第40話 手を出さなきゃ勝てねえぞ

第一ラウンド、先ずは相手のKОパンチである右が見たい。


そう思い誘う意図で相手のグローブを力の抜いたパンチで叩く。


すると、反応して左を伸ばしてきた。


しっかり踏み込んだ力強い左だ。


腰をひねって腕を伸ばしてくるので、リーチ差以上に懐の深さを感じさせる。


問題の右ストレートだが、確認した試合映像では左を打つ際に力を溜めるため右腕を引いた体勢を取っていたので、反動の分威力が出るのだろう。


幸いパンチスピード自体はそれほどでも無い、不意を突かれなければ問題なさそうと感じた。


距離を取り相手が右を打ちやすい形を作るが、依然として左を突いてくるだけの展開。


(ちょっと露骨だったか…。)


カウンターを警戒させてしまったのだろう。


(参ったな。距離間だけでも知っておきたかったが、これではむざむざポイントをやってる様なもんだ。)


既に開始から一分が経過しており、このままでは収穫がない訳では無いがこのラウンドは取られるだろう。


そう思い打って出る事を決意する。


するとこちらの雰囲気を察したのだろう、相手の構えから緊張が伝わってきた。


ここまでのやり取りで一つ大きな収穫があるとすれば、ジャブを打つ直前ほんの僅かだがグローブの位置が下がり、そこから真っ直ぐ突いてくるという癖を発見したことだ。


モニター越しでは分からないほどの微妙な差だが、集中していれば見切れる違い。


中間距離を維持しながら、お互いにフェイントで牽制し睨み合う。


この距離はどちらかと言えば相手の距離だろうが、その差は十センチ程しか無い。


「シッ!」


今!そう思った瞬間、考えるより先に突いていた。


爪先と足首の動作だけで、十センチにも満たない僅かな距離を詰め最短を走ったジャブは、機先を制して相手の顔面を捉える。


そして空を切った相手の左を潜り、右ボディフック、更に腕を引き戻した瞬間を狙い左右のショートパンチを間断なく打ち続ける。


当たるなら軽いパンチでもダメージになるはずだ。


当たらないならそれでも良い。


元々強振する時に生じる隙を突く為の、誘うパンチだ。


同じように細かいパンチで応戦してくるなら、回転はこちらの方が上なのでそのまま迎え撃つ。


(なるほど。取り敢えずガードを固めて様子を見てこようって事か。なら好都合。)


ここまでで傾いた印象を奪い返す為、少しずつ立ち位置を変えながら叩き続ける。


そうしてトントントンっと細かく叩いている内に、相手の空気が変わっていくのを感じた。


(そろそろ来るな。この距離ならアッパーかフックだろ。)


