第44話 ひりつく展開

第三ラウンドのゴングが鳴り、お互いにゆったりと距離を測りながら近づいていく。


相手も俺と同じく急な展開は好みでは無さそうな為、この辺り非常にやり易い。


だが、それは向こうにも言える事。


開始早々、本来の自分の土俵で思い切り良く左を伸ばしてきた。


「シッ!」


俺も反応しジャブを返すと相打ちになった。


しかし、それは一発目の話。


「…シッシッシッ!」


こちらは相手の体勢が整う前に、更に二発三発と浴びせていく。


差し合いに関しては回転の速い俺に分がある。


不利を悟り一旦距離を取られるが、それを無理に追う事はしない。


そしてまたも落ち着いた展開になり、仕切り直しとばかりにお互いが自分の距離を保ちながら左を突き合う。


だが、敵もさるもの。


時折踏み込むフェイントを見せて来る為、思わず反射的に右を伸ばしそうになる。


(…危なかった。今の振り切ってたらやられてたかもな。露骨に狙って来るな。)


相手の狙いは右ストレートに被せる左フック。


それが分かっている為、安易に右を打つ事は出来ない。


(あの鋭いフックにカウンターを合わせたいが、…打たせてタイミング覚えるか。)


少し危険だが、このままではじり貧になりそうなので仕方が無い。


「シッシィッ!」


相手がワンツーを打ってきた所で、こちらも同じく返す。


まだフックを打っては来ない。


どうやらこの段階ではあちらもまだ勝負してくるつもりは無いらしい。


「シッ!…シィッ!」


誘う様に距離を保ったまま、もう一度ワンツー。


しっかりとガードで受け止めてはいるが、その目はギラギラと輝き明らかに狙っていた。


緊迫感ある展開が続き、一度間を置く為お互いに軽いジャブを突き合いリズムを取る。


そして、誘う様に右ストレートのフェイントを見せた瞬間だった。


「…っ!?」


思い切り踏み込んで左フックを被せてきたのだ。


それはフェイントである事を最初から読んでいなければ、到底打つ事の出来ないタイミング。


相手がこの試合初めて見せる、コンビネーションではない単発の左フック。


それは予想以上に鋭く、伸ばした腕を戻すより早く右側頭部に突き刺さる。


三半規管が揺れ、足元が定まらない。


「…っ!!……くっ!!」


ダウンして回復を図るか、このまま踏ん張るか迷う暇も与えられず、ガードの上から叩かれ抗う事も出来ないまま俺はふらふらと後退しロープを背負ってしまった。


相手もここが勝負所と見て間髪入れず打ち続ける。


俺は必死にガードを固め続けるが、冷静に上下を打ち分けられダメージが蓄積していく。


拍子木の音が聞こえた様な気がしたが、今確かめる術は無い。


静寂から一転の激しい試合展開に会場は大きく沸いていた。


(…今は…今は耐えるしかないっ!)


