第38話 日陰者には戻れません
八月下旬。
夏休みも終わった登校初日の始業式、重い足取りで学校に向かう。
校門が見えてきた時点で、周りの生徒の何人かが俺を指差して何か言っているのが分かった。
覚悟していた事とは言え、直に受けると流石に堪える。
校舎に入るともっと露骨になり、すれ違う生徒の殆どが俺を遠目で見てくる。
直接声を掛けられるならまだましだが、遠巻きに見ているだけなのは気まずい。
勿論、中には声を掛けてきて激励してくれる生徒もいる。
「おっす先輩っ、テレビ見ました!気合入った試合感動したっすっ!」
だが、その全てがこういう感じの男子生徒ばかり。
俺としては女子生徒に少しでもいいからちやほやされてみたいものだが。
少し溜息をついた後、教室の扉を開ける。
何で教室に入るだけでこんなに疲れないといけないのか分からない。
案の定、入った瞬間わっと声が上がった。
「見たよ~遠宮君!私は只物じゃないと思ってたよ。」
いきなり話しかけてきたのは、クラスでも比較的目立つ女生徒だ。
正に今時の女子高生と言った感じで、話した事は一度もないが見た目はかなり可愛い系の女子なので、少し鼻の下が伸びてしまった。
「いやいや本当かよお前。絶対名前すら知らなかっただろ。」
更にその女子と一緒にいる事の多い男子生徒が、ツッコミを入れて場を沸かせる。
この男子生徒とも今初めて話した。
「いや、遠宮君マジですげえわ。今のうちにサインもらっちゃおうかな。」
そして彼らを皮切りにワイワイとクラスメイトが集まってくる。
正直この状況、人見知りの元ボッチ野郎にはきつい。
まあ、基本こういうのは一時だけのもので、場の空気を壊さないように愛想笑いを浮かべながらやり過ごし、席に着く。
ホームポジションに収まると、やっと落ち着けた気がした。
「おい遠宮、人には吹聴するなと言った癖にあれは何だよ?」
田中がニヤニヤとした顔で問い質してくる。
「仕方のない事情ってもんがあるんだよ。これからの事考えれば色々とな。」
何だかんだと言っても、こいつとの会話は気を使わなくていいので楽だ。
「お、お早う遠宮君。僕も見たよ。凄い長い枠を使って局も結構な力の入れようだったね。多分後々有名になった時の為の先行投資なのかな?」
阿部君も見てくれた様で感想を伝えてくるが、やはり他の人とは見る所が違う。
これがオタク目線というやつなのかもしれない。
「そういや親父に憧れてってとこ、俺とちょっと似てるかもな。俺もな、これから軍に入ろうかと思ってんだ。親父が軍人でよ。」
田中が意外な事を口にしたので少し呆けてしまった。
俺のイメージではこいつは出たとこ勝負、行き当たりばったりという感じだ。
それが、しっかりと先を見据えたビジョンを持っている事に驚いてしまった。
やはり俺は人の一面だけを色付けして見てしまう節があるのかもしれない。
「何かガキの頃に見た制服姿がやけにカッコ良くてよ。兄貴二人も同じ道行ってるし俺もって感じだ。で?阿部はどこ行くんだ?」
そういえば、阿部君の進路希望も全く知らなかった事に気付いた。
友達と言っておきながら、何も知ろうとしなかった事に少し恥ずかしさも感じる。
「ぼ、僕は映像系の専門学校に行こうと思ってるんだ。」
映像系というと、CGとかを作る所だろうか。
二人の進路希望を聞いて、俺よりもよっぽど考えている事実に感心する。
もしかしたら俺が知らないだけで皆そうなんだろうか。
そう思って眺めると、さっきの女生徒なども違った感じに見えてくるから不思議だ。
そんな事を考えていると担任教師が入ってきて点呼を取り始める。
「遠宮いるか?よし、いるな。そういえばテレビ見たぞ。お前あんなイケメンだったか?こいつを狙ってる女子がいるなら今のうちだぞ。もっと有名になってからじゃ手遅れだからな。」
教師の言葉に生徒がどっと沸いた。
冗談交じりに私なんかどうですかとさっきの女生徒が言ってきたので、楽しい雰囲気に乗り頷いてみると、予想外だったらしくしどろもどろになっていた。
攻めるに強いが受けるのは苦手らしい。
俺が勝手に苦手意識を持っていただけで、こうして話してみると皆普通だ。
