第七話 難敵

軽く息を吐きながらリング中央へと進み出る。


差し出してきたグローブに応え、こちらも合わせる。


そしてバックステップで距離を取ったのは相手方。


こちらはその動きを見た後、中央に陣取り落ち着いて構えを取った。


両者ともにオーソドックススタイル。


丁度鏡合わせの様な体勢。


(正面には立たない。ジャブを突きながら細かくサイドステップ…)


会長に言われた注意事項を心の中で繰り返し、さて行くかという時、相手は右のグローブを少し前に突き出しこちらを牽制してくる。


邪魔だと払った瞬間に、自慢の左をズドン、という狙いだろう。


だが俺はそれを無視、キュッと音を響かせ左側に素早くステップしてジャブを放っていく。


そしてこちらに体を向けようとした瞬間、再度、今度は逆側にステップしもう一発。


「シッ!」


だがこれは前に突き出した右で弾かれた。


まだまだと言わんばかりに、左右へのステップワークを繰り返しながら左。


「シッ!シッ!シッ!」


しかし、流れを掴むには至らない。


チャンピオンとの試合が活きているのだろう、こういう動きにはしっかりと対策してきた様だ。


相手は右足を軸にして細かいステップを踏み、中々こちらをサイドに回らせてくれない。


前に突き出した右も嫌な感じで邪魔をしてくる。


その反面リードブローの数は減っているため、攻撃よりも守備に重きを置いたという所か。


恐らく焦れて大振りになった瞬間のカウンターを狙っているのだろう。


それでも当初の作戦通り、ジャブを突いてはサイドにステップ。


更にジャブ二連打。


一発は上を、二発目はボディへと放つ。


こうして上下に打ち分けて行けば、そのうち隙も生まれる筈だ。


(焦らず一つ一つ積み重ねるのが正解の筈。狙いすぎれば向こうの思うつぼだ。)


左を警戒し、時折放ってくる牽制の右を丁寧に対処しながら組み立てていく。














「どうですかね?」


どちらも決定打に欠ける中、第三者目線ではどう見えるのか知りたかった。


「うん、問題ないよ。手数でもこっちが上だ。このまま行こう。」


こうしてお墨付きをもらえると精神が安定する。


そして口に含んだ水を吐き出した後、ゆっくりと立ち上がった。


ゴングを聞き第二ラウンドのリングへ進むと、先のラウンドを踏襲すべく、中央で陣取る。


相手の構えは相変わらず、突き出した右が非常に邪魔だ。


だが、それを表情には出さず、気にしていないという意思を込めた左。


「シッ!」


突き出した右に当て、弾いた所をサイドステップして更に左。


相手は半歩ほど下がりながら器用に捌く、中々の技量だ。


こうして向かい合っていると、こちらだけでなく向こうも攻めあぐねているのが伝わってくる。


強引に行けば、そこから一気に均衡が崩れるだろう。


これはそういう試合だ。


「シッ!シッ!」


右側にステップし、上下に打ち分ける。


すると、相手はレフェリーの方に視線をやりローブローの意思表示。


だが受け入れられず、そのまま続行。


そしてラウンドも残り三十秒ほどになった時、再度レフェリーにアピール。


今度は割って入ってきた。


「ちょっと低いよ。ローブロー気を付けて。」


少し参ってしまう。


(くそっ、下はかなり打ちにくくなったな。)


ボディを打ちに行く時、左の打ち下ろしを警戒するとどうしても低くなるのだ。












「問題ないよ。こっちが優勢だ。このまま焦らして、向こうから無理に攻めてくる展開に持っていこう。」


水を吐き出しながら頷く。


中々に神経を使う試合だ。


(一度流れを持っていかれたら、そのままずるずると行きかねないな。)


集中する意味も込め、ふっと短く息を吐いた後立ち上がる。


第三ラウンドの開始だ。


ここまでは、相手の左を完全に封じていると言っても過言ではない。


ならばここからどう出てくるか、いくつかの選択肢を頭で思い描く。


一つは強引に攻めてくる事だが、この手段は恐らく取らないだろう。


と思っていると、相手は少し突き出していた右腕を折り畳んだ構えに戻している。


こちらの左への牽制が甘くなる半面、攻撃に振り分けたといった所か。


これはこれで、こちらとしては怖さもあるが、それ以上にやりやすくなるメリットも大きい筈だ。


(俺の生命線はジャブ。それが十二分に使えれば勝てるっ。)