レフェリーストップだけには気を付けながら、必死にガードを固め耐え続ける。


「ストップっ!」


レフェリーが割って入り、TKОかと肝を冷やしたがどうやらゴングが鳴っていたらしい。





自陣へ戻り腰掛けると、会長は腫れ止めの金具を右目に押し当てる。


まだ腫れてはいないが、最後のラッシュでいくらかはもらってしまったらしい。


牛山さんも忙しなくしている。


「足はどう?まだ動くかい?」


俺は確かめるように数回マットを足で叩く。


感覚的にまだ大丈夫と判断し、頷いて肯定の意思を示した。


「相手は前回の試合より、明らかにレベルアップしてるね。」


それは俺も感じていた。


動画を見た限りでは、いくら何でもあそこまで鋭くは無かった様な気がする。


未熟だという事は切っ掛けがあれば大きく伸びるという事でもあるのだろう。


だが、それは俺にも言える筈だ。


「フック狙いは止めて、徹底的に中間距離で勝負しよう。」


会長の言葉は意外なほど慎重なもので、あのフックに屈した様な形になるのでもやもやとしたものが残ったが取り敢えず頷いた。


セコンドアウトがコールされると、立ち上がってもう一度感触を確かめる。


日頃の成果もあってか、まだ足が止まる程のダメージでは無さそうだ。


第四ラウンドのゴングを聞き、向こうは一気に来るかと思われたが思いのほか静かな立ち上がり。


ならば好都合、自分から打っていく。


「シッ!」


俺のジャブに合わせて当然相手も突いてくる。


「…シッシッシッ!」


相打ちになった所で、更に三発。


そして踏み込んで来ようとした所を、大袈裟と言っても良いほどに距離を取る。


ここまでの流れで、ある程度今の自分の状態を把握する事が出来た。


ガードに徹したのが功を奏したか、決定的と言える程のダメージは無い様だ。


それでも足先には少し痺れが残っている。


(ダメージが抜けるまでは状況によってクリンチした方が良いか?…それは何か嫌だな。折角応援が来てるんだ。良い試合を見せたい。)


先程のラウンドの様に、完全に体が言う事を聞かなくなるとクリンチも難しいが、何よりそんなつまらない試合を後援会の人に見せたくないという意地がある。


劣勢に傾いた流れを自覚しながらも、意地で今一度自分を奮い立たせ前に進み出る。


「…シィッ!」


この試合では初めて放つ左ストレートに相手も警戒を強めたようで、視線から緊張感が伝わってきた。


このパンチの一番の利点は、ジャブと殆どモーションが変わらないため直に受けるまでは判断付きにくいというのがある。


一方デメリットはと言えば、連打がそれほど効かないという事か。


俺が研究される様な選手になれば対策も立ててくるのだろうが、今はまだその段階にないのでとても有効だ。


その証拠に相手は明らかに慎重になっている。


流れを掴むという所まではいっていないが、互角くらいには戻せた実感があった。


「シッ!シィッ!」


ジャブから左ストレートに繋げ、相手の出端を挫く。


悩んだ末、あの左フックは打たせない方向で行く事にした。


つまり、踏み込んでくるなら止める、それが出来なかったら逃げる。


幸いジャブの差し合いではこちらに分がある為、自分の距離を徹底すれば後手を踏む確率も低い。


その後も徹底的に相手の踏み込みは許さず、中間距離で左を打ち続けた。


そして、残り十秒。


(このラウンドも際どい…何とかジャッジに印象付けたい所だな。)


そんな事を考えていると、


「…チィッ!」


どうやら相手も同じ事を考えていた様で、一瞬の隙を見逃さず踏み込みながら左を突いてきた。


終了間際の、打ち気に逸っている所を狙われてしまった。


そこから繋がるコンビネーションをしっかりとガードした所でゴングを聞く。






コーナーに戻ると、会長にここまでの採点予想を聞いてみた。


「そうだね。さっきのラウンドをどう取るか次第だけど、次のラウンドが勝負になるはずだよ。相手の踏み込んでくる左に合わせて、下がりながら右ストレートを狙ってみよう。」


頷きながら、乱れた呼吸を整えつつ頭の中でイメージを固めていく。


(相手が左足の踵を上げた時、それに合わせて右を伸ばす。足元を見るのではなく全体を俯瞰する様に。)


想像上は上手く行った。


良いイメージを保てたまま、最終ラウンドのゴングが鳴り響いた。


リング中央、お互いに険しい表情をしたまま距離を詰めジャブを打ち合う。


単純な左の差し合いは回転数の差でこちらに軍配。


ならばと回り込みながら右を伸ばしてくるが、バックステップで距離を離す。


このラウンドを取った方が大きく勝利に近づく事が分かっている為、お互い積極的に打ち合いながらも決定的な瞬間に備えて力を溜めていた。


「一分経過!」


牛山さんの声が響き、勝負の時を見定める。


(流石にそろそろ慎重な事ばかりしていられないな。)


