第39話 雛鳥の明君

「五十八,…八㎏…はい大丈夫です。」


俺がもう下りていいのかと視線を送り聞くと、係員が頷き返してくれた。


この瞬間は何度やっても緊張するが終わってしまえばこちらのもの、いつも通り会長にドリンクをもらい、少しずつ口を付ける。


乾いた体に染み込んでいく感覚。


これがたまらなく気持ち良い。


付き添いは会長だけで、残り二人は買い出し等に行ってくれている。





計量後、外で待っていた二人と合流していざお待ちかねの食事タイム。


「坊主は何か食べたいもんあるか?」


牛山さんにそう聞かれると、食べたいものがありすぎて困ってしまう。


なので、明君に丸投げする事にした。


「え?お、俺ですか?いや、特にこれと言っては…。」


困らせてしまったようだ。


やはり他力本願は良くないと思い直し考えて告げる。


「パスタなんか良いかな。只、結構高く付くかもしれないのでどうかと。」


牛山さんは俺の言葉に対し、余計な気を遣うなと言った後スマホで店を調べ始めた。


そして俺達がやってきたのは、会場から十分程歩いた場所にあるパスタ専門店。


店内に入りメニューを眺めると、やはり殆どが千五百から二千円程はする。


しかも、料理名を見てもよく分からない言葉ばかりが並んでいた。


料理を趣味と言っても過言ではないと自称する俺だが、その実あまり料理名には詳しくない。


「気にしねえで頼め。明もだぞ。ガキが要らねえ気を遣うなよ。」


それではとお言葉に甘えて、三皿頼んだ。


これだけで五千円オーバーとは、都会とはかくも恐ろしき場所か。


頼んだのは、なんちゃらのジェノベーゼ、おなじくバチナーラ、更に何とかリチャーナ。


正直ジェノベーゼ以外聞いた事もないが、正体が不明なだけにワクワクする。


出てきたパスタは皆一様に美しく盛り付けられていて、見ると心が躍る様だ。


だがそんなパスタをフォークで救い上げては掻っ込む俺を見て、明君は唖然としている。


「これは統一郎君が特別なんだからね。明君は真似しない様に。」


多分彼が驚いているのは減量後だからという事ではなく、行儀の部分ではないだろうか。


味の感想はと言うと、まあ普通に全部旨かった。


不満な点があるとするなら、量が物足りない点だろうか。


と言っても、元々パスタの店はそんな食べ方をする場所ではないのだろうが。





食事を終えた後は全員でいつものホテルに足を向ける。


俺は所在無さげにしている明君を気遣い部屋へ案内した後、ベッドにダイブし一息ついた。


そしてストレッチをした後、今回もジンクスに則ってあの男にメールを送る為スマホを開く。


『拝啓相沢様。残暑厳しい中どうお過ごしでしょうか。昨今は地球温暖化が叫ばれ久しいですが、わたくしの実感と致しましてはどうにも……』


ちょっとふざけたメールを送ってみた。


正直、送る内容とかは結構どうでもいい。


やらないと落ち着かないだけだ。


少し待つと返信が来た。


『こっちは仕事してたのに、変なメール送ってくんなw』


少し悪い事したと思いつつこういう記号も使うんだなと意外に思っていると、もう一通。


『正直プロに転向するか悩み中。オリンピック遠すぎね?』


確か次のオリンピックは二年後で、開催地はヨーロッパの方だったはずだ。


そう考えると確かに長い。


もしかしたら彼の路線変更に自分の試合が影響を与えているのかもしれないと思うと、少し誇らしくなる。


彼の場合アマチュアの経歴がある為、B級ライセンスからスタート出来るはずだ。


丁度明日の試合を勝てば俺も四勝なので同じ高さに立てる。


その代わり相沢君は経歴が新人王の出場規定を超えている為、このトーナメントには出られない。


いや、期間を置けば出られた様な気もしたが、それでは結局待つ事になるので意味は無いだろう。


『相沢君はアマチュアよりプロ向きだと思うから良いと思う。でも、同じ階級はやめて下さい。』


ふざけた様に書いているが、これは割と本心だ。


アマチュアの階級をそのまま行くなら確かフェザーかスーパーバンタムだから大丈夫のはず。


正直、彼とプロのリングで当たって勝てるかと言われれば疑問符が付く。


こちらの弱みも強みも知っている上、単純に身体能力でも向こうに分があるのだ。


『安心しろ。当たるとしたらタイトルマッチくらいしかねえ。それなら負けても本望だろ?』


恐らく自分があっという間にタイトルを取るからという意味だろう。


転向前から既にチャンピオンになる事を疑ってないとは、流石としか言いようがない。


恒例行事も済ませた所で軽食を摘みながら横になる事にした。





そうして体を休めて二十時を回った頃、何となく外を歩きたい気分になる。


一旦そう思うとどうにもそわそわしてしまい、フロントに鍵を預けると少しワクワクしながら夜の都会の街に繰り出した。


夜でも凄く明るい光景に興奮を覚えながら、ビルばかりの街を見上げ歩いていると首が疲れて少し休みたくなってくる。


少し立ち止まり首を解しながら、どこへ行こうかと思案しスマホを開く。


そうして何かないかと探していると、近くに神社のマークを見つけた。


帝都大神宮は知っていたが、それ以外の神社は知らなかったので興味をもって近くまで行ってみる。




少し歩き目的地に到着。


それはビルの間にある、凄く小さくて可愛い神社だった。


思わず気付かなくて何度も通り過ぎてしまったほどだ。


お稲荷様を祭っているらしく、賽銭箱の両脇にちょこんと鎮座しているのが愛らしい。


