニヤニヤと眺めながら更に口を開く。


「そんなんで勝てんのかねぇ~、あの御子柴裕也によ。」


それを言われるとぐうの音も出ない。


あの相手に一回ペースを握られたら、二度と取り戻せない気がする。


「確かに厳しいね。御子柴君は相手の隙を突くという事に関して、天性のものを持ってるよ。」


明君の練習も終わったらしく、会長も会話に混ざる。


隙を突く、という言葉には色々な意味がありそうだ。


「フェイントが上手いって事ですか?」


もしかしたら弱点に繋がる情報があるかもしれないと思い、会長に問い掛ける。


「それもあるけどね、あれは多分…相手の呼吸を読んでるのかな?」


会長にもはっきりとした事は分かっていないようだ。


まあ、分かった所で対処しようがあるとも思えないのだが。


話しながら視線を横に向けると、明君が一人黙々と筋トレをしていた。


最近思うのだが、この子は非常にストイックな所がある。


こうして、ただひたすらに自分をいじめる作業に没頭出来るのは、ボクサーとしては非常に大きな才能だ。


声を掛けようかとも思ったが、邪魔をするべきではないと思い視線を戻した。


「あ、そういえばフィットネスジムの方はどうなってるんですか?」


こちらの方には全く人が寄り付かないので、もしかしたら向こうも閑古鳥が鳴いているのではないだろうか。


「あっちは結構順調だよ。会員登録者ももう四十人近くになったみたいだし。任せられる人がいればもう一か所くらいテナント借りてもいいかもしれないね。」


この田舎でもそんなに人が集まるのかと少し意外だった。


「それにしてはこっちには誰も来ませんね。遠宮さんも今ではかなり知名度あるはずなのに。」


自分で言うのは何だが、ここ地元ではかなりの有名人であるはずだ。


それでも誰も寄り付かないのには、何か特別な原因があるのかもしれない。


「そりゃ仕方ねえだろ。考えてもみろ。ちょっと興味がある程度で来ようと思うか?ここによ。」


そう言われ考えてみた。


在籍しているのは全員プロボクサー。


所謂ガチ勢である。


少し興味がある程度なら向こうのフィットネスでも教えてくれるだろう。


寧ろ、設備面などを考えると向こうの方が良いまである。


「思わない…ですね。確かに。」


逆に考えれば、それでも扉を叩くならそれは本気という意味だ。


その時を待つ事としよう。













十月十七日、時刻は午前七時頃、佐藤さんが前日計量へ向かうのでジムまで見送りに来た。


高速を使えばそこまでの距離ではないが、少しでも負担を減らすため今日は向こうに泊まるらしい。


「佐藤さん、頑張ってきてください。後、相沢君に宜しくお願いします。」


向こうにもそう伝えてあるので、会えばあっちから挨拶に来てくれる筈だ。


「はい、必ずとまでは言えませんけど、出来れば勝ってきます。」


言葉とは裏腹にその表情からは自信が見て取れる。


(これなら心配なさそうだな。)


視線を車の方へ向けると、三人がせっせと準備を進めていた。


「及川さんも、朝早くからご苦労様です。」


丁度荷物を詰め終えた所で声を掛ける。


「うん。遠宮君も誰も見てないからってサボっちゃだめだよ?ふふっ。」


爽やかな笑みを投げかけられ、こちらからも元気良く返すと走り出した車を見送り、俺も仕事へ向かった。









翌日の練習、昨日もそうだったがジムにいるのは必然的に二人だけ、俺と明君だけである。


アップテンポの音楽を流しながら、ただひたすらに各々のメニューをこなす。


そんな中ふと思う、俺でもミット打ちくらいなら出来るのではと。


思いついたが吉日と早速リングへ上がり、少し不安気な明君にグローブを嵌めた後、俺もミットを嵌める。


「さあ来い!」


まずはジャブ、そしてワンツーからボディ、さらにアッパー。


しかし、どうにも音が安定しない。


良い音が響いたと思ったら、当たり損ないの様な音が鳴る。


これでは打っている側も良い気分ではないだろう。


それでもやっている内に、どういう風に当てれば良い音が鳴るのかが分かってきた。


「よし!ラスト三十、連打行ってみようか!」


会長の真似をして檄を入れながらやってみる。


最初はともかく、最後の方はそれなりに上手くこなせたのではないだろうか。


「あ、有難う御座いました。はぁはぁっ。」


「うん、最初の方、上手く出来なくてゴメンね。でも、最後の方結構良くなかった?」


「あ、はい。凄く気持ち良い音鳴ってて、良い感じでした。」








そして練習も終わり掃除をしていると、表に車が止まる音。


「お~し、やってるか?坊主サボってねえだろうな?」


荷物を抱えながら、牛山さんが入ってきた。


その顔を見れば、おのずと結果も想像出来るというもの。


続いて会長と及川さん、そして殆ど傷の無い顔の佐藤さんがやってくる。


「聞かなくても分かりますけど、結果どうだったんですか?」


答えは分かり切っていたが、直接聞けばそれでも安心するものだ。


「終始危なげなかったよ。全ラウンド満点に近い出来だね。」


聞けば、KOこそ出来なかったが、相手の良い所を完封した上でフルマークの判定勝ちを収めたとの事。


こうして我がジムの連勝記録は順調に伸び続けるのだった。

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