第四話 期待を背負い

相沢君が出て行ってそれほど時間も経っていない頃、会場から大きな歓声が聞こえ、まさか負けたのかと勘ぐったが、当の本人はすぐ後に意気揚々と控室へと戻ってきた。


どうやら第一ラウンド早々、KO決着で試合は終わったらしい。


勿論、相沢君のKO勝ちで。


それでも顔には多少の痣が見て取れ、簡単な相手でなかった事を伺わせる。


そして同門の選手に激励を送るついでに俺にも声を掛けると、観客席で試合を見たいとのことで足早に控室を後にした。


賑やかな人物がいなくなると、どうしても感じてしまうのが残る静寂。


こうして段々と人が少なくなっていく空気は初めての経験で、どうにも落ち着かない。








暫し時が流れセミファイナルが始まった頃、室内にいるのは陣営の数人だけになった。


「この会場ではこれが普通になる。メインイベンターは毎回待たされるからね。慣れていこう。」


シャドーをやりながら耳を澄ますと、会場は歓声が鳴っては止みの繰り返し。


静かな室内には、独特の緊張感が立ち込めていた。


「よ~しっ、よくやったぞ康!これで上狙えるぞ!」


廊下からそんな声が聞こえたすぐ後、セミファイナルを終えた吉村選手が戻ってきた。


その顔に視線を向けると、厳しい戦いを乗り越えた男の顔。


お互いの視線が合わさり少し笑みを浮かべ合った後、激励するように頷き返してくれた.


そして入口に立つ係員の姿を見て、自分の出番が来た事を悟る。


「よっしゃっ!行くぞっ!」


牛山さんが声を上げ、それに合わせ突き出した拳にグローブを当てると、セコンド三人の後に続いて歩く。


纏うは背中にオジロワシの刺繍がされた黒を基調としたガウン。


花道には、後援会の人達がのぼり旗を持って道を作ってくれていた。


俺は両脇から激励を受けながらその真ん中を進んでいく。


入場テーマは、以前アイドル三人組からもらったCDに収録されていた曲でもあり、デビュー曲でもあると言う『DEEPBLUE』という楽曲。


俺から彼女達へのちょっとしたサプライズのつもりだが、少しは喜んでくれただろうか。


向こうのホールよりも幾分か長い花道を通りリングに上がると、思いもよらぬ大歓声。


そして対角線に視線を送る。


するとあちらも気合十分の様で鋭い眼光でこちらに視線を向けている。


息を吐きながら天井のライトを見上げると、そこまで眩しいとは感じなかった。






「只今より、本日のメインイベント、スーパーフェザー級八回戦を行います。赤コーナ~、六戦六勝未だ無敗のホープ、六勝の内一つがKO勝ち、公式計量百二十九ポンド二分の一、森平ボクシングジム所属ぅ~日本スーパーフェザー級十二位ぃ~とおみや~とういちろう~。」


一瞬びくっとなるような歓声が響き渡り、ここが自分のホームグラウンドなのだと思い知る。


同時に、会場の殆どが味方というプレッシャーも初めて感じていた。


「青コーナ~、九戦八勝一敗、八勝の内六つのKO勝ちがあります。公式計量は百三十パウンド~OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級十四位ぃ~フィリピン~ジェスタ~~サント~~ス。」


リング中央で向かい合いながら、相手の身体情報を確かめる。


(身長は確か百六十六cm。こうして見た感じ、概ねデータ通りと考えてよさそうだ。)


身長はそれほどではないが、全体的にがっしりとした筋肉に覆われた印象を受ける。


「かなり頑丈そうな選手だね。初めての武器のお披露目には、良い相手だと思うよ。」


会長の瞳には、いつもとは違う少し獰猛な輝きが見てとれた。


「開始直後、少し噛み付いて相手に距離を取ってもらおうか。その後は、練習通りに。」







試合開始を告げるゴングが鳴り、リング中央、互いのグローブを当て挨拶とする。


「…シッシィッ!フッ!シィッ!」


伸ばした腕を戻しきらぬうちに、左、右、左、右、ワンツー二連打。


いきなり打って出て来るとは思っていなかったのか、向こうはこちらの狙い通り距離を取った。


(さて、こっからだな。まずは釘付けにする!)