その一瞬を見逃さぬよう、互いにフェイントを掛け合いながら隙を伺う。


その緊張感に耐えかねたか、どららからともなくジャブを突いて一旦距離を取る。


そこから数秒、互いの距離よりも少し遠い位置でリング中央睨み合いが続いた。


覚悟を決め再び距離を詰めると、緊張感の高まりを一層感じる。


(ここで来る…ここしかない…いきなりフックは考えづらいか?うん、踏み込んでくるはずだ。)


あのフックは強烈だが、それ単発ならガードしてしまえば良い事。


幸い相手はハードパンチャーでは無い。


腹を括ってそのまま近い距離で打ち合えば勝ち目はありそうだと判断した。


残り時間は一分を切っただろうか。


最後の勝負に備え、互いに伸ばした左を叩き落としながら探りを入れ合う。


「…はぁ……はぁ………はぁ。」


意志を読み合う様に視線がぶつかったその時、両者同時に動いた。


「……シィッ!」


一方は前へ、もう一方は後ろへ。


踏み込みに反応して、俺は下がりながら真っ直ぐに右ストレートを放った。


相手が放つのは当然自身最強のコンビネーション、踏み込んでジャブそして左フック。


一発目が俺の鼻先に触れる。


だが狙ったのは二撃目、相手のKОパンチである左フックへのカウンター。


(顎っ!捉えたっ!!)


抜群の手応えが肩まで響き、相手の膝がかくっと折れ曲がり崩れるかに思われたが、ふらつきながらも根性で堪えている。


「…シッ!シィッ!……フッ!シィッ!」

(ここだっ!ここで決めるっ!!)


まずは返しの左フック、そこから右ボディ、もう一発更に左フックを返す。


「シッシッシッ……シッシッシッシッシッ……!」


最早残り時間などどうでもいいと言わんばかりに、がむしゃらに叩いて叩いて叩きまくった。


ここで終われるかと相手も最後の意地を見せる左フック。


しかし足が言う事を聞かない状態では、本来の鋭さは発揮されない。


「…チィッ!……シュッ!!」


鼻の辺りを打たれ、血が滴るが構わず打ち続ける。


だが相手もふらつきながら視線も定まらぬままに振り回してきた。


そして、


「ダウン!ニュートラルコーナーに戻って。」


待望のダウン、戻る途中で掲示板を見ると、残り九秒。


「はぁ~~っ……はぁ~~っ……」


もう呼吸を整える必要も無いと察し、だらりと腕を下げ天井を見上げながら大きく息を吸う。


相手を見ると既に立ち上がっており、グローブをレフェリーが拭いている所だった。


「ボックスっ!」


再開の合図を待ち距離を詰めた瞬間、ゴングが鳴り響き試合終了を告げた。





お互いの健闘を称え抱き合った後、意気揚々とコーナーに足を向ける。


そこで待つ二人ともが背中を叩いて褒めてくれた。


だが、まだ判定の結果を聞いていない。


正直、最終ラウンド以外全部向こうだと言われても不思議では無いと思っている。


緊張しながら判定の結果を待っていると、リングアナが進み出る姿を視界に捉えた。


「判定をお知らせいたします。ジャッジ鳥田三十八対三十七、ジャッジ鈴木三十九対三十六、ジャッジ前田三十八対三十七、以上三対〇のユナニマスデシジョンを持ちまして、勝者、青コーナーとうみやぁ~とういちろうぉ~。」


