第二十六,五話 サイドビュー4
【赤コーナーサイド】
「変則的な事も出来るんだな。今までの試合では見せていなかったが。」
違う、あれは変則的とかそういう類のものでは無く、単に覚悟を決めて突き進んできただけ。
今までもああいう選手はいたし何度も返り討ちにしてきた。
だが彼の違う所は、あんなやり方をしていても頭は極めて冷静と言う一点。
そろそろ試合も中盤、いつもならこの辺りから私の消極的な姿勢に非難の声が上がる頃だ。
「珍しく息が上がってるな。どうした?」
マークに言われ初めて気づく、自分の呼吸がいつもより乱れている事実に。
次が第七ラウンド。
他の選手ならいざ知らず、こんな早い回に私が息を乱している?
デビュー当時ならあったが、ここ最近では無かった事だ。
何故?
プレッシャーを感じているのか?
あの年若い青年に?
こんな平和な場所しか知らない子供の様なあのボクサーに?
「…何の問題も無いさ。特に疲れもダメージも無い。」
自分でも分かっている、これは只の強がりだ。
自分の心は偽れない、じわじわと内側から圧迫してくる何か得体のしれないものを確かに感じている。
だとしてもやるべき事や出来る事…それらは何も変わらない。
私がすべきを為し、今まで通り家に帰る…ただそれだけだ。
なのにまたもリング下に視線は向かう、そしてアランと目が合った。
不安そうな瞳、何故?
私が負けると思っているのか?
(…いや違う…怖いのか?俺が非難される事が…聞きたくないと…見たくないと、そう思っているのか?)
アランのその辛そう顔が、打たれるよりも…負けるよりも…もっともっと私を苦しめる。
気のせいかいつもより体が重く感じるよ、いや重いのは体ではなく…心か。
【赤コーナー側観客席最前列】
「大丈夫よアラン、パパは必ず勝つからね。」
不安気な瞳をしている息子に、私は優しく頭を撫で語り掛けた。
「…うん、知ってる。」
私だって本当は分かっている。
アランが怖がっているのは彼の負ける姿などではなく、他者から否定される父親の姿なのだと。
そう、決して父の勝利を嬉しく思わない訳では無い。
周りの声など関係なく誇らしいと…そう言えるほど大人ではないだけ。
でもそればかりはどうしようもない事。
パパは家族のために戦ってくれているの、胸を張って誇りなさい…としか私は言えない。
アランが夫の試合を見たくないと言うのは好きの裏返し。
大好きだからこそ、大勢の人に否定される父の姿を見たくないという…そんな意思の表れ。
恐らく勝利自体を疑った事などないだろう。
でも何故か、今日の夫はいつもと違う気がする。
浮ついているというか、集中しきれていないというか。
先ほどからラウンドが終わる度に私達に視線を向けては、何かを確認する様な表情を見せるのだ。
今までこんな事は一度たりともなかった。
あの人はいつでも仕事としてボクシングに集中していたし、ましてや試合中雑念に囚われるなどそれこそ記憶にない。
(…貴方の好きにして良いのよ。私たちは今でも充分に、良い生活をさせてもらっています。)
届く筈も無いが、私はそんな思いを彼に投げかけた。
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