第二話 大人の階段

試合まで二週間程となった日曜日、今までより減量がきつく感じていた。


いや、正確に言えば苦しいのはいつもの事。


しかし、ある時期からは彼女の存在と言葉でかなり救われていたらしい。


頑張れば彼女に褒めてもらえる、そんな事を思っていたのではないだろうか。


まるで、手の掛かる子供だ。


いなくなってからその事ばかりを実感している。


そんな自分の弱さに嫌気が差している時、ふとある事を思い出した。


そしてスマホを手繰り寄せるとメールを開き、別フォルダに保存してあったそれを見る。


『遊ぶ相手が欲しいって聞いたよ。私で良かったらいつでも良いよ。田辺葵たなべあおいより。』


魔が差したと言ったら、言い訳になるのだろうか。


『久しぶりです。いきなりで悪いけど、会えませんか?』


彼女、田辺さんが今どこにいるかさえ知らないくせに、いつの間にかメールを送っていた。





風呂から上がりスマホを見ると、返信が来ている。


『本当にいきなりだね。今は泉岡の短大に通ってて一人暮らしだから、今から会おうか?』


もうそろそろ暗くなりそうだったが、了承の旨を送り車に乗り込み、何故か胸がチクチクと痛むが気付かない振りをしながら待ち合わせ場所の泉岡駅に向かった。









「あっ、来た来た。久しぶり遠宮君。」


彼女は俺を見つけると、楽しそうな笑顔を向けて駆け寄ってくる。


その服装は、黒のジャケットに白のオーバー、膝までのフレアスカート。


春らしい爽やかな雰囲気を持っていて、明るい彼女に良く似合っている。


「あれ?眼鏡掛けてるじゃん。ふふっ、何か知的に見えて素敵だよ。」


「そっちこそ、その服、す、凄く似合ってるよ。」


女はとにかく褒めろと書いてあった雑誌の記事を鵜呑みにしてそう返した後、彼女を車に乗せ取り敢えずアパートまで行く事になった。


「やっぱり少し頬がこけてるね。体調は大丈夫?」


「まだまだ大丈夫だよ。少なくとも見た目ほどは弱ってないから。」


そうこうしている内にどうやら部屋の近くまで来ていたようで、場所を指差し案内してくれた。


「そこそこ。あの建物の二階の角部屋。あそこが私の部屋だよ。」


駐車場に車を置き彼女に手を引かれ部屋に入ると、六畳一間に四畳のロフト、中々に洒落た作りの部屋だ。


室内には女の子らしい甘い香りが漂い、棚には可愛らしいぬいぐるみが置いてある。


そして彼女はベッドに、俺は部屋の雰囲気に合っていない座布団に腰を下ろす。


「それで?会いたかった理由は何かな~?正直に言っていいよ。しょ・う・じ・き・に・ね。」


彼女は揶揄う様に語り掛けてくるが、自分でも不思議な程の冷静さを保てていた。


「あのメールの通り。寂しくて誰かに会いたかっただけ。何かごめん。」


俺の返答に少し考える素振りを見せた後、口を開く。


「一応言っておくけど、誰でも部屋に上げる訳じゃないよ?一郎君は特別気に入ってたから。まあ、好きな子がいるみたいだったから遠慮してたけど、合意の上って事で良いのかな?」


