第37話 先輩として

夏休みも終わりに差し掛かった頃、この間収録した映像が番組内で流された。


と言っても生で見ているわけではなく、昨日叔父が録画していたものを早朝のストレッチがてら眺めている。


俺が取り上げられたのは夕方に放送される番組のコーナー。


地元密着型の情報番組のようだ。


冒頭から恥ずかしいテロップの題名も付けられている。


『新たなる地方の星。森平の地で輝くか。』


そんなテロップが流れ、いきなり俺のデビュー戦の映像に切り替わった。


これはどうやら叔父が撮影したものらしく、編集される事も無くそのまま流されている。


声もそのままなのでかなり煩いが、それが逆に臨場感を醸し出しており、叔父が大喜びで提供した姿が目に浮かぶ様だ。


一ラウンド目のダウンシーン等を中心にダイジェストで流され、


『プロボクシング。その厳しい世界に身を置く少年がいる。』


そんなナレーションが流れた後、ジムの外観を映した映像に切り替わる。


『ここ森平市に、二年ほど前ボクシングジムが開設された事は殆ど知られていない。所属する選手は僅かに一名。その一人が今回私達が取材した少年だ。』


ジム内の風景を映し出すと、この間のぎこちないシャドーがお茶の間に晒される。


恥ずかしさのあまり、モニターを叩きたくなったが何とか耐えた。


『彼がこのジム唯一のプロボクサー、遠宮統一郎選手だ。』


カメラが近いとは思っていたが、俺の予想以上に近かった様だ。


モニター画面一杯に俺の顔が映し出され、もう恥ずかしいなんて言葉では言い表せない感情に襲われる。


幸い罰ゲームの時間はそんなに長くなく、直ぐにミット打ちの映像に切り替わった。


『彼は今、新人王トーナメントという厳しい戦いを続けている。既に一回戦二回戦と勝ち上がり、今は来月行われる準決勝に備え練習に励んでいる。目指すは優勝。そして全日本新人王だ。』


ここまで見てきて思った事がある。


とにかく長い、という事だ。


今の時点ですでに十分以上の枠を消費しており、このペースで行くと二十分くらい使う計算になる。


いくら地元の情報番組と言っても、やりすぎではないだろうか。


もしかしたら相当ネタに困っているのかもしれない。


そんな事を考えている間に、例のインタビューが始まる。


ボクシングを始めるきっかけから入り、女性アナが様々な事柄を聞いていく。


『遠宮選手もお年頃ですから、好きな異性の一人や二人いるんじゃないですか?』


そう、こういう質問もされた。


『そ、そうですね。いない事も無いという事も無いと言いますか…はい。』


全く何を言っているのか分からない、お前しっかりしろ。


俺の好意を寄せる相手など、体育祭の件で一部の連中にはバレバレだ。


弄りやすいキャラでもないので誰も触れてこないだけましだが。


一番の問題は当の本人にさえ完全に気付かれているという事実だろう。


彼女が所謂鈍感系だったなら話は別だが、恐らくそれには当て嵌まらない。


何も言ってこないのは、脈がないのか待っているのか。


どちらにせよ、節目になるような結果を出すまではそう言う事に現を抜かすつもりはない。


『こちらがこのジムの会長さんです。覚えている方もいるのではないでしょうか。そう、かつて地方の星と呼ばれ、世界まであと少しという所で惜しくもリングを去った名選手、成瀬実会長です。』


余計な事を考え込んでいる間にインタビューの相手が変わっていた。


会長は俺とは打って変わり、慣れた様子で淀み無く受け答えしている。


何故地元を離れこちらでジムを開いたのかと聞かれると、


『統一郎君は元々私の父のジムに所属していたのですが、不幸な事故がありこちらに居を移す事となりました。その時、彼の後見人の方に話を持ち掛けられ、その才能を惜しく思っていた私は快諾したという流れです。』