反撃の一発目は、横から叩きつける様な右ボディ。


そして返しの左フック。


「…チィッ!」


想定していたより返しが早く、無理にカウンターを取りに行くのは危険と判断。


打たれた反動を利用し押される形でバックステップ。


こちらを追って踏み込み左を伸ばしてくるが、それをダッキングで躱す。


その瞬間、ついに右ストレートを打ってきた。


この距離なら安全と判断し、それをスウェーで躱す。


だが、思っていた以上に伸びてくる。


「……っ!?」


仰け反った体勢から更に顔を捻るが、僅かに当たってしまった。


限界までのけぞった所への被弾。


そのせいで体勢を保てず、背中がマットに着きそうになるのを防ぐ為、反射的に手を着いてしまった。


「ダウンっ!ニュートラルコーナーに戻って。」


ダメージは無い。


無いが、あまりの自分の迂闊さに腹が立つ。


その苛立ちをロープに叩きつけると、会長の声が響いた。


「冷静にっ!ここからが大事っ!」


その声で頭が冷え、電光掲示板に視線を向ける。


残りは二十秒といった所だ。


「ボックスッ!」


グローブをレフェリーが拭いた後。すぐに試合再開。


こちらにダメージが無いのは相手側も分かっており、直ぐにラッシュを掛けて来る事はなかった。


なので次のラウンドに繋げる意味でも、取り敢えずリズムを取る様にジャブを突く。


そして第一ラウンド終了を告げるゴングが鳴った。





己の失態に意気消沈といった面持ちでコーナーに帰ると、椅子が無い。


おかしいなと思い横を見ると、呆けた顔でリング上を見上げる明君がいた。


「明っ!椅子っ!」


牛山さんの声で我に返ると慌てて椅子を担ぐが慌てすぎたせいで足が絡んだのか、躓いて転んでしまった。


それを見た牛山さんが急いで駆け寄り、椅子を定位置に戻し一件落着。


何だかコントを見てるみたいで、さっきまでの沈んだ気持ちが消えていく。


「す、すいません!」


明君が申し訳無さそうに謝っていたが、彼の呆けていた理由が自分のダウンにあるとするなら、とても責める気にはなれない。


それ所か寧ろ体から力が抜けて、良い感じになった気さえする。


「落ち着いた所で状況確認と行こうか?ダウンは奪われたけどそこまで悲観する状況じゃない。分かるね?」


一連のコントで良い感じに落ち着けたので頭も回っている。


「はい。機先を制する事は出来ますし、スウェーじゃなくしっかりガードで対応すれば大丈夫です。」


その言葉に会長は安心したのか、頷いた後、それ以上は何も言わなかった。


大まかな作戦は俺の判断に任せるという事だろう。


そして第二ラウンド。


ゴングが鳴るとともに距離を詰め、いきなり仕掛けてみる。


少々強引ではあるが、ガードを固めつつ密着すると同時に左右のパンチを叩きつける。


そして相手が反撃に転じようとしたタイミングで、クリンチした。


このラウンドからは強引に距離をつぶして戦っていく。


と、思わせるのが目的だ。


第一ラウンドのやり取りから得た情報で、左の差し合いは間違いなく勝てる。


だが、それが活きる状況自体があまり無かった為、相手としては自分の距離を保てば勝てると思っているはずだ。


ダウンを取っている事もあり、その印象は強烈に残ったと想像出来る。


案の定、潜り込もうとするフェイントを見せると強い右で止めに来た。


この一発には、この距離を保てば勝てるという意思がありありと見て取れる。


最終的にはこの右を狙うのが目的なので、慎重にタイミングを計りつつガードしながらバックステップで受け流すと、相手は追い掛けざま踏み込んで左を伸ばしてきた。


その左もロープを背負わないよう注意しながら距離を取って躱す。


そしてガードを固め激しく頭を揺らす様にして、再びじりじりと距離を詰めていく。


これには相手の得意パンチの一つである、アッパーカットへの対策も含まれている。


先の試合でも潜り込もうとした相手を下から突き上げていた。


だが、ここまで激しく頭を左右に振れば中々アッパーを当てるのは難しいだろう。


それ所か、空振りから大きな隙にさえなりかねない。


「…シッシッシッシッシッ!」


伸ばしてくる左をガードで受け右をかいくぐり潜り込んだ後、左右のパンチを細かく浴びせていく。


フックからの返しのアッパーが予想外に鋭くヒヤッとさせられるが、これは体を捻り空を切らせる。


何度か同じ事を繰り返し餌を撒くと同時に、狙うべきタイミングを体に刻んでいった。





(残り時間は…もうすぐ三十秒か。次で仕掛けるっ!)


じりじり距離を詰め、何度目かになる中間距離での睨み合い。


慎重に左の癖を見極めながらキュッとシューズの擦れる音を響かせ、俺が踏み込まんとフェイントを仕掛けた瞬間。


(…今っ!!)


タイミングは既に掴んでいた。


狙ったのは、こちらの踏み込みを止める為伸ばされた右。


「……シュッ!!」


相手から放たれた右ストレートは、その腕が伸びきる事は無かった。


小気味良い快音と共にカウンターとなった俺の左が顎に突き刺さり、その膝を着いたからだ。


「ダウンッ!ニュートラルコーナーに戻って。」


レフェリーに押されコーナーポストを背に残り時間を確認する。


すると、既に残り十秒を切っていた。


(手応えはあったけど致命打という感じじゃないな。インターバルを挟めば回復される可能性もあるかも。)


そうは言ってもこの残り時間では出来る事も殆ど無い。


予想通り相手は立ち上がり、追い打ちを掛けようと踏み込むがゴングに止められてしまった。






自陣に戻ると椅子が置かれている事を確認してから、腰を下ろす。


しっかり椅子が出てくるかを心配する選手など、俺くらいのものじゃないだろうか。


そう考えると、また少し頬が緩んでしまう。


「しっかりポイントを取り返したね。でもこれでまだイーブンだ。油断は禁物だよ。次のラウンドからは本来のポイント重視のボクシングに切り替えるのも悪くないね。」


確かに向こうのダメージが不明な以上、慎重に行くに越した事は無い。


右の射程距離もある程度は見切っている為、気を付ければ初回の様なミスはしないだろう。


そして第三ラウンド。


「シッ!シィッ!」


まずは相手のダメージを確かめるべく、開始直後にワンツーを放ってみる。


すると意外に力強い反撃が返ってきた。


どうやら思ったほど決定的と言うダメージでは無かったらしい。


(カウンターも警戒されているだろうし、本来のボクシングに戻した方が良さそうだな。)