変な呼び方をされ一瞬気になるが、直ぐにどうでも良くなった。


「シャワー浴びる?私はさっき浴びたばっかりだから。ふふっ、こういう展開になると思ってね。」


ドクンと鼓動が跳ね上がり、生唾をゴクリと飲み込む。


「もう待てないって感じだね?…いいよ………しよっか。」


彼女は俺の服に手を掛けると脱がしていくのだが、その立ち居振る舞いとは裏腹に何故か凄くぎこちない。


「すっごいね~。やっぱプロボクサーってそこらの男とは全然違うね。」


そう言いながら、俺の胸から腹筋の辺りまでを楽しそうに撫で回していた。


「それとも……一郎君が特別なのかな~?」


そしてベルトに手を掛け外した後、ジーンズを脱がせていく。


「わっ!…ふふっ、元気だね。じゃあ、今度は私の服、脱がせてくれる?」


もうやる気が満ちているそれに少し気圧された様だが、直ぐに元の表情へと戻った。


「わ、分かった。こ、これでいい?」


俺は興奮から息が荒くなりつつも、覚束ない手で服に手を掛ける。


「そう。そこのホックを摘まむ様にすれば外れるから…。」


彼女は下着の外し方が分からず、苦戦している俺を導く様に教えてくれた。


すると、纏っていたそれがファサっと床に落ち、彼女の膨らみがあらわになる。


「あと一枚あるよね。それもだよ?…ふふっ、可愛いね。一郎君。」


言われるがままに最後の一枚を脱がせていくと、互いが一糸纏わぬ姿になり、俺は更に興奮で息が荒くなっていた。


彼女は俺に覆いかぶさり押し倒してきた後、強引に唇を重ねる。


そして甘い吐息の様な声だけが室内に響き、静寂が互いの気持ちを高めていく。


唇が離れた後、俺は全身が痺れた様に呆けたまま彼女を見上げていた。


「ふふっ、触りたい?……結構大きいでしょ?自信あるんだ。」


そう言った彼女は俺の手を取ると、ゆっくり自慢の膨らみにあてがった。


指が沈み込む柔らかな感触に、鼓動の高鳴りは留まる事を知らない。


「じゃあ、そろそろ始めよっか。」


彼女は跨った体勢のまま腕を伸ばし、取り出した避妊具を見せつける様に包装を破き、被せた後ローションらしきものをたっぷりと塗る。


その手付きはやはり口調とは裏腹にたどたどしく、その姿が更なる興奮へといざなっていった。


「…っ!!」


すると情けない事に、まだ行為に及んでさえいないにもかかわらず俺はそれだけで達してしまう。


あまりの恥ずかしさと情けなさで顔を背ける俺に、


「大丈夫だよ。初めてだし、まだまだ元気そうだもんね。」


彼女はそう言いながら、新たな避妊具を取り出し再度被せていく。


そしてもう一度覆い被さり唇を重ねると、初めての快楽が全身を駆け巡った。


湧き上がる興奮は凄まじく、抵抗する理性を本能の激流はあっという間に押し流していった。











どれほどの時間が経っただろうか、俺はただ夢現ゆめうつつのまま快楽の波に身を任せていた。


「一郎君…ちょっと……待って、はっ、はっ…少し…休ませて…欲しいな…。はぁはぁ………。」


その言葉で我に返ると、もはや避妊具さえつけていない自分に気付く。


「ご、ごめん。俺、その…。」


彼女は横になったまま肩を上下に揺らし、ぐったりと疲れ果てているようだ。


「ううん、いいよ。一応安全日だしね。でも、もし出来てたら責任取ってくれる?」


一瞬躊躇ったが、そこは男の甲斐性。


しでかした行為に対し責任を取るのは当然だ。


「分かった!婚姻届持ってくればいいかなっ。」


俺のその言葉に、彼女は心底おかしいといった感じで笑っている。


「はははっ、冗談だよ。そんな事そうそうないから心配しないで。それに束縛するのもされるのも性に合わないから、このままの関係がいいかな。」


彼女は立ち上がると、どこか痛むのか少し動きを止めた。


そんな姿を見てしまうと、女性を優しく扱う事が出来なかった自分に対して大きな罪悪感を覚えてしまう。






その後、シャワーで汗を洗い流し服を着ると漸く落ち着いた


「ねえねえ一郎君。私こんなに相性良いと思ったの初めてだよ。だからこれからも…ね?」


彼女は胡坐を掻いている俺に背中を預け、下から覗き込む体勢で語り掛けてくる。


先ほど痛そうにしていた現場を見ているので、これは間違いなく気を使ってくれているのだろう。


もしここで糾弾などされた日には行為に対し大きなトラウマを抱えてしまいそうであり、彼女が口調や振る舞い程こういった事に経験がないのはバレバレだったのだが、そこを指摘するのは恩知らずもいい所であろう。


俺の初体験が最低なものにならなかったのは、全て彼女の心遣いによるものなのだから。


「後、私の事もさ、名前で呼んでくれない?」


そう言われ応えてやりたいのは山々なのだが、言葉が紡げない。


正確には苗字は思い出せるのだが名前が出てこない。


「…あれ?もしかして、名前覚えてなかったり…。」


そう言われ、確かメールに書いてあったと思いそっと開こうとするが、


「うっそっ。一郎君、鬼畜…。名前すら覚えてない女をあんなに…。」


ニヤニヤと笑いながら冗談めいて言っているが、確かに失礼極まりなかった。


「葵だよ。田辺葵。誕生日は九月十六日、覚えたかな?ふふっ。」


その名前を二度と忘れないよう心に刻み込んだ。


「ああ、覚えたよ。これからもよろしく、葵さん。」


俺の言葉に満足したか笑って頷いた後、彼女は洗面所に向かった。


「それで、今日は泊ってく?それとも帰る?」


壁を一枚隔てた向こうから彼女が問い掛ける。


「明日はパートがあるからどうしようかな…。」


とは言え、車で行けば一時間も掛からない距離だ。


それに加え、今の状態での運転は少し危険な気がする。


「今日はこのまま寝ていってもいいかな?何だか疲れちゃって。」


「そりゃまぁ、あれだけ暴れればねぇ。それじゃ、寝ますか。」


明かりを消した後、彼女の温もりに包まれながら、俺はあっという間に眠りに落ちた。






次の朝、目を覚まして時間を確認すると午前四時半。


この時間なら、帰ってからロードワークをこなす事も可能だ。


そう思い、彼女を起こさないよう静かに書置きと試合のチケットを置き、そろりそろりと部屋を後にした。






家に帰り着き、ロードワークをこなし出勤の準備をしていると、メールの着信音。


『チケットありがと。見に行くからね。あと暫くの間、一郎君の専属になってあげる。嬉しい?』


どんな顔でこれを打ち込んだのかが容易に想像出来、彼女の笑顔を思い出しながら返信を送る。


『涙が出るほど嬉しいよ葵さん。それと、昨日は乱暴にして本当にゴメン。今度は暴走しない様に気を付けます。』


そんなやり取りをしていると、体の重さと反比例するかの如く、気持ちが少し軽くなっていくのを感じた。

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