こんな風になれる自分を思い描けないのが情けない。


長い長い特集コーナーが終わった後、どっと疲れが押し寄せてきた。


「学校…行きたくないなぁ。根暗がいきなり脚光浴びるとか…嫌な予感しかしないよ。」


思わずそんな言葉が口を突いて出てしまっていた。


「でも一年生じゃないだけましか。これから皆忙しくなるだろうし、きっと俺なんかに構ってる暇ないさ。うん、大丈夫。」


このままでは本当に登校拒否してしまいそうだったので、強引に自分を勇気づけ、いつもより少し遅くなってしまったがロードワークに繰り出した。






「頑張れよ!」


いきなり声を掛けられびくっとしながらも、一応頭を下げておく。


そんなやり取りが何度かあり、テレビの力というものを侮っていた事を思い知った。


しかしその全てが老人で、若い女性が一人もいなかったのは少し残念。


勿論それでも有り難いのだが、俺も健全な若い男なのでそこは仕方ない。


そして神社に差し掛かると、もう部活を引退している為、当然彼女の姿もあった。


正直今はあまり会いたくなかったのだが、向こうも気付き手を振ってくるのでこっちも挨拶を返す。


昨日の番組を見ていない事を祈りつつ石段を登り近づくと、


「ふふ、見てたよ、昨日のテレビ。凄くカッコよく映ってた。」


願い空しく、いきなりその話題から入ってきた。


だが微笑みながらカッコ良い等と言われると、惚れた弱みか鼻の下が伸びてしまう。


しかしそれも一瞬、そんな気持ち悪い顔を見せる訳にはいかないと、表情を引き締めた。


「でもびっくりしたよ。あんな事情があったなんて。今まで良く頑張ったね。」


明日未さんから労う様に語り掛けられると、今までの苦労が報われた様な気がする。


大した結果も出していない身だと謙虚に返しつつも、満更では無い本心は隠せない。


「でも無理しちゃ駄目だよ。泣いちゃうくらい苦しかったら、相談してくれてもいいんだからね。」


それを言われると何も言えなくなる。


あの時は本当にどうかしていた。


しかし物は考えよう。


一番恥ずかしい部分を見られているのならもう怖いものは無い。


じゃあ告白しろと言われても、それは話が別なのだが。


良い頃合いで話を切り上げ、ロードワークの続きを走りながら考える。


(確か明日未さんは音楽の専門学校に行くんだったな。場所は分かんないけど多分遠いだろうな。)


その事を考えると、胸が締め付けられる様に苦しくなる。


俺にとって付き合うという事は結婚を前提としてしか考えられない。


只遊ぶ為なら、そんなのは時間の無駄でしかないからだ。


少なくとも、今はそうとしか思えない。


片親である事が影響しているのか、昔から世間体ばかりを気にして生きてきた。


自分が何か問題を起こせばそれは片親であるせい、つまり父のせいにされてしまうと。


その癖は今も変わらない。


現に今も、彼女自信ではなくその両親が俺をどう思うかを考えてしまっている。


ボクサーを続ける事以外何も決まっておらず、進学もしない。


理想的な職場が見つかりでもしない限りはパートタイマーになるだろう。


勿論、俺一人ならそれでも構わない。


だが、もし付き合う様になってそんな男を紹介された相手の親は、どう思うだろうか。


逆の立場になって考えてみると、少なくとも歓迎は出来ないはずだ。


人にこの悩みを伝えれば、まだ学生の身で何でそこまで考えるのかと思うだろう。


しかし俺がプロボクサーを続けていくのは決定事項であり、この状況は一過性のものではないのだ。


負け無しのまま世界チャンピオンにでもならない限りは。


「はぁ~…無理だよなぁ。」


クールダウンを兼ね歩いていると、そんな声が漏れてしまう。


ここまで考えてしまうのは本気だからなのか、恋は盲目とも言うが、どちらが正しいのだろう。


まあどちらにしろ勢いだけで無責任に思いを伝える気にはなれない。


(駄目だ駄目だ、余計な事に気を取られるな。今は勝ち続ける事だけを考えろ。)