「シッ!シィ!」


すかさずサイドステップからワンツー。


相手もタンタンタンっと、右足を軸に細かいステップを踏みながら応戦してくる。


ここまでの大人しい展開とは打って変わって、激しい主導権争いになった。


「フッ!シィッ!」


リードブローを掻い潜り、左フックから右ストレート。


相手はそれを最小限下がりながら、強めに叩き落とす。


「…っ!?」


そして右を叩かれ前のめりに体勢を崩した所、自慢の左ストレートが迫りくる。


スウェーでは間に合わないと瞬時に判断し、俺はそのまま前傾姿勢で潜り込んだ。


左が頭部すれすれを掠め冷や汗を掻くが、今度はこちらの番。


「シュッ!シィッ!」」


レバーブローから右アッパー、そして長居は無用と左を突きながら距離を取る。


(疲れるな。一瞬も気が抜けない…。)














「いい感じだよ。そろそろ行ってみようか。右から。」

 

そう、ここまで一発もサイドステップから右を打っていない。


会長の言う通り、そろそろ相手には初撃は左という印象が刷り込まれている筈だ。


「あっ、言うまでもないかもしれないけど、足の位置には気を付けてね。」


頷き、深く息を吐いた。


そして立ち上がり、対角線に視線をやる。


(次で決める。決めるべき時に決められるのが強いボクサーの条件だ。)


そんな決意を胸の内で反芻した後、ゴングが鳴った。


中央に進み出て、まずは牽制のジャブ。


まるで挨拶の様に相手も右を突き出し、互いの拳がぶつかり合う。


パシンッ、パシンッ、パシンッ。


その場で軽く突き合いながら、タイミングを計った。


その眼光から、動いた先の標的に左を打ち込もうとしているのが分かる。


互いの間合いや呼吸も何となく分かってきた頃合いの第四ラウンド。


こちらが勝負に出ようとしているのと同じ様に、向こうも狙っている。


俺の動きの速さやタイミングを掴んだということだろう。


(今っ!)


強い左を放つ。


相手の右が弾かれる。


キュッと音を響かせ、左側へステップ。


やはり左を警戒し、相手は右を突き出してきた。


整わぬ体勢、ガードの隙を見切る。


(このタイミングなら当たるっ!!)

「…シィッ!!」


狙いすました右ストレートが走る。


だが、それを打つ瞬間、あの癖が出てしまったのを悟った。


手首をぴくっと一瞬内側に捻る癖が。


案の定反応され、相手は歯を食いしばりながら、直撃を避けるため首を捻る。


バシンッ!


グローブが肌を打つ音が響いたが、間に挟まれたガードにも僅かに当たり、決定打には至らない。


(浅いっ!くそっ!何でこんな時にっ…!)


しかし、相手は思いのほかダメージがあったらしく大きく距離を取っていた。


(切り替えろっ、過ぎた事は良いっ、ダメージはあるんだ、ここからまとめる!)


激戦を制した経験が活きたか、引き摺る事無く気持ちを素早く切り替える。


(まずは足だ、足を止める。)


キュッキュッっとシューズを鳴らしながら、相手を先回りする様に動きを制していく。


そして後一歩でお互いの距離という微妙な立ち位置で、フェイントを掛け合い探り合う展開。


「二分!」


牛山さんの声が響き、残り時間を告げる。


(動いてこないな。このままじゃ回復されるかもしれない。)


このままでは埒が明かないと、右のフェイントから左ボディ。


相手はしっかりとガードした後、左ストレートの構え。


(避けてレバーブローを狙うっ!)


上体を僅かに下げ、肝臓を突き上げる体勢を作った。


しかし、顔面を狙っていると思われたそれは、思いのほか軌道が低い。


「…っ!?」


相手の左ストレートが顔面ではなく腹を狙っている事に気付くが、時すでに遅し。


ならばと覚悟を決め、ほぼ同時にこちらもレバーブロー。


「くっ!!」


打つのと同時に、体を半身にして衝撃を逃がす。


互いの腹を強烈に叩き合いダメージは残るが、ここが勝負所と堪え、もう一発肝臓を突き上げた。


「…シュッ!」


そこでレフェリーが割って入る。


第四ラウンドの終了だ。

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