第三話 自慢の武器

ズバァンッ!っと、ジム内に軽快とはいえない炸裂音が響き渡った。


いつもは表情を変えずミットを持っている会長でさえ、一瞬表情が歪む威力。


「うん。予想していたよりも、ずっと良いね。」


その手応えは自分自身も感じていた。


今までにはありえないほどの感触が、手首、肘、肩、そして背中へと伝わっている。


まだまだ完成には程遠いが、取り敢えず実用に耐えうるものにはなっている筈だ。


この数か月は、会長が提唱する俺の新しいスタイルを確立する為に費やしてきた。


今までは距離を取って的確に左を突いていく形が殆どだったが、これからは基本的に自分から距離を取る事はしない。


ならば打ち合うのかと問われれば、それも違う。


リング中央、左で相手をコントロールし、試合を完全に支配する。


それが、会長の提唱するスタイルの完成形だ。


全日本新人王戦でもそうだったが、これからは結果だけに拘るのでは駄目らしい。


観客に見せる試合をするのではなく、魅せる試合をする。


その為には当然新しい武器がいる。


無理矢理に突っ込んでくる相手を、一発で黙らせる様な武器が。


そこで会長と共に作り上げているのが『コークスクリューブロー』と呼ばれるもの。


このパンチは当たる瞬間に捻りを加える事により、その威力を増大させるというもので、当たれば一撃必殺にもなりうる強烈なパンチである。


勿論、難点もいくつかある。


一つが、打つ際に僅かな溜めが必要になる事で、非常に隙になりやすい。


更に肘などにも負担が掛かる為、連打するのにも不向きと言える。


俺の場合左で打つ事が多いと予想されるのだが、腰を捻り軌道も内側を抉る様に走るため、他のストレート系のパンチと同じ様には運用出来ない。


この様に速射性を重要視してきた俺のスタイルの中でも、取り分け異質なものになるだろう。


だが、今まで俺のパンチを受けて会長が表情を変えた事はない。


それだけでも自信を持つ理由には十分ではないだろうか。








五月十九日、泉岡県営体育館。


第一会議室を計量会場として、各選手が集まっている。


会長と牛山さんは主催側として色々とやる事があるらしく、忙しなくしている様だ。


先に自分の計量を済ませ椅子に腰かけ寛いでいると、背後から良く知った声。


「よお、調子はどうだ?」


声を掛けてきたのは、デビュー戦を控えた相沢君だった。


「俺よりもまず自分でしょ?デビュー戦なんだから。」


その顔はとても明日試合を控えたボクサーのそれには見えない。


「俺か?まあ、確かに減量は少し手古摺ったけど、問題なく何時でも行けるぜ。」


相変わらずの自信家だが、確かに彼が負ける所は想像しがたい。


見渡すと、集まっている選手の中に精悍な顔つきをした褐色の選手がいた。


どうやら彼が俺の相手になるサントス選手の様だ。


「おおっ、お前の相手あれか?何だよ、結構強そうじゃねえかよ。大丈夫か?お前。」


自分の心配など一切していない相沢君は、揶揄い口調で語り掛けてくる。


確かにあの選手は見ただけで強そうな雰囲気と言うかオーラがあり、一瞬気圧されそうになったが、


「大丈夫。今回は今までの俺とは違うよ。よく見といてよ。」


それも一瞬、隣でニヤニヤしている相沢君にそう答えた。


「一体どうしたお前。そんな自信満々なのはお前らしくねえぞ。逆に不安になるな…。」


だが、俺が思ったような反応は帰って来ず、不安気な顔をさせてしまった。


その後、他のジムの会長を含めた顔見知りの選手などに自分から挨拶に行ったりしていると、後ろからまたも聞き覚えのある声が掛けられる。


「久しぶりだな、統一郎。随分強ぐなったでねが。」


振り向くと、白髪と深い皺が顔に刻まれた老年の男性の姿。


「どうも久しぶり。弟が世話になってるようで、明日はよろしく頼むよ。」


成瀬会長と、その息子でトレーナーの高志さんの二人だった。


「いやいや、お世話になってるのはこっちですよ。本当、会長がいなかったら一人じゃ何も出来ませんから。」


俺がそう言うと、忙しなく動き回っている会長に視線を向けてから口を開く。


「あれも役に立ってるなら良がった。これがらはちょくちょく会うごとになるべな。」


うちが興行を打つ機会も多くなるので、その時には是非とも参加してもらいたい所だ。


懐かしさを感じる面々とも挨拶を交わし辺りを見回し、ここにいる必要ももうないなと思い立ち去ろうとした時、見覚えのある少女達に声を掛けられる。


「こんにちは、遠宮選手。明日は宜しくお願いします。」


地方アイドルである『BLUESEA』の面々だった。


彼女達は歌を中心に活動しているグループで、『藍』『桜』『花』という、若い女性三人からなる同県ではそれなりの知名度がある三人組だ。