雑念を振り払う様に帰路に着き、昼過ぎまで休んだ後ジムへと向かった。


到着しドアを開けると、見慣れない人物が二人おり会長と話をしている。


大人と子供の二人組、一人は恐らく保護者だろう。


という事は、もう一人は入門者だろうか。


「ではこれが承諾書になります。未成年の場合は保護者の方がこちらにご記入ください。月謝は大人が月八千円で、中学生以下が三千円になってます。」


やはり予想通り入門者らしく、漸く俺にも後輩が出来そうだ。


「今は長期休暇ですのでこの時間やってますが、私の都合もあり、それ以外は大体夕方からですね。」


様々な質問に答えているのを邪魔しない様に、隅っこでストレッチを始める。


すると、お父さんの方が俺に気付き挨拶してきた。


「菊池と言います。今度からうちの息子が通いますので、どうぞよろしくお願いします。」


お父さんが頭を下げると、それに合わせて息子の方も頭を下げる。


「き、菊池明きくちあきらです。よ、宜しくお願いします。」


坊主頭のいかにもスポーツ少年といった風貌。


身長は150㎝代後半くらいで、中学三年生との事。


「こちらこそよろしく。俺も初めて後輩が出来て嬉しいよ。」


少し緊張したが、年下相手にそれを出す訳にもいかない。


なるべく偉そうにならない様に、先輩風を吹かせてみた。


「あれ?三年生って事は部活は引退したんだね。受験とかは大丈夫なの?」


「あ、はい。どうせ定員割れするので、あまり出来なくても入れるかなって。」


どうやら俺と同じ高校を受ける予定らしく、それなら納得だ。


そしてお互いの紹介が終わった頃合いで、もう一人の仲間もやってきた。


「おーう、やってるか。坊主サボってんなよ。」


牛山さんがいつも通りに入ってきて、少し明君が心配になる。


良い人なのだが、初対面のインパクトは相当なものがあるからだ。


そんな心配を他所にお父さんの方はどうやら知り合いらしく、慣れた感じで挨拶を返していた。


「菊池さんじゃねえか。息子は野球からボクシングに鞍替えか?」


どうやら野球用品を何度か買いに行ってるらしく、それで顔見知りになったらしい。


「ええ。テレビを見てから、すっかり遠宮選手に憧れてしまって。」


てっきり会長の指示を仰ぎたくて来たとばかり思っていたが、俺に憧れているなど言われた経験が無い為、急に恥ずかしくなってきた。


でも悪い気はしないし、それが不自然だとも思わない。


憧れとは実績だけで決まるものでないと知っているからだ。


俺が憧れた父も選手としては大成しなかったが、俺の中では今も偉大な選手のままだ。


明君の中で俺がそういう存在になれるよう、精々これからも頑張らなくてはならないだろう。


「あ、あの練習見ていってもいいでしょうか?」


明君の言葉に会長が快諾し、ジムの隅の方に用意された椅子に親子二人並んで腰掛ける。


見られているからだろうか、俺もいつも以上に気合が入った。





練習後ストレッチをしていると、二人は帰る様で会長に挨拶をしている。


「いやぁ~生で見ると迫力が違いますね。テレビだと細く見えましたが、がっちりしてますし。うちの息子で務まるでしょうか…ちょっと心配になっちゃいましたよ。」


張り切ってやりすぎたのかもしれない。


お父さんを不安にさせてしまったようだ。


「大丈夫ですよ。これは試合間近のプロの練習ですから。明君がやるとしてもまだまだ先の話です。」


その言葉に安心したのか、お礼を述べた後一礼して帰っていった。


「どうだい統一郎君、後輩が出来た気分は。」


会長の質問に、今日感じた事を思い出しながら語る。


「身が引き締まる思いです。もしかしたらこれからも誰か来るかもしれませんし、恥ずかしい試合は出来ませんね。」


すると、牛山さんが面白いものを見る様に囃し立てる。


「おっ坊主。一丁前に先輩風吹かせやがって。生意気だな、おいっ。がっはっは。」


俺は背中をバンバン叩かれながら、体重計の方に向かって歩く。


六十五㎏ジャスト。


無理無くとは言え、節制している成果が出ている。


試合まで一か月ほどでこれなら調整も幾分かやりやすい。


次の試合は準決勝、ここまで勝ち進んできた相手なのだから弱い訳がない。


直前に風邪を引いたりでもしたら、やる前に大きなハンデを背負ってしまうだろう。


最悪の事態を思い浮かべ、少し浮かれた気分を引き締めた。

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