三章 凡賦と天賦

第一話 上を目指して

前王者との試合から数日間は、取材やらなんやらで意外に忙しかった。


テレビの取材に、新聞雑誌の取材など初めて会う人もいた。


そしてボクシング雑誌記者の松本さんも、この間来たばかりなのに再び顔を覗かせている。


「どうも、この間の試合見事だったね~。これで恐らくランキングは一位になるよ。となるとだ、どうしても挑戦者決定戦の事を聞かなきゃならないよな。」


今時珍しい手帳片手のスタイルで、こちらを覗き込む。


「それでさ、もう一つ聞きたい事があるんだけどいいかな?」


松本さんは目を輝かせながらグイって身を乗り出す。


俺がどうぞどうぞという感じに促すと、では早速と切り出してきた。


「この間の試合のフィニッシュブローなんだけどさ、あれ、サウスポースタイルから打ってたよね?それを見てさ、もしかしてこれからは、スイッチスタイルで戦っていくのかと思ったんだよ。」


正直それを聞かれると困る。


そういった方針は会長に丸投げしているため、回答を求めるべく視線を向けた。


視線を向けられた会長はというと、少し困った顔をしながらこちらに歩み寄る。


「う~ん、そう言われてもな~、あれは統一郎君がとっさの判断でした事ですし、これから物になるかも分からないので…保留にさせてください。」


という事は、そういう可能性も模索しているのだろうか。


ふと、自分がサウスポースタイルになった時の利点を考えてみた。


まず左のジャブが使えなくなる、これが一番のデメリットだ。


というよりも、これだけでもう駄目だと思ってしまうほどの絶望感がある。


その表情が顔に出ていたのだろう、松本さんが笑いながら問い掛けてきた。


「はははっ、当の本人はまるで乗り気ではないっと。という事はあれかな?左の一発を打つ時だけの形にするとか?正に必殺技だね。」


そう言われ思い描くと、案外しっくりくるものがあった。


「それは内緒ですよ。これから強敵が控えてるんですから。あまりこちらの内情書き立てないでくださいよ?」


それ以上は秘密だと言わんばかりに、会長がストップを掛ける。


「それは申し訳なかった。確かにそうですね。御子柴君は今すぐ世界に出ても通用するレベルだからな~。まあ私個人としては、一人のボクシングファンとして良い試合を期待するだけですよ。」


そう言って視線を流すと、取材を続ける。


「そういえば遠宮君はあまり腫れない体質なんだね。今までの試合でも何度か打たれたりはするけど、痣で治まってるし。」


振り返ると確かにその通りかもしれない。


といっても、視界が塞がるほど顔を打たれた経験はないつもりだが。


「それは有利な一面だよね。備前君もそれにはかなり悩まされていたようだったし。」


思い返すと、三ラウンド目にはもう視界が塞がるほど腫れ上がっていた。


あれがなかったら勝てただろうかと、今更ながらに思う。


一通りのことを聞き終えた松本さんは、練習を見学したいというので会長に許可をもらっていた。


すると、ジム内を歩きながら俺の一挙手一投足を眺めては手帳に何かをしたため、記者として意外に生真面目な一面を見せている。


そしてある程度知りたかった事を書き終えたのか、牛山さんと何やら話を咲かせていた。


「…そうなんですよ。結構甘口もいけるもんですよ?今度おすすめの清酒紹介しますよ。帝都で作ってるんですけどね…」


「甘口かぁ~、う~ん、やっぱ清酒は辛口じゃねえか?」


「物は試しですって、絶対気に入りますから。」


何の話をしているのかと聞き耳を立てると、どうやら酒の談義を始めているようだ。


やれやれと思いながらも、楽しそうにしているのは結構な事と自分の練習に戻る。







そして会長のミット打ちが終わりリングを降りると、今度は佐藤さんが話を聞かれているようだった。


「佐藤君は新人王戦出なかったんだね。優勝狙える逸材だと思ったんだけどな。」


高評価を受けた佐藤さんは、照れくさそうに口を開く。


「いやいや、そこまで大した選手じゃないですよ自分は。環境に恵まれてるだけのことですって。」


言うほど環境に恵まれているとは思えないが、謙遜の一つだろう。


「そういえば佐藤君はこっちの出身じゃないんだろう?このジムに通う為に引っ越してきたのかい?」


シャドーをしながら耳を傾けているとそんな質問が聞こえてきた。


これには自分も興味があった。


そういえば、そういった経緯については聞いた事が無いと今気づく。


「そういう訳じゃないんですよね。勤めてた工場で異動があって、それが偶々こっちの県だったっていうだけなんです。その時にテレビで遠宮さんのこと知ってから、何かこう胸がざわざわッと。」


こういう言われ方をするとなんだか気恥しくなってくる。


それでも自分を起点にして誰かが影響を受けている事実を知ると、誇らしい気分になるのも確かだった。


佐藤さんにも聞きたい事を聞き終えた松本さんは、次の狙いを明君にしたようだ。


「菊池君、今クーリング中だよね、ちょっといいかな?」


まさか自分に来るとは思っていなかったのか、見て分かるほど動揺している。


「あ、は、はい。大丈夫です。」


それを微笑ましそうに皆で眺めていた。


「この間ライセンスを取って、十七歳にもなったわけだけど、デビュー戦の意気込みを聞かせてもらおうかな?」


明君は緊張しているのか、何かを考えるように視線を宙に漂わせる。


「は、はい。先輩二人がどちらも無敗なので、自分もそれに続き、森平ボクシングジムの連勝記録を守りたいと思います!」


言われて初めて気づいたが、そういえばその通りだ。


このジム所属のボクサーで、まだ黒星を喫した人がいない。


といっても、今までは二人しかいなかったわけだが。


「そうか。確かにそう考えると凄いね。遠宮選手に佐藤選手、二人共未だ無敗のホープだ。」


自分の口からではなく、他人の口から聞くとまた違う感じに聞こえるのか、明君は目に見えて固くなってしまった。


「ああいやいや、それでも君は君だよ。自分の道を突き進めばいい。そうだ成瀬会長、デビュー戦の日取り決まってるんですか?」


俺と佐藤さんは会長に視線を向けるが、牛山さんと明君は既に知っているような雰囲気だった。


「そうですね…。本人には伝えてあるんですけど、来月の始めくらいに決まりそうだって。場所は多分帝都になると思います。」


どうやら、まだ本決まりではないため自分たちにはこれから伝える予定だったのだろう。


「九月の始めというと、フライ級のタイトルマッチがありますね。もしかして、そこの前座ですか?そういえば第一試合のカード、相手決まってなかったな。」


会長は。肯定の意思を示す。


「なるほど、十月には挑戦者決定戦もありますし、中々忙しくなりそうですね。」


松本さんは手帳に視線を落とし、何かを書きなぐった後、


「では、有難う御座いました。また伺いますのでその節は宜しくお願いします。」


陣営全員揃って頭を下げると、その背中を見送った、と思ったら松本さんは立ち止まり振り向き告げる。


「そうそう、御子柴君は決定戦の時期に合わせて防衛戦やるみたいだよ。」


そう語った後、今度こそ本当に帰っていった。


「エンターテイナーだね~。強大な自分の力を見せつけて、それにどうやって挑むかって形を作りたいんだろうね。」


自分自身に絶対の自信があるのだろう。


そして、その自信に負けずとも劣らぬ実力もある。


あの備前選手を、試合展開さえコントロールして圧倒するほどの実力が。


だが、それでも勝つのは俺だ。


その気概さえ失ってしまえば、本当に勝機は無くなってしまうのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る