第十六話 ライバルは常に先を行く
世間が正月気分も抜けた頃、ジムに来訪者。
仕事も休みだった為、俺もこの日は少し早めに行き件の人物を出迎える事にした。
「おっす統一郎、久しぶりだな。皆さんも、少しの間宜しくお願いしますっ!」
そんな挨拶と共に、愛車のスポーツカーで颯爽とやってきたのは相沢君。
意外に礼儀正しい姿に内面の成長を感じる
まあ、昔から俺以外には結構礼儀正しかった気もするが。
挨拶に応え、会長と牛山さんもにこやかに迎え入れていた。
彼の練習メニューに関しては向こうの会長とやり取りして確認済みとの事。
「久しぶり。次の相手東洋三位だっけ。よく呼べたね。お金掛かるでしょ?」
金銭的な事は大っぴらに言わない方がいいかと思い、少し小声で語り掛ける。
「いや、よく分かんねえけど、あんまり無理してる感じはなかったな。そういえば言ってなかったか?結構でかい企業もスポンサーに就いたんだよ。」
聞き捨てならないと、少し隅の方へ引っ張って詳しい話を聞きだした。
「大きい企業って、どれくらい?俺も知ってるとこ?」
思わず顔を近づけすぎてしまい、少し引かれてしまう。
「お前食いつきすぎだよ…。ああ、知ってるとこだよ。【メシックス】って知ってるだろ?」
それは国内最大手のスポーツ用品メーカーの一つ。
結構でかいどころの話ではない。
悔しいという感情よりも先に、常に自分の前を歩く彼に尊敬の念を抱いた。
「マジで凄いね…。一体どうやったの?向こうから声掛けてきたの?」
普通に考えてそれはないかとも思ったが、彼ならもしかしたらと思い聞いてみる。
「いやいや色んな偶然が重なったんだよ。リングシューズはいつもそこの使ってるしな。」
そういう事なら、牛山さんからのプレゼントである俺のシューズもそうだ。
だがまあ、人を羨んでも仕方ないのが現実。
「つっても、こうなると流石にプレッシャー感じるんだぜ?歴史に名を残す世界チャンピオンになるって、そこの偉い人に宣言しちまったしな。」
飄々としている様にしか見えないが、それなりに重圧は感じているらしい。
そして両者ともにストレッチを済ませると、会長から声が掛かった。
「じゃあ、取り敢えず相沢君がいつもこなしてるメニューは聞いているから、二人共それぞれやって行く事にしようか。ミットは僕が持つよ。」
相沢君のミット打ちはあまり見た事がないので少し楽しみではある。
パシンッ、パシンッ、スパァンッっと自分とは違うリズムの音がジム内に響く。
先ほどやってきたばかりの同門二人も興味深そうに眺めていた。
会長も大したものだが、やはり選手目線では打っている側に注意は向く。
「回転早いですね…。フットワークも軽快でパンチも軽くなさそうですし、この間の試合よりも出来が良い様な気がします。」
佐藤さんも思わず舌を巻くような動きだ。
気持ちは分かる。
特に左の角度を変えた連打からの右、これが厄介だろう。
理由としては、彼の場合左右どちらもが万遍無く強い為、その全てに何らかの対処を求められるという事が挙げられる。
そして空いた隙間に、コンパクトなパンチを執拗に放り込んでくるのだ。
その性格上アウトボクシングをする事は殆どないが、やろうと思えば出来る、と言うのはいざという時の強みだろう。
しかも最近は、本来のサウスポーからオーソドックスへのスイッチも使い、更に変幻自在さを増してきた。
つまり、正攻法で勝つのは非常に困難な選手と言える。
「明君も後で相手してもらったらいいよ。距離も被るし、良い勉強になるはずだから。」
このクラスのファイターと手を合わせる機会など滅多に無い為、この機を逃す手はない。
「は、はい。相手になるか分かりませんけど、やるだけやってみます。」
「五ラウンドね。グローブは二人共十四オンスで。」
俺のアップも終わり、準備を整えてリングに上がる。
対角線上に相沢君がいる光景は一体何時以来だろうか。
「おっし、ゴング鳴らすぞ。」