特にこのクラスの大半は就職組で、今の時期は色々と不安もあるだろう。
そんな折、一時でも楽しく過ごせる様な話題を提供出来た事を何だか誇らしく思った。
相変わらずワイワイと騒がしい教室で先程の女生徒と視線が合う。
一瞬ドキッとしたが、盛り上げてくれた感謝も込めて笑顔で会釈しておいた。
その時俺に返してくれた笑みは、とても柔らかで暖かい慈愛を感じる素敵なものだった。
もしかしたら、みんなが楽しく過ごせる為に彼女も一役買って出ているのかもしれない。
因みにこの女生徒は田辺さんというらしい。
昼休みいつもの三人で卓を囲んでいる時、田中にある頼み事をした。
「田中、頼みがあるんだ。」
真剣な表情をする俺に、田中も顔を寄せ耳を傾ける。
「あのさ…えっと…そのぉ~だな。」
田中は中々言い出せずもじもじする俺を少し気持ち悪いものを見る様にしている。
「なんだよ、早く言えって。」
「…分かった。」
俺は意を決してその頼みごとを口にした。
「彼女の、明日未さんの誕生日が知りたい…。」
俺の言葉を聞いた二人は顔を見合わせた後、少し噴き出したように笑う。
「おまえ、くくっ、そのくらい自分で聞けよ。ぷっくくっ。」
体育祭以降、こいつは事あるごとにこのネタで揶揄ってくる。
ならば少しぐらい協力させても罰は当たらないだろう。
「それじゃサプライズにならないだろうが。」
そんなやり取りを聞いていた阿部君がふとした疑問を口にする。
「でもさ、もう九月になるよ?誕生日過ぎてる可能性もあるんじゃない?」
正直それはある。
あるが、その時はその時でクリスマスプレゼントとかにすればいい。
まだ暫く先の話になってしまうが。
「分かったよ。あの子の友達の女子に聞いといてやる。全く…。」
情けないのは自分でも分かっている。
それでもこうして頼れる仲間が出来た事を嬉しく思った。
翌日の昼休み、俺の顔を眺め、ニヤニヤと田中は語る。
「遠宮、分かったぞ。」
頼んだのは昨日なのに、こいつは中々出来る奴だと思った。
「良かったな。まだまだ余裕があるってよ。十二月二十四日だとさ。」
もう過ぎていたらクリスマスプレゼントにと思っていたが、どうやら誕生日自体がクリスマスだったらしい。
「でもな、やっぱりかなりモテるみたいだぞ彼女。ライバル多いな。」
俺にとっては面白くない事を、さも面白そうに語ってくる。
「でも良かったね過ぎてなくて。クリスマスってのも何か凄いし。」
確かに意外だが、彼女には何だか似合っている気もする。
しっかりとメモした後、田中にもそれなりに丁寧な礼をした。
その日ジムの扉を開けると、昨日に続き会長が明君にフォームの指導を行っていた。
誰もが通る道を眺めていると懐かしさを感じる。
「こ、こんちゃ~っすっ。」
野球部らしい元気な挨拶をされ、こちらも挨拶を返す。
その横では牛山さんも元気にサンドバッグを叩いている様だ。
取り敢えずミット打ちの時間までは一人でも問題無い為、いつものメニューをこなす事にした。
練習後、パソコンを持ってきていた会長に次の対戦相手の映像を見せてもらう事に。
大川ジム所属
初見の印象としては、とにかく懐が深いということだ。
それもそのはず、公式で身長が179㎝あり同階級では珍しい程の体格だ。
リーチは182㎝で、俺との差は10㎝ほどあるが問題にはならないだろう。
正直ジャブの初動に無駄がありすぎる。
予備動作も集中していれば見切れそうだ。
他のパンチはともかく、俺はジャブだけには定評のある男、マイスターと言ってもいい。
映像があるのはトーナメントで戦った過去二試合分。
そのどちらもKОで勝っており、フィニッシュブローは弓を引く様にして放つ右ストレート。
距離の長い左で視界を遮り、そこから右を伸ばしてくる。
こちらも人の事は言えないが、実にワンパターンな戦い方だ。
明君も気になるのかこちらをチラチラ見ているので、手招きして呼んでみる。
すると嬉しそうにやってきた。
何だか可愛い。
「この人が次の対戦相手ですか。随分大きいですね。」
今見ているのは二回戦目の試合だが、相手の選手が百六十三cmらしいので余計にそう見える。