リング中央でレフェリーに手を掲げてもらいながら、周囲の観客に頭を下げる。


「良くやった!流石地方の星!」


正直これ本当に恥ずかしいんだが、応援自体は有難いので言わないでおこう。


相手コーナーに駆け寄り挨拶を済ませ戻ろうとした時、さっきのリングアナの人に呼び止められた。


何でもインタビューがあるらしい。


「おめでとう御座います。今の感想をお聞かせください。」


「あ、はい。勝てて良かったです。」


何か良い事を言わなければと思案するが、疲れた頭ではこれが限界だ。


「素直な感想有り難う御座います。これで来月には全日本新人王を賭けて戦うわけですが、自信と意気込みを聞かせてもらえますか?」


「あ、はい。勝てれば良いなって思ってます。」


何というつまらない男だろうか。


会長も牛山さんも苦笑いしている。


言い訳をさせてもらえるなら、心の準備が出来ればもう少しましだったと思う。


思ってもいない所で恥を掻いたが、取り敢えず表彰式に出る為、後の試合が終わるのを待つ事にした。


「坊主、もう少しましな事言えなかったのかよ?あれじゃ話題にもなんねえぞ。」


そんな事を言われながらも、今は気分が良いので気にならない。


「後は全日本新人王だね。そこまでいけば一旦の区切りにはなりそうだし、暫くは体を休められるね。」


会長の方針では、次の試合が終わったら五月くらいに試合を組みたいとの事。


俺としても特に不満は無い為、納得して返事をした。








全ての試合が終わり、首にメダルを掛けた優勝者がリングに勢揃いしており、その中には勿論俺もいる。


隣にはライト級の優勝者松田選手が立っていて、傷だらけの顔が激戦を想像させた。


「…スーパーフェザー級新人王は森平ボクシングジムの遠宮選手です。」


前に進み出て、団体の会長から表彰状を受け取る。


その後、技能賞、敢闘賞、そしてMVPが発表されたが、俺の受賞は無かった。


その代わり松田選手が敢闘賞を受賞したのが、何故か誇らしい。


優勝者の内五人が王拳ジムの所属であったのには驚いた。


やはり最大手のジムは層の厚さが違う。







会場を出ると、後援会の人達が皆揃って待ってくれていた。


「いやぁ、やったね。もうハラハラしっ放しだったけど、良く頑張ったね。」


後援会長の新田さんが、本当に嬉しそうに称えてくれる。


その目は少し赤くなってる様な気がした。


他の後援会の人達とも言葉を交わしつつ、今日の感謝を伝えていく。


「今度は来月の全日本新人王。絶対また来るから、勝ってくれよ!」


元気良く激励され、俺もそれにつられ力強く返事を返した。


その後、後援会の人達は新幹線で帰るらしくここで解散となり、俺たちも帰路に着くべく三人で車に乗り込む。


「坊主、ちょっとメダル見せてくれよ。どんなもんなんだ?」


牛山さんの要望に応え取り出すと、目の前にぶら下げて見せる。


「なんか、大仰な鳥がデザインしてあるな。フェニックスってやつか?鳥って意味じゃお前のガウンとお揃いだな。」


俺はどちらかと言えば、オジロワシのほうがカッコ良くて好きだ。


「今日は難しい試合だったけど本当に良く頑張ってくれたよ。こうして結果を出していけば地元での人気もうなぎ上りになるよ。」


またテレビに出る事を考えると少し気が重くなったが、褒められると恥ずかしくなり頬をポリポリと掻きながら礼を返す。


その後はサービスエリアで食事をした後、着くまで眠りに落ちていた。







「……坊主。着いたぞ。起きろっ。」


牛山さんに起こされると既にマンションは目の前だったので、二人に今日のお礼を伝え自宅へ入る。


すると、それを聞きつけた叔父が嬉しそうにしてい駆け寄ってきた。


「聞いたぞ。お前本当に凄えじゃねえかっ。」


居間に座り、誇らし気にメダルを見せながら今日の試合の話をしていく。


叔父は少しアルコールが入っていたが、まだ出来上がってはいない。


「くっそ~。俺も見に行きてえんだけどな。どうにも予定が合わん。」


そう言って悔しそうにしている叔父を宥めた後、俺は風呂に入って大人しく就寝した。


今日は良い夢が見れそうだ。

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