第十四話 丹花

一月一日、少し寝不足の頭を無理やり起こし神社へと向かう。


石段の下へ着くと、例年と変わらず人でごった返している様だ。


最後尾に就け、周りの視線が自分に向かっているのを意識すると多少の気恥ずかしさを覚えた。


「統一郎君!頑張れよ!町一丸どなって応援するがらな!」


そう声を掛けてくるのは見ず知らずのお爺さん。


「統一郎ちゃん、ほらっ、ミカン。これあげる。ほらっ。」


更にすれ違うおばちゃんからミカンをもらい、お礼を述べた後ポケットに入れた。


並んでいる人の中には若者もいるのだが、相変わらず視線は向けても声は掛けてこない。


そして、お孫さん連れの老夫婦が声を掛けてきた後、幼い女の子が後ろから顔を出し俺を見上げながらぺこりと頭を下げる。


「触ってもいいが?あら~、やっぱり筋肉凄いな。な?ほれ、おめも触ってみろ、ほれ?」


小学校低学年くらいだろうか、女の子が恐る恐る手を伸ばし触れてくる。


「…すごいすご~い!え?え?すご~い!」


腹筋を何度も触っては、凄い凄いと繰り返していた。


まるで珍獣の様な扱いをうけ、またも多少の羞恥を覚える。


そんなこんなでようやく境内に足を踏み入れると、視線は当たり前の様に彼女がいるであろうおみくじ売り場へ。


視界に収めるその姿は、去年もそうだったが、巫女服のせいだろうか一層美しくなった気がする。


賽銭箱の前に立つと視線を戻し、少し多めの五百円玉を入れ祈りを捧げる。


(願いは…やはり健康面だな。それだけでいい。)


お参りを終えた後、さてどうしたものかと彼女のいる方へ視線を向けた。


おみくじ売り場はそれなりに人がおり、若いカップルなどが一番多く、引いた結果に一喜一憂している。


(ちょっと近づきにくい雰囲気かな。だが、それでも行くべきだろう!)


