Genius side 5

自宅の縁側に座り、思い返していた。


真っ青な顔で、今にも息絶えそうなダメージを抱えても尚、それでも向かってくるあの男の姿を。


(何故だ?どこで間違えた?そもそも何故急に反応速度が上がった?)


試合から一夜明けても、その思考のループから逃れる事が出来ない。


不可解な出来事の連続だった。


何度倒しても闘志は折れず、それ所か一層燃やしている様にさえ見えた。


試合後、幾分かの余裕を残す敗者とは裏腹に、ピクリとも動かず担架で運ばれていく勝者。


これだけを見てどちらが勝者であるかを当てるのは相当難しいであろう。


当然、こちらの陣営は荒れた。













試合直後の検診を終えた控室、タオルを投げた白井と口論になったのは俺ではなく会長。


「白井っ!何故タオルを投げたっ!?相手は限界だったんだぞっ!!」


詰めかける記者をシャットアウトしたまま怒声にも近い声が響くが、こんな論議を生んでいるそもそもの原因を作ったのは俺だ。


その為何も口を挟まず、患部に氷嚢を当てながら重苦しい空気が漂う控室にただ座っていた。


「俺は後悔していませんし、判断は正しかったと思っていますっ!」


結果的に俺の右腕(肩)は折れている訳ではなく、亜脱臼と呼ばれるものらしい。


亜脱臼とは捻挫より重いが脱臼よりは軽いという程度のものを指す様だ。


事実、痛みは酷いが動かそうと思えば動かせない訳ではない。


その事実が余計に諦められない気持ちに繋がっているのだろう。


「御子柴は歴史に名を残すような選手です。それがこんな所で後遺症が残るかもしれない怪我をしたらどうするんですかっ!」


その言葉には会長も何も返せず、下を向いて首を横に振った。


どちらの言い分も分かる。


相手が限界だったのは誰が見ても分かるほどだ。


つまり、あそこを凌げば勝ちは揺るぎないものになっていたと思うのだが、そんな常識が通用する相手ならそもそもこんな状況にはなっていない訳で、とにかくもう結果は出た。


こんな事を話していても、それは不毛な議論でしかない。


「まあまあ二人共、俺自身はそこまで深刻に受け止めていないので、どうか冷静になって頂けませんか?白井さん、会長も。」


少しの静寂が包んだ後、白井が一度咳払いをしてから語る。


「悪かったな…。お前の事だ、どうせ自分ならどうとでも出来たって思ってんだろ?」


子供の様に拗ねた表情で語る姿に、思わず吹き出してしまった。


「な、なんだよ?俺は真面目にだなっ…。お前の為を思ってだな…その…なんだ…。」


ゴリラのツンデレなど、どこに需要があるというのか。


まあ正直、本当に俺の『可能性』を信じているなら無理をさせたくないというのは当然の心情だ。


だが、とにかく負ける姿は見たくない、先よりも今と非難する気持ちも分からないでもない。


そして当人の俺はと言えば、白井の判断は正しかったと思っている。


人の体は消耗品、無理は必ず後に祟る、そして先へ続く道は確約されているのだから。


無理をしなければならない時は必ず来るだろうが、それは少なくとも今じゃない。


「皆さん、今回は自分の慢心が生んだ結果です。誰一人気にする必要等ないし、今回の敗戦はこれからの自分に何も影響ありません。ですから、こんな重苦しい空気出すのやめませんか?これではまるで…俺がこのまま潰れていくだけの小物みたいじゃないですか。」


俺の言葉を聞いてか、同門の何人かから笑みが零れる。


白井と会長も、恥ずかしそうにしながら互いに詫びの言葉を掛け合っていた。


(全く、痛みがあるってのに…。俺に気を遣わせるとか何様だこいつら。全く…。)


