Genius side 6

相変わらず住職顔負けの正座をした彼女にお茶を入れようとしていると、燈子がやってきて引き継いでくれた。


「片腕では大変でしょう?お邪魔はしませんのでどうぞ座っていてください。」


その言葉に甘え、今回は横ではなく向かい合う形で座る。


燈子は宣言通りお茶と菓子を置くと、静々と部屋を後にした。


「まあ、取り決めって言ったけど、ほら、堂々とやるとさ危険でしょ?主に鈴さんが。」


冷静になって頭が回るようになったのか、首を縦にブンブンと振っている。


「変装してデートするって手もあるけど、多分バレると思うんだよね。」


恐らくそういういかにも少女漫画的なのを期待していたのか、見るからにガッカリしていた。


「後、そうだな。二人きりの時は名前で呼ぶように。」


呼びかけるタイミングを窺っているのか、何度も視線を上下させる姿はまるで壊れたおもちゃの様だ。


「あとは~…そうだな。SEXは今日してもいい?」


彼女は口に含んだお茶を噴水よろしく盛大に吹き出した。


「おおっ、凄いね。リアルにそんな反応する人初めて見たよ。貴重な体験だ。」


冷静なこちらとは裏腹に、咽ながら真っ赤な顔でテーブルを拭いている。


「で?どうする?してく?」


何となく思っていたのだが、俺からいつもの好青年が剥がれ落ちている気がした。


もしかしたら、自分が思っている以上に気を許しているのかもしれない。


「あ、あの、ゴメンね。今日は、その、色々準備が出来てないから…。」


心の準備と体の準備、両方あるだろうから仕方のない事だ。


こちらとしても無理矢理に今日したい訳でもない。


「分かった。じゃあその内ってことだね…楽しみに待ってるから。」


わざと体を舐める様に視線を這わせると、彼女は頭から湯気を出しそうなほど真っ赤になっている。


「後は、もうちょっとリラックスするように。そのままじゃ一緒にいても楽しくないでしょ?」


この面白い反応を見れなくなるのは残念だが、流石にいつもこれでは困る。


少しだけ和らいだ笑顔が返ってきたのを確認した後、何となくリモコンに手を伸ばした。


『スポーツニュースの時間です。本日は先日行われました、日本スーパーフェザー級タイトルマッチをハイライトでお送り致します。』


いつの間にか夕方のスポーツニュースの時間になっていた様だ。


少し微妙な空気が部屋に漂う。


「チャ、チャンネル変えよっか…?…見たくないよね?」


今チャンネルを変えるのは、何となく逃げるようで面白くなかった。


「いいよ。このまま流して。客観的に見る良い機会だ。」


ハイライトで流される試合の映像に、隣にいる彼女を忘れて集中していく。


『チャンピオンの右~~っ!挑戦者ダウ~~ンっ!』


こうして外から見ると、いや、外から見るからこそ余計に差が分かる。


(これで負けるのか?何で負けた?敗因は…。)


思考の渦の中に没頭しながら、既に過ぎ去った決着の時を眺める。


(…七ラウンド途中からの変化が異常だ。あれは何なんだ?もしかしてゾーンってやつなのか?いや、少し違う気がするな。)


それまでは誰が見ても圧倒的な能力差があった二人。


それが一瞬で縮まり、また次の一瞬では並ばれていた。


(反応速度が完全に俺を越えていた。追い詰められれば力を発揮する。そういうタイプの奴が世の中にはいるって事なのか?)


普通に考えればそれにも限度がある。


あのダメージから試合を引っ繰り返すなど通常考えられない。


(違うな。あいつが特別なんだ。そういえば白井や綾子さんも言ってたな。)


思い出すのは試合前にあの二人が危険視していたという事。


その時にはまるで聞く耳持たなかったが、今ならその意味が分かる。


(今にも死にそうな顔してやがったな。いや、本当にその覚悟があったのかもしれない。)


そう考え至ると、背筋に冷たいものが走った。


命と引き換えにしてでも勝利を掴もうとする精神性…執念。


命を懸けるなどという言葉を吐く人間は五万といる。


だが、本当の意味でそれを引き換えに出来る人間はそう多くないだろう。


(俺にはない?こいつにはあって?そんな事が…。)


今の今まで感じていなかった敗北感が沸き上がってくる。


心が黒く染め上げられていく、そんな気がした。


その時、柔らかい感触が体を包む。


「あ、あの、怖い顔してたから…。みこ…裕也君は大丈夫だよ。だって強いもん。誰にも負けないくらい頑張ってるし強いもん。」


不思議と良くない方向へ行きそうだった思考が正常に戻ってくる、そんな気がした。


「生意気に俺を慰めてるの?でもSEXは駄目なんでしょ?」


やはり自分は人に甘えられない質らしく、弱さを隠す様に揶揄いを口にする。


すると、彼女は意を決したように顔を上げた。


「い、いいよっ。ただ、その、色々処理とかしてないから…電気消してください…。」


俺は目に見えて無理をしている彼女の頭を撫でると、勢いよくデコピンをかました。


「痛ったっ!?…え?え?何で?」


彼女は訳が分からず、恥ずかしさと痛さで涙ぐんでいる。


「晒すならベストの姿を晒してくれ。」


何故だろうか、自分の気持ちが分かってしまった。


俺は、この女に惚れているらしい。


この流れで抱くのはもったいないと思ってしまったのだ。


その後は、他愛のない会話をしてから彼女を家まで送った。














その夜縁側で寛いでいると、綾子さんが静かに隣り合わせ腰を下ろす。


「…彼女が出来たらしいじゃないか。おめでとさん。」


燈子から聞いたのだろうか、その表情は本気で祝福してるのかどうか微妙な所だ。


「いいんじゃないかい、あの子。あんたみたいなのにはああいう普通の子が合ってるよ。」


あんな面白い反応をする奴が普通かどうか判断しかねる所だ。


まあ、この人に比べたら大抵の人間は普通になるのだろうが。


下手をすれば俺でさえもそのカテゴリーに分類されかねない。


「安心しな…虐めたりしないよ。」


くっくっと笑いながら綾子さんは語るので、全く信用できないのだが、不思議と弱い者いじめをするこの人というのも想像できない。


強いものに噛み付く事はしょっちゅうしているようだが、自分より格下であろう者に噛み付いた話は一度も聞いた事が無いのだ。


「…所帯持てば良い事も悪い事もある。」


一体どれくらい先の話をしているのだろうかと思い、視線をその顔に移す。


(もしかして俺の子供の顔を見たいとか思っているのか…?)


一瞬そんな事を考えたが、有り得ないと速攻思考から排除した。


「ま、邪魔はしないよ。困った事があったら言いな。できうる限り力は貸してやるよ。だって、あんたは私にとって……」


綾子さんは最後の言葉を言い終える事無く自嘲気味な笑みを零し立ち上がると、そそくさと自室へ戻って行ってしまった。


「何なんだよ…本当…。」


訳も分からずただ庭園を眺め過ごすが、その心は思いのほか晴れやかだった。

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