一度気合を入れると人混みを縫うように歩き、売り場へとたどり着いた。


「おみくじを一枚下さい。」


そう話し掛けると、俺に気付いた彼女はパっと笑顔を浮かべてくれる。


赤い紅を差した唇に今まではなかった色気を感じ、鼓動が高鳴った。


「分かりました。はい、どうぞ。ふふっ。」


久し振りに向けられる柔かな笑顔に、少し顔が紅潮する。


「そ、それでさ…え~っと……」


少し話せないかと伝えようと思ったが、どうにも忙しそうな様子。


その為名残惜しかったが、今は一旦帰り、空いた頃にまた来るべく引き返す事にした。


すると、隣にいた同年代くらいの女性が彼女の背を軽く叩き、行って来いと促してくれている。


その表情はこれ以上ないほどにニヤついていたが。


明日未さんは両手を顔の前で合わせ感謝を伝えた後、俺の方へと歩み寄ってくる。


そして二人で人混みを少し離れ、落ち着いた場所で話をすることになった。






「久し振り遠宮君。去年言った通りどんどん凄くなるね。」


去年会った時はどことなく影を帯びていた気もしたが、今年は心なしか晴れやかになっていると感じた。


「まだまだ全然。これからだよ。…そう、これから。」


次を超えられる目途が立っていない現状を思い出し、不意に声のトーンが落ちてしまう。


「そんな事無いっ、凄いよ!私も少しでもいいから追い付きたいって思ってるんだよ?」


正直、彼女の追い付きたいという意味がよく分からないが、色々と必死に頑張っているのだという事だけは伝わった。


「明日未さんはどう?その後、ピアノのやつとか…。」


去年、結果が出ないと語りながら悔しそうな表情をしていたのを思い出し、恐る恐る触れてみる。


すると、彼女は少し照れているのかはにかんだ表情を浮かべた。


「あ、あのね、コンクールに出てね…。それでね…審査員奨励賞っていうのをもらったんだ。そ、そんなに大した賞じゃないんだけどね、それでも、初めてだから。」


それがどういった賞なのか、その世界の人達にとってどれほどの価値があるかは分からないが、語る彼女の表情を見ているだけで、とても価値のあるものに思えた。


「大した賞だよ。価値なんて人が決めるもんじゃないんだから。明日未さんが決めるんだと思うよ?少なくとも、俺は価値があると思う。」


そう言葉を掛けると、彼女は少し恥ずかしそうに胸の前で手をもじもじとさせている。


凛としている姿もいいが、これはこれで可愛らしいと思った。


「有り難う…。そう言われると何だか照れるね。ふふっ。」


その可愛らしい笑顔に触れたい衝動に駆られるが、今の俺には触れられない。


あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、自分の優柔不断さには嫌気が差す。


「次の試合、頑張るから。明日未さんが追い付きたいって言ってくれるなら、俺は精々追い付かれないように、立ち止まらないで行かせてもらうよ。」


俺が先に進み続ける事で励みになるのなら、そうあり続けよう。


「あんまり凄くなられちゃうと釣り合いが…こほんっ、うん、私も頑張るね。もっともっと結果出せる様に。」


決意とも目標とも取れる言葉を告げると、明日未さんは太陽の様な、と表現しても大袈裟ではない笑顔を向けてくれる。


その眩しい笑顔に見送られ、俺は境内を後にした。


来年は、互いにどんな表情で会う事になるのだろうか。









その日の夕方、元旦だが練習を休むつもりはなくジムへと向かった。


ジムにはいつものメンバーが勢揃いしており、馴染みの光景が広がっている。


「明けましておめでとうございます。本年も…。」


恒例の挨拶を済ませた所で、いつも通り練習に取り掛かった。


今の時期は俺の試合だけでなく、佐藤さんと明君の試合も決まっており、我が森平ボクシングジムは年末年始など関係ないと言わんばかりの熱気に包まれている。


因みに、明君の次戦が一月二十五日に帝都で。佐藤さんが二月二十五日に前と同じく相沢君の前座を務める事になっているらしい。


佐藤さんは四勝を挙げているので六回戦に上がり、明君は新人王戦の最終調整だ。


佐藤さんについては、正直ランカークラスと当たるまでは問題ないと見ているが、明君の場合接近戦が主なファイトスタイルの為、かなり展開に左右されるだろう。


うちのジムにはインファイターが明君しかいないため、必然的にそれ以外の対処ばかりが上手くなっている節がある。


そう言った理由もあり、自分と同じタイプに当たった場合、苦戦は免れないだろう。


特にそれが自分よりも身長の低い相手であった場合猶更だ。


ボクシングとは経験が大きく活かされるスポーツだと思っている。


受けた事のある痛み、受けた事のある重さ、見た事のある構え、軌道、戦術。


実際の試合では考える暇など殆ど無い為、瞬間的な対応をしなければならない。


だからこそ練習を日々繰り返し、本能レベルで刷り込ませていくのだ。


「ラスト一分!」


牛山さんの声が響き、佐藤さんと明君のスパーも苛烈さを増していく。


そうは言っても、技術の面では一枚も二枚も佐藤さんが上手。


潜り込む明君を下から突き上げ、フックで綺麗に位置を入れ替える。


負けじと追って振り回していくが、軽快なフットワークからジャブを突かれ捕まえられない。


そして終了を告げるブザーが鳴り、会長と牛山さんでグローブを外していく。


「二人共良い調子みたいですね。」


会長に問い掛けると、肯定の意志を示し頷き返してくれた。


「そうそう統一郎君。来週から数日間、相沢君こっちに来るからね。合同練習ってやつだよ。久しぶりに君とスパーしたいってさ。」


数日間と言われ、ふと疑問が沸き上がる。


「仕事はどうするんですかね?あと泊る所は…。」


その疑問の答えは、牛山さんから返ってきた。


「あっちの坊主は仕事辞めたらしいぞ。後、こっちにいるうちは俺んとこで面倒見る。」


あれだけスポンサーが付いていれば、ファイトマネーもそれなりのものになるのだろうか。


何はともあれ、強敵を迎える今、彼の様な強者を相手に調整出来ることはこちらとしても有難い。


俺も含め、我がジムの連勝記録更新へ向けて気合を入れ直す良い機会になる筈だ。

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