第十七話 強敵から学ぶ

「有難う御座いました。」「あっした!」


リングを降りて俺がヘッドギアとグローブを外すと、何故か相沢君はリングを降りていない。


どうしたのかと見やると、何やら会長と話しているようだ。


気にせず外にある水道でマウスピースを洗って戻ると、今度は明君が十二オンスのグローブを付けている。


どうやら、明君とも続けて三ラウンドのスパーをしてくれるらしい。


その表情はかなり気合が入っており、せめて一矢報いてやろうと言う気概が感じられる。


ファイター同士の戦い、実に興味深い。


まあ、厳密にいえば相沢君は万能型の選手であるが、恐らく近距離戦をしてくれるだろう。


ゴングが鳴って開始早々、距離を詰めようと逸った明君を痛烈な左が襲った。


「う~ん、ちょっと力入りすぎだな。相手が相手だから仕方ないともいえるけど…。」


本来はもっとしなやかに行くのだが、いきなり真っ直ぐ突っ込んでいった。


「そうですね。僕と戦る時は常に頭を激しく振るのにそれも忘れてますし…。さっきのスパーを見て呑まれてるのかもしれないですね。」


そう言えば彼に相沢君とのスパーは見せた事がなかったかもしれない。


いつも思っていたのだが、明君は俺を大きく見過ぎている節がある。


その俺と階級が下であるにも関わらず、ほぼ互角の戦いを演じた事がこの固さの要因になっているのだろうか。


そう語っている最中も、完全には潜り込めず殆ど一方的に叩かれていた。


「明!頭振れ!いつも通りにやれば大丈夫だ!」


俺が声を掛けようとした時、声を上げたのは牛山さん。


それを聞き、ふぅ~~っと息を吐いた後、頭を振り始めた。


「調子戻ってきたみたいですね。ようやく自分の距離に出来てる。」


いつもスパーの相手をしているせいか、佐藤さんは自分の事の様にハラハラしていた。


肝心の明君は潜り込む事自体は成功しているが、そこは相沢君の距離でもある。


結果は当然と言うべきか、思い通りにコントロールされ徐々に押され始めた。


とは言っても、多少は手加減しているのか、ダメージが強烈に残る打ち方は控えているようだが。












「…有り難うございましたっ。はぁ…はぁっ…。」「あっした!」


相沢君のグローブを外そうと近寄ると、その顔がまだだと語る。


まさかと思い会長に視線を向けると、


「本人がまだ余裕そうだからやらせる事にするよ。」


見れば確かに余裕そうだ。


でも、一応確認はしておこう。


「大丈夫だって、感覚で分かんだよ。それくらい分かる様になんなきゃ駄目だぞ。それに折角いつもは戦れねえやつと戦れんだから勿体ねえだろ。」


この人は戦闘民族か何かだろうか。


おらワクワクしてきたぞ、とか言っても全然違和感がない。


そんな事を考えている内に佐藤さんの準備が終わったようだ。


グローブはどちらも十四オンス。


このスパーはどういう流れになるだろう。


普通に考えれば、相沢君がどういう組み立てをするかによる。


佐藤さんはこの階級では中々いない百八十cmを超えるリーチを持つ。


そして、その自分の特性をよく理解した立ち回りをする。


思い返すと明君とのスパーでは、スウェーした体勢からスマッシュ気味に下から斜めに突き上げるパンチをよく放っていた。


マウスピースを洗い戻ってきた明君も、真剣な眼差しでリングを見上げている。


「手を合わせてみてどうだった?勉強なったでしょ?」


俺が問い掛けると、少し視線をこちらに向けて苦笑いを浮かべた。


「はい。何て言うか、手数は凄いし、その中に強いのが混じってるし、いつ反撃すればいいのか分からなくて、少しでも打とうとすると空いたとこ打たれますし…。」


もう訳分かんなくて、と力ない笑顔で語る。


「足に注目するのが良いよ。強いの打つ時一瞬止まるから。多分近いうちまたやると思うし、試してみたら?」


一応先輩らしくアドバイスなるものをしてみる。


「なるほど、そんなこと考える余裕もありませんでした。覚えておきます。」


そんな会話をしている最中も、リング上は白熱の追いかけっこ真っ最中だった。


佐藤さんはこれでもかと言うほどリングを大きく使い、巧みに自分の距離を保つ。


相沢君は案の定ファイタースタイルでそれを掻い潜ろうとする。


今の所どちらも自分の距離には出来ておらず、中々に緊迫感のある展開だ。


「あっ。」


思わず声が漏れ出てしまった。


俺も何度か引っかかっている、相沢君得意の視線と肩を交えたフェイント。


佐藤さんもご多分に漏れず引っ掛かってしまった。


これは相手を自分の思い通りの方向に誘導するためのもので、気付いた時には既に懐に潜り込まれているのだ。


そして彼がそれを使う時は、大体これ以上後ろに下がれない所まで、相手を追い詰めている時だ。


つまりロープ際、若しくはコーナー付近である。


「あっ、潜り込まれちゃいましたね。」


近距離では勝ち目が無いと見たか、佐藤さんは嵐が過ぎ去るのを待つ様にガードを固め、このラウンドを凌いだ。


幸い残り時間が少なかった事もあり、そこまで差し込まれる場面は無かった様だ。


そして流石の学習能力というべきか、このスパーで同じ手は二度と食わず、押し込まれる瞬間はあるものの、一方的にはならない形で四ラウンドを終える。










「有り難う御座いましたっ。はぁ…はぁ…。」「あっした!…ふぅ~~っ。」


相沢君は、いい汗掻いたぜと言わんばかりに息を吐く。


「ご苦労さん。ありがとう、うちの選手達にとって凄く良い経験になったよ。」


本当にその通りだ。


「いやいや、こっちこそっすよ。後二、三日よろしく頼んます。」


相沢君はそう語った後、外にあるシャワー室へと汗を流しに向かった。


「何だかんだと、あいつやっぱ強えな。坊主以外だとちょっと分が悪い感じか。」


だからこそ得られる物も大きいはずだ。


「まあ、お陰で皆レベルアップ出来るという事で。感謝しかありませんね。」


本当に感謝しているようで、会長は中々に御機嫌だった。

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