牛山さんが見渡し確認した後、甲高い金属音が響きスパーリングの開始を告げる。
「よろしくお願いします。」「よろしくお願いしゃす。」
互いにグローブを合わせ挨拶を交わした直後、こちらから再度挨拶代わりの左。
「シッ!」
相沢君はそれを受け取る様にガード、そして同じ様に左を放ってきた。
こちらもしっかりとガードし、本当の意味での挨拶が終わったという所だろうか。
「…ん?」
いざ尋常にといった所で、相沢君が構えを変える。
それは何と彼本来の型を捨てた、右利き構えのデトロイトスタイルだった。
舐めている、とは思わない。
その構えは御子柴選手の型と瓜二つである事からも察しが付く。
どうやら全面的にこちらの練習台になってくれるらしい。
本当に有難い事この上ない。
驚いている暇はないと言わんばかりに、軽いステップからフリッカー気味のジャブ。
驚くほど馴染んでいる。
勿論本人とは体格もリーチも違うため完全に同じとはいかないが、スピードやタイミングなど、映像で見る限りは高い再現度だという事が伺えた。
本当はインファイトがしたいだろうに、丁寧にフェイントを交えたボクシングを展開してくる。
(心遣いに甘えて、何か掴ませてもらおう!)
「シィッ!」
強めの左を放つと、それを側面から叩くように軌道を変え、返す刀でそのまま右を伸ばしてくる。
こちらもやり返そうと、パーリングを試みるもそれはフェイント。
そうなると当然中途半端な位置で拳は彷徨う事になる。
相沢君がそんな隙を見逃す訳は無く、すかさず放り込んできた左右の連打をもらってしまった。
(駄目だ駄目だっ。気が急いてるな。)
せっかく再現してくれているのだから、タイミングくらいは体に刻み込んでおきたい。
そう考え、後の先を取る作戦に切り替えた。
相手のジャブを丁寧にガードしてこちらもジャブ。
すると予想の範疇だったか、素早い時計回りのサイドステップからワンツーを返してきた。
こちらはそれを焦らず丁寧にガードした後、左を上下に打ち分ける。
そして俺がボディに手を伸ばした直後、相沢君は下がる事なくその場で重心を下げ細かい連打。
だが焦らない、焦らず下がらずその場で対応し、落ち着いてガードしながら打ち終わりを狙いこちらも手を出していく。
「シュッ!…フッ!」
俺は最近何度も見た御子柴裕也の試合映像を思い出していた。
そう言えばあの選手は、相手に踏み込まれてから簡単に下がった所を見た事がない。
唯一差し込まれた体勢になったのは挑戦者としてリングに上がった時であり、それでさえも本当に劣勢だったのかと疑いたくなる流れだったので、恐らく本番でもこういう形になる場面はあるだろう。
そして両者の距離は近く打ち合いの様相を見せる。
相沢君は本来の自分の距離になったからか、水を得た魚の様に生き生きとしてきた。
段々と本能に引き摺られたか、御子柴コピーは影が薄れ、彼本来が顔を出してくる。
それでも同じアマチュアエリートだからだろうか、そのコンビネーションには似通った部分も多い。
足半分くらいの細かいステップを駆使しながら、上下左右間断なく叩き誘ってくるのだ。
それは激しく、まるで風雨に晒されているような錯覚さえ覚える。
更に細かいパンチの中に強いパンチを織り交ぜられ、こちらがガードを固めれば更に調子に乗るだろう。
俺としてはもはやこの距離に拘る必要はないため引けばいいのだが、どうしても相沢君相手だと意地になってしまう所がある。
そんな自分に手綱を付け、もやもやしながらも自分の距離を守り立ち回った。
そして距離を離すと冷静になるのか、またも御子柴コピーが顔を出す。
ミドルレンジでは俺、クロスレンジでは相沢君、明確にとは言えないが、ポイントを付けるとするならそうなるだろう。
そうして中々に面白くもあった五ラウンドが過ぎ去った。
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