第八話 王者の在り方
「お前、手ぇ抜いてないか?油断してると痛い目見るぞ。割とマジで。」
手を抜いているというよりは、色々な事を考えながらやっているというのが正解だ。
まあ、本気を出しているかと聞かれれば否と答えざるを得ないが。
「はぁ…はぁ…そんな事ないですよ。結構疲れてますよ?」
白井は疑わしそうな目を向けてくる。
試合中の選手にセコンドが向ける目ではないと思うのだが、まあよしとしよう。
第六ラウンドに入り、そろそろフィナーレに向けての準備に掛かる頃。
クロスレンジでの打ち合いを演じつつ、側頭部や顎、肝臓を叩きダメージを積み重ねていく。
(終わらせるのは次のラウンドにするか。逆転劇にしたかったが、流石に無理があるな。)
力の差があるとは言っても、ピンチを演じるなどという離れ業をやるのは危険な相手。
一発貰えば効いてしまうくらいのパンチはまだまだ残しているからだ。
それでも動きは鈍っており、よほどの事がなければ当たったりはしないだろう。
だが、油断があった。
それは認めるしかない。
頭の中はどう幕を引くかで一杯になっており、集中力も欠いていたかもしれない。
引き金はまたもクリンチだった。
(…落ち着け。………くっそ、長えな。)
相手は腕を絡める様にしてしがみ付き、レフェリーの声を無視して離そうとしない。
長い接触で体には鳥肌が立ち始める。
あわや減点になろうかというその時、漸く引き剥がされ試合再開となった。
自分が苛立っているのが分かり、冷静さを取り戻すため深呼吸をした瞬間。
「…っ!…っ!?……くっ!!」
両者の間に立つレフェリーをはじき出す勢いで、猛然と襲い掛かってきたのだ。
(…腕が痺れるっ。くっそ、まだこんな力あったのかよっ。)
この試合、現王者の強打は殆ど受け流しており、正面からガードしたのは数えるほど。
ましてやこれほど連打でもらう事は想定していなかった。
その強打は自慢する程度のものはあり、体勢を保つ事が出来ずコーナーまで押し切られていく。
だが、それで倒されるかと言われればそれはまた別の話。
いつもは攻撃に割いている感覚の一部を防御に回し、冷静に凌ぐ。
「…シッ!」
機先を制すショートパンチを当て威力を殺しつつ、時が過ぎ去るのを待った。
追い詰められながらも、その要所要所でフィナーレの準備を重ねながら。
「どうだ、痛い目見ただろ?だから本気でやれっつうの。………次で決めて来いよ。出来るんだろ?」
白井は揶揄う様な表情から一転、鋭い眼光で俺を促す。
「ええ。次で終わらせますよ。勉強させてくれたお礼に綺麗に決めてきます。」
苛立ちではない何かが心の中に渦巻いていた。
油断も慢心もいつもの事。
それでも今まで痛い目を見る事はなかった。
だが、今回初めて危ないと思わされ、暴力的な感情が心の中に渦巻いている。
この感情には覚えがあった。
いつかの俺を嬲った者へと向けられたそれに近いものだ。
ゴングが鳴る。
一歩一歩歩みを進め、標的との距離を詰めていく。
構えはインファイト用ではなく、胸部まで左を下げたデトロイトスタイル。
(許さねえぞ。よくも俺をコケにしたな。殺してやる。動かなくなるまで殴ってやるぞ。)
只の逆恨みである事は承知の上だが、理性を越えた感情に道徳は通用しない。
標的の呼吸を感じた。
手に取る様に分かる。
絶対に反撃出来ないタイミングというのが人間には存在する。
思考ではなく、生まれ持った才能がもたらす感覚に身を委ね、その獰猛な暴力性を解き放った。
「シッ!シッ!シッ!シィ!…フッ!!」
右の出端を挫き、反撃に転じようとした機先を制し、がら空きになった顔面に右ストレート。
「ダウン!ニュートラルコーナーへ!」
会場を大歓声が包み、そしてすぐ後どよめきが包んだ。