その姿が何だか愛おしく思えスマホで写真を撮った後、さっそく奮発して五百円玉を投入し手を合わせるが、勝利は自分で掴む為、特に願い事は無い。


そうして手を合わせたまま悩んでいると、こんな神社がある事を無性に彼女に知らせたくなってきた。


神社の娘だからといって神社が好きとは限らないのだが、少し緊張しながら写メを送る事を決意。


『こんな小さな神社を発見。何だか見つけられて得した気分。』


アドレス交換はしていたが、送った事は無い為凄く緊張した。


すると、直ぐに返信が返ってくる。


『小さくて可愛い神社だね。でも、ちゃんと休まないと駄目だよ?明日、頑張って!』


確かにその通りだ。


何だか妙なテンションになってしまって、気付いたらもう二十二時を回っている。


少し速足でホテルに帰ると、お風呂に浸かりぐっすりと眠った。






翌朝、明君も連れて軽く走りに出る。


毎回、丁度良い時間まで何をやって過ごすのが正解なのか悩む。


(試合の事を考えすぎると、ナーバスになりそうで嫌なんだよな。)


この時点になると大体の作戦などはもう決まっている為、改めて考える事も無い。


そして今回もいつも通り、昼過ぎになるとドーム近くのベンチでボーっとして過ごした。


会長と牛山さんは二人でどこかへ行ってしまった為、今は明君と二人で座っている。


都会の人には分からないかもしれないが、流れゆく沢山の人を眺めているだけで楽しいものだ。


だが、俺が楽しいからといって彼もそうだとは限らない。


そう思い、何か話題を探して話を振ってみる事にした。


「明君は野球好きなんだっけ?ここのドーム来た事ある?」


彼は隣で同じくぼーっとしていたが、俺に声を掛けられ再起動した様だ。


「あ、はい。何度か父と一緒に野球観戦に来ました。」


野球は世界大会なら楽しんで見れるのだが、ペナントレースとなると何故か興味が沸かない。


「そういえば、お父さん来るんだよね?だったら、恥ずかしい所見せらんないな。」


「は、はい。頑張ってください。」


試合をするのは俺なんだが、随分緊張している様だ。


だが、そういう彼を見ていると何故か落ち着いてくるから不思議だ。


そうして二人で景色を眺めていると、結構男女で仲睦まじく歩いている姿も目に付く。


これだと思い、明君に思いついた話題を振ってみた。


「明君は好きな女の子いるのかな?いるんなら聞かせてよ。」


そう聞くと、顔を赤くしてしどろもどろになる。


これはどうやら、意中の女の子がいるようだ。


「べ、別に、そういうのは、まだ、その…。」


これ以上追及するのは悪い気がしたので、この話はこれで切り上げる事にした。


よく考えれば、俺も告白などした事もされた事もない。


したいとは思っているが、如何せん状況が…。


そんな事を考えていると、こちらも気が重くなってくる。


そしてそれなりの時間が経った後、大人二人が合流し共に会場に向かった。







「六十四,五㎏。プラス五,六ですね。」


当日計量はいつもと同じ程度の増加だ。


何となくこの辺が一番動ける様な気がする。


控室に入り椅子に腰かけると、会長がバンテージを巻きながら今日の作戦について確認していった。


「機先を制したら懐に入って左右のショートパンチを当てていこう。でも無理はせず慎重に。相手は一発一発をしっかり踏み込んで打つタイプだからそれほど連打は利かないはずだよ。」


会長の言葉に頷きながら、集中力を高めていく。


だが、どっしりと構えている牛山さんの横で明君がきょろきょろしているのが面白くて、どうしても笑いが抑えきれない。


「明。お前が試合する訳じゃねえんだから、少し落ち着いてろ。」


牛山さんにそう言われ返事をするが、やはり落ち着かないようだ。


今の精神状態は、試合前としては良いのか悪いのか、判断付きかねる所。


良く言えばリラックスしている。


悪く言えば緊張感がない。


出番が近づきグローブを嵌めた後、モニターで見た相手を意識しながらシャドーを開始。


(こんなもんか。後は、直接見てどうかって感じだな。)


「統一郎君。行くよ。」


いつの間にか係員が呼びに来ていたらしく、後ろを付いて歩く。


前に視線を向けると、お爺ちゃんに付いていく孫の様に牛山さんの後を付いて歩く明君。


それを見るとまた吹き出してしまった。


そんな状態の自分に一抹の不安を覚えながらも、リングが見えるとやはり引き締まる。


そしてリングへ上がった頃には、心も体も戦闘状態になっていた。







「赤コーナ~…百三十パウンド~、森平ボクシングジム所属~…」


リングアナの紹介を聞きながら対角線上の相手を確認すると、モニターで見た感じよりも幾分か細身だが、背は高く見える。


実際、データ通りの体格でないのは良くある事だ。


聞いた話だと、人によっては十㎝以上もサバを読んでいたりもするらしい。


レフェリーに呼ばれ、リング中央で相対して確信する。


(これで百八十以下って事は無いな…。という事はリーチもデータとは違う可能性が高いか。)


最初から身長差とリーチ差があるのは分かっていたので、やりながら修正すれば良い。


そう自分を納得させながら、コーナーに戻る。


すると会長も同じ事を思っていたようだ。


「相手。情報よりも背が高いね。距離間とか確かめながら少し慎重に行こう。」


マウスピースを銜えながら頷くと、第一ラウンドのゴングが鳴った。

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