頭をすっぽりと覆う様な構えを取っていた先程とは違い、このラウンドは本来のオーソドックスな構えに戻した。


キュッキュッと軽快な音を響かせる。


グローブを何度か小刻みに動かしフェイントを仕掛けた後、相手の出鼻を挫く左。


「シッ!」


癖は既に見切っている。


簡単に修正出来ないからこそ癖というのだ。


だが人の事は言えず、勿論それは俺にもある。


単発で右ストレートを打つ時、ほんの僅かではあるが内側に捻る様にグローブを動かしてしまうのだが、これは会長に指摘されるまで気付かなかった。


意識している分には修正出来るのだが、頭から抜けると途端に顔を出す。


それもあって、基本的に俺が右ストレートから入る事はあまり無い。


「シッシッシッ…シッ!……シッ!」


二発、三発、四発、五発と動きながらジャブを突き、反撃に合わせて距離を取る。


何度も機先を制している内に、相手も左を打ちにくくなってきているようだ。


だが、正直倒すのは難しいと思い始めている。


体が大きいのでタフだということもあるが、それ以上に気性の問題か、やけに消極的だ。


力を溜めているとか隙を伺っているとかではなく、相手は只ガードを固めるだけという場面が多くなってきた。


向こうのセコンドからも激しい檄が飛んでいる。


「さとし~~!守ってばっかじゃ勝てねえぞっ!」


しかしそのガードがやけに上手い。


大きな体を起用にしならせパンチの力を逃がしているのだ。


反撃はしてくるがそのどれもが単発で脅威にはなりえない。


そして観客にとっては欠伸が出そうな展開のまま、ゴングが鳴った。






念のため、椅子がある事を確認して腰を掛ける。


「向こうは消極的になってるね。恐らく初めてのダウンだったんだろう。偶にああいう選手はいるんだよ。今まで殆ど一方的に勝ってきて、劣勢からどうすればいいのか分からないっていうね。」


セコンドの指示に従えば良いと思うかもしれないが、正常な精神状態じゃないと中々頭に入ってこない事もある。


会長からは指示らしい指示は無く、このままで良いという事だと判断した。


最終ラウンドのゴングが鳴り対角線上に視線をやると、気合の入った顔が覗く。


会長かトレーナーからの激に、発奮したのだろう。


「…シッシィッ!」


その雰囲気にこちらも気を引き締め、ワンツーから入っていった。


相手の気迫に飲まれない為、こちらも強気に打って出ていく。


反撃が来ない事を確認し、更に踏み込んでボディへ左右のショートフック。


(あれ?なんか反撃来ないな。いや、一発を狙ってるのかもしれない。)


激しい反撃を予想していたが、肩透かしをくらう様な大人しさ。


「…っ!」


と思った瞬間、右フックを叩きつけてきた。


そして返しの左をボディへ持ってくる。


(このコンビネーションっ、次はアッパー!)


予想通りの右アッパーに、左フックを被せる。


マウスピースが口から飛びそうなほど綺麗に入った。


だがそれでもぐらついたりはせず、しっかりとガードを固めたまま踏ん張っている。


それでも完全に流れはこちらに傾いた。


傾いた流れを完全に固定するべく、反撃を警戒しつつラッシュを仕掛けていく。


「シッシッシッシュッ!!…フッ!シィッ!」

(本当にガード上手いなこの人。一切手を出してこなくなってるけど…。)


一方的に攻めているのはこちらだが、ガードが固すぎて攻め手に欠ける。


さてどうするか、トントンっとノックをする様にガードを叩く。


こういう時ハードパンチャーが恨めしくなる。


例えば彼、二回戦目で当たった高橋選手。


あのパンチならこのガードでも強引にぶち壊せる。


(無い物ねだりしても仕方無い。ん?なんだ?)


相手の反撃が無い状態が続いた所で、レフェリーが割って入り注意を促す。


どうやらあまりに消極的過ぎる為、次は減点するぞという警告の様だ。


先程から向こうのコーナーからも同じような檄が飛んでいる。


この隙に電光掲示板を見ると、残り五十秒を過ぎる辺り。


「ボックス!」


レフェリーの掛け声で試合再開。


相手の初撃は右ストレート。


そう来ると思っていた。


困った時は一番自信のあるパンチに頼らざるを得ない、俺だってそうだ。


「シィッ!」


踏み込んで、渾身の右ボディストレート。


深々と突き刺さるが、それだけで倒れるほど甘くない。


先程の檄が効いたか、今度は亀の様に固まらず必死の形相で打ち返してくる。


(付き合ってやりたいが、それでダウンでも食ったら目も当てられない。)


拍子木の音が聞こえる。


振り回すパンチを捌きながら、左を突いた所でゴングが鳴り試合終了を告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る