「あれ?今日はどうしたんですか?よろしくっていうことは、明日何かありましたっけ?」


同じ場所でコンサートでもやるのかと思い、聞いてみると、


「あれ、聞いてませんか?明日は私達がラウンドガールやることになってるんです。」


それを聞いて自然と目が行くのは、スタイル抜群のリーダー、藍さんだ。


思わず生唾を飲み込んでしまった事で視線にも気付かれ、他二人からジトっとした目を向けられてしまう。


「そ、そうなんだ。有難う、楽しみにしてます。」


取り繕う様にそう答えたが、後の祭りだったようだ。


「遠宮さんが楽しみにしてるのは、一人だけみたいですけどね。」


桜さんと花さんの二人がそんな事を言ってくるので、ここはフォローしておくべきだろう。


「そんな事ないですよ。お二人も楽しみに拝見させていただきます。」


言った後で気付いたが、これではまるで変態だ。


結局ジトっとした視線を向けられたまま、彼女達の後姿を見送った。


それから帰る前に一目会場が見たいと思い、リングのあるメインアリーナに足を運ぶ。


何人かのスタッフらしき人達に挨拶をしながらリングの近くまで行くと、


「おや、統一郎君も来たのかい?そうだよね、やっぱ見ておきたいよね。」


「おう、坊主。明日は主役なんだ。しっかり決めろよ。」


同じ気持ちだったのか、会長と牛山さんもそこにいた。


チケット三千五百枚は、後援会の皆の協力もあって完売する事が出来た。


これで少なくとも赤字という事は無い筈だ。


明日の試合開始は十五時、予定では地元のテレビカメラも入る。


今はがらんとしているこの会場が、明日は歓声に包まれるだろう。


帰りはいつも通り、牛山さんの奢りで食事を済ませてからの帰宅となった。





自宅に帰り着きスマホを開くと、葵さんからメールが届いている事に気付く。


『私のとこに泊っても良かったのに、残念。明日は見に行くから、カッコいいとこ見せてね。』


有難い申し出だが、試合前日に彼女の部屋に泊まり自制出来る自信が無い。


行為に励んで当日に疲れを残すなど、愚の骨頂もいい所だろう。


そんな想像が頭を過ぎり、明日は頑張るとだけ送った後、今日はゆっくりと休む事にした。






五月二十日、泉岡県営体育館


第一会議室を赤コーナー側控室、反対側の第二会議室を青コーナー側控室としている。


因みに当日計量は別の一室に移されて行われた。


都会にある会場であれば、メインイベンター専用の個人控室があるものなのだが、この会場にはそれはない代わりに一部屋で不足の無い空間を確保出来ている。


その広さは、控え選手全員がミット打ちをしてもまだ余裕がありそうなほどだ。


俺は勿論、赤コーナー側控室で椅子に腰掛けている。


既に一試合目は開始しており、会場の歓声が僅かに扉の隙間から聞こえていた。


周りを見渡すと次の試合の選手、そして第三試合の相沢君も体を解し始めた様だ。


流石に昨日の表情とは違い、その目には戦う者の鋭い眼光が宿っている。


今日初めてセコンドに着く佐藤さんも、落ち着かない様子だ。


明君には、後で見直すため観客席から全ての試合の撮影を頼んでいる。


インターバル中もなるべくカメラを止めない様に、しっかりリングを映してほしいと伝えてあるが、それに対してやましい気持ち等ある筈も無い。


「もしかしたら、次の興行が佐藤さんのデビュー戦になるかもしれませんね。」


あまりにも所在なさげにしているので、少しでも緊張を解せればと語り掛けてみる。


「はは、そうですね。プロテストを受けるのが来月なので、受かればその可能性は高そうです。そう考えると、次は自分もそちら側になるというわけで、不思議な気分ですね。」


話が出来た事で少しは気が紛れたのか、何時もの柔らかさを取り戻した気がする。


「余裕じゃねえか坊主。自分よりも誰かを気に掛けるなんてよ。お前も成長したもんだな。」


俺の頭をわしゃわしゃと撫でながら牛山さんが語りかけてくる。


言われてみれば確かにそうだと思った。


ホームでやる初めての試合だというのに、まるで不安を感じていない。


それ所か、早くリングに上がりたいとさえ思っている。


そんな事を考えていると、どうやら第二試合が終わったようだ。


「よっしゃ。じゃあ、行くか!」


声を上げたのは、相沢君が所属している鈴木ボクシングジムの会長。


そして本人はというと、控室を出ていく時、俺にグッとグローブを突き出しニヤリと笑みを浮かべていた。


表情からは自信が溢れ、己の敗北など微塵も想像してはいないだろう。


俺もその在り方に倣い、グローブを突き出し見送った。

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