王者が満身創痍といった面持ちで、しかしその闘志を未だ燃やしながら立ち上がっていた。
(殴り足りなかった所だ。丁度良い…サンドバッグになってもらおう。)
顎を打ち抜けば終わるだろう。
だがそうはしない、してやらない。
肉を削り取る様に鋭いパンチを浴びせ続け、そして俺が満足した頃、漸くレフェリーが割って入り試合終了を告げた。
最終ラウンド、残り三十秒だった。
試合後、控室に戻った俺を報道陣が囲む。
「御子柴君、見事なKО勝利だったね。次戦の予定はもう決まってる?」
「一枚!一枚お願いします!」
「早くも世界へという声が囁かれてますが、陣営としてはどう考えていますか?」
煩わしい事この上ないが、こういう者達への対応もしっかりこなしてこそだろう。
「次戦の予定は会長に聞いてください。これからの展望も同じくです。すいません、面白いこと言えなくて。ですが強敵との試合後なので…。」
自分の事だけではなく、相手を持ち上げる事も忘れてはいけない。
心の内がどうかなど関係なく、謙虚さを好む者が大勢なのだから。
そうして報道陣が散った頃、漸くシャワーを浴び一心地着く事が出来た。
「良く口が回るもんだな…。何が強敵との~だよ。そんなこと微塵も思ってねえくせに。」
そんな皮肉を語る白井が手にしているのは日本チャンピオンベルト。
「ほらよ、お前のもんだ持ってけ。まあ、お前にとっちゃ大した価値ねえんだろうがな。」
正直本当にそう思っているのだが、本音を晒す訳にもいかないだろう。
「そんな事あるわけないじゃないですか。感慨深いですよ。ここまで来たんだって。あ、それはそうと白井さん、ベルト預かってもらえません?」
白井はうんざりとした顔で頷き、おもむろにケースに仕舞っていた。
それから多少の時が経ち、タイトルを手にすると同時にメディアへの露出も当然増えた。
国内タイトルを取った程度で騒がれるのは何か癪に障るが、騒いでいるのは普段ボクシングなど見もしない者ばかりなので、まあ良しとしよう。
年末の特番では球技等もやらされるらしいので、こっそりと時間の合間を縫って練習していたりもする。
たとえ専門外の、しかもプロが相手であったとしても、負ける事はプライドが許さない。
その為にやってきたのはバッティングセンター。
最初は恥を掻かない為にやっていたものだが、これが意外なほどスカッとするので、もうそれなりの回数足を運んでいる。
勿論ここに来る際には深々と帽子をかぶって顔を隠す。
しかしファンの情報網とは凄いもので、いつの間にか俺のバッティングを見ようと人が集まっていた。
やはりというべきか、その殆どは若い女性で中々に姦しい。
「キャーッ、御子柴く~ん!こっち見て~!キャーッ、カッコいい~~!」
ただ真っ直ぐ飛んでくる球を打ち返しているだけなのに、ここまで褒められると皮肉にすら聞こえる。
この女達にそんな意図がないのは分かっているのだが、出来て当たり前と思っている事を褒められるのは、どうにも座りが悪い。
運が良かったのは、やり始めた頃のみっともない姿を見られなかった事だろう。
いくら俺でも最初から何でも上手くやれる訳ではないのだ。
それでも今ではマシンの球限定だが、百四十キロ程度ならホームラン性の当たりをかっ飛ばせる様になった。
流石にそれ以上になるとヒット性の当たりが限界だ。
この様にカリスマ性やスター性を維持するにはそれなりの努力が必要になる。
だからこそ、何も努力せずネットで批判する様な者達に揺さぶられる事は絶対無い訳だが。
何の根拠もなく自信がつくというのはあり得ない。
そんなものがあるとしたら、それはただの幻想と言わざるを得ないだろう。
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