第十二話 初めまして

季節は七月の下旬に差し掛かろうとしていた。


練習を終え家に帰り着き車を止めると、玄関先に人影が見える。


「あの…新聞なら要りませんよ?」


俺がそう声を掛け振り返ったのは、大人びたボストンバッグを抱える、まだ十代であろう少女。


「…新聞屋に……見える?」


切れ長の目にすらっとした長身、印象としては少しきつそうな感じだが、着ている青いワンピースが夕暮れ時を鮮やかに彩っている。


「えっと…まあ、見えない…ね。」


「…渡瀬亜香里わたせあかり。…名前…私の。」


「は、はぁ…遠宮統一郎です。」


「…はははっ、知ってるって。」


笑うと年相応の可愛さが覗く。


「それで、俺に何か用事かな?」


不思議な話だが、初めて会った気がしない。


誰かに似ていると言われれば似ている気もするのだが、どうにも思い出せない。


「…近くに高校あって…私そこに通う事に…なったから。」


「え?あ、ああ…そうなんですか…。」


どうにも話が要領を得ない、結局何が言いたいのだろうか。


「…あれ?もしかして…分かんない?本当に?…ていうか聞いてない?」


全く思い当たる節が無く、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。


「私の…名前、憶えない?母親の今の…苗字。」


「…えっと、確か渡瀬?………あっ!?」


「…そう。父親違いだけど……一応…妹。」


俺は初めて会う妹の姿を何度も上から下へ眺めていた。


「…そういう目で見られるのは困る…。これから一緒に住むんだし…。」


「あ、ああ、それはごめ……へ?一緒に住むって…誰が?」


「…はぁ?えっと…叔父さんって人から連絡行ってる筈なんだけど…母さんからも……一応私も掛けたけど繋がらなかった…。」


言われスマホを見ると充電が切れている、恐らく結構前から。


「ご、ごめん。でも何で一人なの?母さんは?」


「別にいいでしょ…どうでもっ。あんたには関係ないじゃん…。」


関係大ありなのだが、感情的になった娘さんをこれ以上刺激するのは不味い。


その後、取り敢えず家の中で話そうという事になった。






「…古臭い家。これ築何十年…?今時引き戸とかありえないし…。何かガラガラ煩いし…。」


ぶつぶつと文句を言いながらも、玄関に脱いだ靴をしっかり揃えているのは意外だ。


そして居間に通すと、折り畳み式の卓を置き座布団を引っ張り出す。


「へぇ、中は結構綺麗にしてるんだ…意外。あの…私取り敢えずお風呂に入りたいんだけど?」


「ああ、じゃあお湯張るから待ってて。」


「…シャワーだけで良いよ。」


言葉一つ一つに壁を感じ、中々打ち解けるまでには時間が掛かりそうだ。


そんなに社交的にも見えないが、よく一人で訪ねてこれたなと感心する。


その後彼女にバスタオルを持たせ浴槽へ案内し戻ると、充電途中のスマホに着信。


どうやら母さんかららしい。


「…統一郎?ゴメン…うちの娘行ってる?」


「うん、来てるよ。亜香里ちゃんでしょ?」


「そう…良かった。何度も電話したんだけど繋がらなくって。あの子にも…あんたにも。」


声からは相応の疲労が伺えた。


母さんが今住んでいるのは陸前県という一つ南の県。


声のトーンから察するに、直接ここまで来ようとさえ思っていたのではないだろうか。


「面倒掛けるわね、統一郎 。そうそう、生活費振り込むから後で口座番号教えてくれるかしら?」


「うん?そんなのいいよ、妹なんでしょ?俺の。何か不思議と初めて会う気もしないしさ、でも仲直りはしておいた方が良いんじゃない?」


「そう…。本当、あんたには頭が上がんなくなりそう。」


「そんなに気にしなくてもいいよ。……親子なんだしさ。」


そして通話を切ると、どうやら聞き耳を立てていたらしい彼女がふくれっ面で顔を出す。


「…何話してたの?こそこそ内緒話して…感じわるっ。」


少し拗ねたその表情は、大人っぽい外見に見合わない少女のもの。


思わず苦笑が漏れる俺を今度は鋭い目つきで睨みつけ、注文を付けてくる。


「シャンプーとか…もっと高いの置いてよ。安物ばっかじゃん…髪痛んじゃう…。」


普通はさっき初めて会ったばかりの妹に、こんなわがままを言われれば嫌な気持ちになりそうなものだが、不思議とそんな感情は湧かなかった。


「じゃあ、俺は走ってくるから、夕飯はそれからね。待ってて。」


「え~っ?もうお腹ペコペコなんだけど…。」


「もう仕込みは済ませてるから帰ってきて風呂に入ったら直ぐだよ。勝手に一人で済ませたら駄目だよ?約束だよ?」


彼女は不承不承といった感じに頷くと、リモコンを手にチャンネルを回し始めた。













「いただきま~す。」


「……いただきます。」


今日のメニューは筑前煮と豚汁、ひき肉ともやしの炒め物にスーパーで買った漬物だ。


「…どう?」


「…認めたくないけど、美味い。」


こんな所で意地を張っても仕方ないと思うのだが、女としてのプライドだろうか。


そうして二人で食卓を囲んでいると、彼女の視線は部屋の隅に向かっている。


「ねえ、あの黒いケース何?」


「ああ、これはね…」


聞かれたら見せない訳には行くまいと、自慢のチャンピオンベルトを取り出す。


少しは感激してもらえるかと思ったのだが、


「何か…安っぽいね。」


こんな淡白な反応しか返ってこなかった。







夕飯も済み、歯磨きも済ませテレビを眺めていると、もういい時間。


「俺は寝るけど…亜香里ちゃんはどうする?」


「ちゃん要らない…気持ち悪いから。私ももう寝る。」


相変わらず言葉はきついが、少し口調が柔らかくなった気がする。


この家には八畳と六畳の和室が一部屋ずつあるのだが、彼女には広い方を使ってもらおう。


俺は殆ど荷物が無いので、広い部屋を使ってもスペースが余るだけだ。


そうして案内し、来客用に用意していた布団を敷き終えると、


「……おやすみ…統一郎。」


兄を呼び捨てにするのはどうかと思うが、俺もおやすみと返しこの日を終えた。


翌日、不動産屋に行き事情を説明すると、契約書を書き直す羽目にはなったが、意外にもすんなり了承を得る事が出来、亜香里は正式に俺の同居人となった。

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