取り敢えずその場はそれで収まり、直ぐに治療の為病院へと向かった。













三角筋で支えられている己の腕を見ると、どうしてもあの敗戦が呼び起こされる。


幸い治療にはそれほどの期間は要しないので、足踏みしなくて済みそうだ。


それには勿論、綾子さんの根回しも大きい。


普通なら前哨戦の話は流れる筈だが、強引にその試合は予定通り行う事を承諾させたらしい。


まあ、前哨戦ではなく復帰戦という名目にはなるだろうが。


金の力とはかくも偉大なものか。


「お茶をお持ちしました。ここでは冷えませんか?自室へ行かれた方が…。」


ボーっと縁側で胡坐を掻いていると、燈子がお茶を持ってきてくれた。


「いや、ここがいいな。ここの方が考え纏まりそうな気がするから。」


彼女は一度苦笑した後、珍しく隣に腰を下ろす。


「もっと気を落とされるかと思いましたが、意外に平気そうなんですね。」


その事については俺も不思議に思っていた。


こうなった要因について頭を悩ませても、それほど気持ちは沈まない。


「落ち込んでたら燈子に慰めてもらえたかな?…それは残念だ。」


グイっと顔を近づけ、誘うような口調で語り掛ける。


すると、彼女は自然な仕草で唇を重ねた後、妖艶な微笑を浮かべた。


「私の反応では物足りないのでは?こういう時は静かな場所で読書など如何でしょう?」


まるで全てを見透かされているかの様で、多少の気恥ずかしさを覚えるが、確かに思い通りの反応が返ってくる方が楽しいのも事実。


そして俺は彼女の提案を飲み、図書館へと足を向ける事にした。












館内を見渡すと、いつもの場所に当然の如くいる姿を発見。


どうやら燈子は知った上で俺に勧めていた様だ。


だが悪戯心が芽吹き、彼女に気付かないふりをして、館内の蔵書を物色し始めた。


その彼女はというと、どう話し掛けていいものか分からないと言った感じで、こっちをチラチラ見ては溜息をつくという所作を繰り返している。


流石に可哀そうになり、視線がこちらから外れた瞬間を狙い一気に距離を詰め、


「樫村さん、今日は講義ある日じゃないの?サボりかな?悪い子だ。」


足音を立てずに近づき、耳元で囁いた。


「ひゃっはっ!?…えっ?あ、ああ。今日は…その…。」


普段の生活では絶対出さない声が響き、館内の視線が一瞬彼女に集まり霧散する。


「凄い声出たね…。流石に予想外だよ…。」


少し驚かせようと思っただけなのだが、反応がこちらの予想を超えてきた。


「ご、ご、ごめん。あ、でも、御子柴君が悪戯するから…。」


拗ねた顔を見せる彼女の頭を撫でながら、俺も横に腰掛ける。


「で?今日は何でいるの?サボりじゃなかったら何?」


どうやら本当にサボりらしく、彼女は言い淀む。


「…サボり、です。」


そのいたたまれないという表情に、悪戯心が掻き立てられた。


「へぇ~、国内最高峰の学生さんがサボりか~。樫村さんは余裕だね~。」


そんな風に揶揄っていると、今までにはないほど真っ直ぐこちらを見つめ返してくる。


「心配だったんだよ。凄い落ち込んでるかなって…。だがら、何か話したいなって…。ここにいればもしかしたらッて…。」


目の前で体を震わせながら話す異性を眺め思う。


自分がこんなにも誰か一人に時間を割いた事があっただろうかと。


そして、何故度々この女に会いに来てしまうのかと。


涙がゆらゆらと揺れるその瞳をジッと見つめる。


「やっぱり分からないな…。樫村さんは俺のこと好き?」


周りには聞こえず、けれども彼女には聞こえる。


そんな絶妙な声量で問い掛けた。


肝心の彼女はといえば、目を見開いたまま一人だけ止まった時間の中にいる。


「お~い、樫村さん。……す~ずちゃん。」


呼びかけても反応のない彼女をつつきながら、再度呼びかける。


「へ?…あ、えっと、あの…は、はい。」


戸惑っているのか要領を得ない。


その為、再び同じ質問を問い掛けてみる事にした。


「樫村さんはさ、ファンとか敵に回しても俺と付き合いたい?」


正直、自分でもどう答えてほしいのかが全く分かっていない。


しかし、燈子は俺がこの女に惚れていると言う。


あの人は人を揶揄ったりはするが、でたらめを言う性格ではない。


ならば一度密接な関係をもってみれば分かるのではと思ったのだ。


「え、あの…………うん!」


肯定したその瞳には、今までの彼女には見られなかった力強さが見て取れた。


「そ。じゃあ付き合ってみよっか?」


「え?え?え?うそ?ほんとに?」


付き合うと言っても、あまりに堂々とやりすぎると彼女が危険かもしれない。


中には過激な行動に打って出るファンがいないとも限らないのだから。


「じゃ、部屋に行って色々取り決めしようか。面倒な事にならないようにね。」


とても今交際が成立したばかりとは思えない会話だが、俺達には必要な事だ。

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