第十三話 強者

妹との共同生活も一週間経てばそれなりに慣れるもの、今日も今日とて向かい合い朝食を囲む。


「亜香里は学校行かないの?」


「…もうすぐ夏休みじゃん。今から行ってもしょうがないでしょ…。」


何と言うか、俺はこの子の背景を何も知らない。


何故前の学校から転校してくる事になったのか、どうして俺と一緒に暮らそうと思ったのか、何も知らない。


だが、物事には順序というものがある。


浅い関係のまま深い所に踏み込もうとすれば余計な溝を生むだけだ。


故に、今はただこうして共に卓を囲み過ごすだけでいい。











「…いってらっしゃい。」


「うん。いい天気だし、気が向いたら外歩いてみるといいよ。」


「…なんにもないじゃん。」


「あ、そうだ。一応これ、お小遣い。」


「…いいよ。どうせどこにもいかないし。」


気だるげな彼女の言葉に苦笑し、俺は仕事へ向かう。


(見た目は結構活発そうな感じなんだけどな…。)


彼女が突然こちらにやってきた翌日、母さんと共に初めて会う旦那さんが菓子折りを携えてやってきた。


何でも同居の話は前から叔父に相談していたらしいが、連絡がつき俺の確認を取ってからという話だったらしい。


まあ、当然だが。


だがあの日、進路や日々の生活態度で母さんと激しく口論になり、家を飛び出していったとの事。


口論の詳しい内容は敢えて聞かなかった。


それは彼女本人の口から聞きたいと何となく思ったからだ。


(母さんの話だと余り友達いないって言ってたな。何かそこだけ俺と被るな…。でも、それで頼るのが会った事も無い兄である俺ってのは…)


無謀とも取れるし、度胸があるとも取れる。


まさか俺の事をそこまで信頼している訳もなかったであろうし。


そんな考え事をしていると職場へ着いており、元気よく挨拶しながら仕事に取り掛かった。













暦は七月下旬、ジムは明君の復帰戦を控えている事もあり、いつも通り活気に満ちている。


当初は俺の防衛戦に合わせて組む予定であったらしいが、本人たっての希望もあり来月中頃に帝都へ赴くらしい。


今はその最終調整といった段階で、熱の入ったミット打ちをこなしている。


「やっぱうめえな…。」


ぼそりそう呟くのは、真剣な表情でリングを眺める清水トレーナー。


もうすぐ隣のプレハブでリングの設置工事が始まるらしく、それが終われば基本あちらで練習生たちを見る事になる。


会長曰く、トレーナーとして必要な技術と知識は身に付いているので問題ないとの事。


「そんなに違うもんですか?」


清水トレーナーも練習生のミットを持つのだが、俺が見る限りそう違いは無いように感じる。


「ああ、自分から迎えに行って選手が一番力の入る場所で受け止めてる。一度のミスも無く…な。」


曰く、そうする事で自分のパンチが一番活きる距離というのを感覚が覚えるらしい。


「そう言われれば確かに…。無意識に自分のパンチを打つ距離って調整できてますね。」


「簡単なようで簡単じゃねえよ、あれは。しかも、体の軸がブレたパンチはわざと芯を外して受ける。覚えあるだろ?」


思い返せばいくらでも思い当たる。


この打ち方は駄目だと、言葉で言われるよりも先に体が理解するのだ。


そうして話していると、背後から歩み寄る男。


バチィ~ンッと背中を叩く大きな音が響き、


「若けぇのにそんなんでどうすんだ。俺はもっと上手くなるくらい言ってみろっ!がっはっは。」


牛山さんの豪快な笑い声も響く。


「はは…たしかにそっすね。よっしゃっ、お前ら次リング上がれっ!」


気合の入った清水トレーナーは、練習生達相手に熱の入ったミット打ちをこなしていた。










その日の夜、夕食の準備が済むと、匂いに誘われたか呼ぶ前にやってきた亜香里も卓に着く。


「…いただきます。」


何か話題が欲しい所だが今は特に話す事も無く黙々と箸を動かしていると、大事な事を思い出した。


「チャンネル変えていい?」


「…別にいいよ。」


一応の許可を取りチャンネルを回すと、映し出されたのは金髪で活きの良さそうな青年。


今日のボクシング専門チャンネルの目玉であり、かなり話題を集めている試合でもある。


日本スーパーフェザー級一位 大道学 対 同級六位 高橋晴斗


この試合が決まる経緯には中々複雑なものがある。


そのあまりの強打から敬遠され中々試合が決まらなくなった高橋陣営は、あらゆる媒体を通じて相手を募集した。


トレーナーの男性がカメラ目線で息まく、こういう動画もある。


『うちの高橋は世界最高のボクサーだ。誰が相手でも勝てる。世界王者でも、あの御子柴裕也でもそれは変わらない。なのに!誰も受けてくれないっ!…だから賞金を出す事にした。一ラウンド耐えたら二百万だそう!判定まで行けたら勝敗は関係なく一千万だ!』


これが話題を呼び、強すぎて敬遠されるボクサーとして知られる様になったのだ。


実は打診はうちにも来ていたらしい。


勿論、俺に話を通す事も無く会長は断ったようだが。


そして彼が敬遠される理由となった衝撃的な試合映像が、まさに今モニターで流されている。


「…え?うわぁ…え?…あの人…腕…曲がってない?」


我関せずと食事をしていた亜香里がモニターをちらりと見た瞬間、表情が引きつる。


四か月ほど前に行われた試合。


この動画は投稿サイトで百万再生を越えている。


相手をコーナーに追い詰め高橋選手が放った、普通のワンツー。


相手選手はガードを固めるが、無駄だった。


何故なら、腕が関節部分を境にぐにゃりと折れ曲がってしまったのだから。


現役最強の日本人ボクサーはと問われれば、識者の九割が彼と答えるらしい。


紹介VTRが終わり十数分後、メインイベントのゴングが鳴った。


そして一ラウンドで終わった。


大道選手は元ライト級王者としてのプライドか、逃げる事無く真っ向から打ち合いに臨む。


だがその選択はあまりにも無謀。


高橋選手は基本通りのステップワークから左を突き、コンビネーションを繰り出していく。


恐らく六割か七割程度であろう力を抜いたその一発一発に、大道選手の表情は歪んだ。


そして一発相打ちになると耐えきれず、たたらを踏んだ所で連打を浴びレフェリーストップ。


怪物、その形容詞がこれほど似合う男もいない。


「……止めたほういいよ統一郎…。絶対勝てないってこんなん…。殺されちゃうって…。」


「はは…そうかもなぁ…それでも…。」


逃げる訳にはいかない、その言葉を紡ぐ事は出来ず、ただ力ない笑みで返した。

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