開始場所から動く事もなく、どかしてみろと言わんばかり中央に陣取った。


すると相手も体をしならせ、左から右のコンビネーションを伸ばしてくる。


対しこちらは移動する事なく、リーチの差を活かし機先を奪う。


「シッシッシッ…シッ!シッ!」


この数か月で更に精度も速射性も増したジャブを、弾幕の様に展開する。


しかもその一発一発を適当に打つのではなく、当たれば芯に響く場所を狙い撃つ。


こうなれば、相手の取れる行動は限られる筈だ。


一旦距離を取り落ち着いて作戦を練るか、ガードを固めて突っ込むか、若しくは自分の打たれ強さに賭けて、相打ち覚悟で振り回すかくらいだろう。


そして相手が選択したのは前者。


今はまだ初回という事もあり、一旦距離を取って落ち着く事にしたらしい。


相手はこちらを中心にして回りながら、様子見の左を伸ばしてくる。


思いのほか切れのある左をこちらも左で弾きながら、少しずつプレッシャーを掛けていく。


(なるほど、様子見でこの切れか、要注意だな。)


警戒心を高め、僅かでも打って出る気配を見て取ると、すかさず速射砲で弾幕を張り威嚇。


「シッシッシッシッシっ!」


じりじりと相手の選択肢を狭めていき、無理にでも前に出るしかない状況まで追い詰めるのが狙いだ。


こちらのプレッシャーを受け相手がロープ際を移動する展開のまま、第一ラウンドが終了した。





「いいね。気付いたかい?最後の方、向こうは覚悟決めた顔になってたよ。後は慎重に、でも大胆に仕留めておいで。」


会長のその言葉に無言で頷く。


そして第二ラウンド。


いきなり出て来るかと思われたが、意外に静かな立ち上がり。


またも前ラウンドを踏襲し、リング中央、我が物顔で陣取った。


見ると相手は、先程よりもガードの位置が高い。


(そろそろ来るな。いつでもいいぞ。こっちは準備万端だ。)


そう思った瞬間、伸ばした左をフェイントにして力強く踏み込んできた。


相手は全ての攻撃を受け止めるべくガードを固めているが、今の俺にはそれを打ち砕く武器がある。


「…シュゥッ!!」


待ってましたと言わんばかりに、ガードの上から左のコークスクリューブローを捻じ込む。


「…っ!」


踏み込むと同時に際どいタイミングで左フックを被せてくるが、先手を打った事が功を奏しこちらが先んじた。


予想だにしない強打に、相手はガードごと弾かれ上体が浮き上がる。


(ここだっ!)


ある日の練習で会長に言われた言葉が頭の中で反芻されていた。


『右のコークスクリューは決める時以外打っちゃダメ。そして打つなら絶対迷わない。』


その言葉通り、次を考える事無く迷わず踏み込んだ。


そして、腰、肩、肘、手首、全てを連動させて………打ち抜く。


「……シィィッ!!」


相手は反射的にガードを挟むが、そんなものには何の意味もない。


全身の力を集約した一発は、軽々と苦し紛れのガードを弾き、その先の頭部を飲み込んだ。









「…ダウン!ニュートラルコーナーへ!」


レフェリーに言われる前に、俺はコーナーへと歩きだしていた。


肩まで届いたその衝撃に、もう振り返る必要はないと確信していたからだ。


そして俺がコーナーに背を預けようかという頃、会長がリングに上がってきた。


相手に視線を送ると、どうやら意識を失っているらしく、ピクリとも動かず身を横たえている姿が目に入った。

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