第十三話 年末の過ごし方
「イケメン君との試合決まった?」
季節は冬、十二月二十七日。
今年も終わりに差し掛かった日曜日、俺が買ってきたボクシング雑誌に目を通していると彼女が問うてきた。
頭部は胡坐をかく俺の股の所にあり、下から見上げるいつもの定位置だ。
「うん、決まったよ。三月の一日だって。」
日取りが決まってから、テレビやボクシング雑誌の取材が多くなった気がしていた。
特にテレビ方面は地元だけではなく、向こうのスポンサーでもある中央のテレビ局からも取材に訪れてくる。
何でも、遅い時間に放送するスポーツ番組で俺の事も紹介してくれるのだとか。
大体いつもはその時間もう寝てしまっている為、視聴した事は殆どないが、その放送回は叔父辺りが録画する筈なので後で見ようと思っていた。
「でも、まだそれには載ってないんだね。」
彼女は俺が手に持った雑誌を指差す。
「そりゃそうだよ。決まったのつい最近だし。載るのは来月号だと思うよ?」
日本王者『御子柴裕也』との試合は、一部地域を除いた全国放送だ。
勝つ事が出来れば一気に名を上げるチャンスとなるだろう。
しかし、言うほど簡単ではないのも分かり切っている。
この男に対しての対策は会長も研究を重ねているようだが、実に芳しくない。
はっきり言えば、全ての距離において隙がなく、ここを責めればという穴が見つからないのだ。
会長曰く『国内レベルで当たりたくない選手ではあるね。』との事。
勿論、会長も俺も勝ち目がないなどとは思ってはいない。
「…お~い、一郎く~ん、帰っておいで~。」
下から間延びしたような声を掛けられ、考え込んでいた自分に気付く。
「あ、ごめん。ちょっとぼ~っとしてた。」
彼女は仕方ないなと言いながら、お茶を入れるため台所へ向かった。
カチャカチャと音がした後、最近嵌っているという梅昆布茶を入れたカップをテーブルに並べる。
勧められて飲んでみてから、何気に俺も嵌ってしまった。
「もうすぐ今年も終わりだね。」
そう投げかけられ、彼女と過ごした今までを思い返す。
二年にも満たない時間のはずだが、随分長く一緒にいたような気さえした。
「あの娘も帰って来るんでしょ?ちゃんと顔見せに行きなよ?」
言わずもがな明日未さんの事である。
さして気にした様子もなく口を開く所に、多少の寂しさを覚えた。
とは言え、感情を隠すのが上手い彼女だ、表面に出していないだけかもしれないが。
「葵さんがそれでいいなら行ってくるよ。まあ、俺も逢いたいのは勿論だけど。」
彼女は聞きながら、それでいいんだよと言いたげに暖かい笑みを浮かべた後、その柔らかな唇をそっと触れさせてきた。
十二月三十日、今年ももう終わりかという哀愁にも似た感情と、新しい一年への希望がないまぜになった気持ちを胸に抱いた。
ふとスマホに目をやると、俺の数少ない友達からメールが届いている事に気付く。
『今年の年末年始はそっちに帰れるから遊ぼうぜ。』
『今年は僕も帰るから久し振りに三人で会わない?』
阿部君に田中、卒業して以来顔を合わせる事はなかったが、今年は都合が合いそうだ。
どうやらこの二人は既に示し合わせており、あとは俺の予定といった所らしい。
『構わないよ。こっちに着いたら連絡くれれば迎えに行くから。』
俺がそう送ると、すぐに返信が返ってきた。
『分かった。お前は練習あるだろうから、元旦の夜にでも会おうぜ。阿部には俺から言っとく。』
了解と返事を送り、今年は賑やかな正月になりそうだと思い自然と頬が緩んだ。
十二月三十一日、大晦日。
例年通り外は一面の雪景色に染まっている。
時刻は二十一時を回り、叔父とこたつに入りながらテレビを眺めていた。
「おっ、すげえな。こんなとこにも出てくんのかよ。完全にスターじゃねえか。」
モニターに流れているのは、芸能人やアスリートが乱れ競う運動会。
その中にあの男『御子柴裕也』の姿もあった。
並んで立つ某男性アイドルグループの誰よりも綺麗な顔をしている。
転職した方がいいんじゃないかとさえ思うほどだ。
確かにまだ試合までは時間があるとはいえ、少し余裕過ぎではないだろうか。
この男が出れば数字が取れるという事もあり、今や至る所で引っ張りだこになっている。
「でもさ、好きでやってるんじゃないかもしれないよ?だとしたら災難だよな。」
何でも過ぎると言うのは良くない事だと思い知る。
カッコ良すぎる、というのもその一つだろう。
「しっかし、こいつ何でも出来んだな。走っても速えし、球技も上手いって…。確か男性化粧品のCMにも出てたの見たぞ。」
画面を見ると、プロのピッチャーと対決をしている。
流石に快音を響かせるとまでは行かないが、唯一外野までボールを飛ばしていた。
先ほどはプロ顔負けのリフティングを見せてもいた。
そしてマイクを向けられると、
『まぐれですよ。まぐれ。もう一度やったら恥かいちゃうんで。ははっ。』
爽やかな笑顔を浮かべこれである。
見ている女性ファンは悶絶ものではないだろうか。
「何つうか、言いたくねえが、…お前本当に大丈夫か?」
問題ない!と言いたい所だが、やれるだけの事をやるとしか言えない。
おもむろににこたつを出ると、流れる音声を耳に受けながらストレッチを始める。
今日のロードワークはもう終わっているのだが、不安が沸き上がりじっとはしていられないのだ。
「まあ、同じ人間だし、やってやれねえ事もねえか。ま、頑張れ!」
叔父の言葉を背に受け軽く返事を返すと、初詣に行く人たちを眺めながら川沿いを駆け抜けた。
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