「でも、統一郎君なら油断しなければ勝てる相手だよ。相性も良いし。」
どうやら俺の感じた事は合っていたようで、そもそも左を満足に打たせなければその後の右も続かないはずだ。
二回戦目の相手、高橋晴斗選手との試合は俺の自信になっている。
今見ているこの選手が彼より強いという事は絶対にない。
そう言い切れる。
あの野生じみた勘と、骨が折れそうになる程の強打。
楽に勝ったように見えるが、会長が言っていた様に相性の問題とよく分からない相手の拘りに助けられただけだ。
生まれ持ったボクシングセンスは相沢君すらも凌ぐと言えるだろう。
「統一郎君の課題は、左の差し合いで勝った後、流れを決定づけるパンチが無い事だね。」
それは自分でもうすうす感じてはいた。
左一流、右三流。
勿論そんな事を言われた事はないが、自分自身がそう感じている。
「まあ、それはおいおい身に付いていくだろうし、倒しに行けば倒されるリスクも大きくなる。それにそっちを意識しすぎて一番の武器が乱れたら目も当てられないからね。」
つまり、今はこのままで良いという事らしい。
会長がそう判断したという事は、それで勝てるという算段もあるのだろう。
俺はその判断を信じて突き進むだけだ。
九月も中旬に差し掛かろうという頃、予期せぬ事態に見舞われる。
風邪を引いてしまったのだ。
これは非常に不味い。
もうあまり食事を取って良い時期では無い為、学校を休み薬を飲みながら練習の時間まで大人しく体を休めている。
練習を休むのは不安が加速度的に増すので精神衛生上良くないのだが、今は仕方ないだろう。
それに、後輩に情けない所を見せられないという意地もある。
そういう意味でも、人に見られているというのは大きいものだ。
それが期待や憧れであるなら猶更。
計量まで一週間に差し掛かった頃、漸く治り一安心。
しかし練習量は予定を消化しきれていない為、当然減量も遅れておりリミットまで落とせたのは計量日前日。
その夜、恒例の必勝祈願に訪れた。
(神様、風邪を引きました。日頃の行いが悪かったのでしょうか。賽銭奮発するのでどうかお願いします。)
そう祈りながら千円札を箱の中に投入する。
先程から背中に気配を感じるので、恐らく彼女だろうと思い振り返ると案の定。
「今日は泣いてなくて一安心。でも、凄く辛そうだね…。」
予定ではもっと楽になるはずだったのだが、何事も上手くは行かないものだ。
だが逆を考えれば、準備していなければもっと苦しかったという事でもある。
乾いた口を動かして、大丈夫と返す。
「無理して話さなくていいよ。凄いね。どうしてこんなに頑張れるんだろ。」
俺の頬を撫でながら、心なしか目には涙が浮かべている気がする。
こんな時、気の利いたセリフの一つでも言えればいいのだが、そんな余裕は無い。
余裕があったとしても俺には無理そうだが。
行ってきます、只それだけを伝えた。
「うん。無理かもしれないけど、あまり怪我をしない様に気を付けてね。」
本当に無茶を言う。
だが、それが彼女の望みならそうするとしよう。
あまり打たれずに綺麗な顔で帰ってきて、ただいまと言おう。
計量日当日ジムへ向かうと、もう三人共が揃っていた。
そう、明君も含めて三人である。
何故と思うかもしれないが、そもそもセコンドが二人というのがおかしい。
会長が俺に指示を出さなければならない時、牛山さんは鬼の様に忙しくなる。
椅子の出し入れ、熱さまし、マウスピースを洗い、汗を拭く等。
とても一分間という限られた時間の中一人で出来る作業では無い為、当然会長も手伝う。
その為、指示を出すのは簡潔で必要最小限。
これでは瞼をカットしたり、アクシデントがあった時の対応が難しい。
今まで良く大丈夫だったものだ。
そういう理由で保護者同意のもと、椅子の出し入れだけ明君が担当する事になった。
試合当日にはお父さんも来るらしい。
そしていつもよりも一人多く乗り込んで会場へ向かうのだった。
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