第45話 彼女の事 俺の事

「うん。見た目は結構傷だらけだが、概ね問題無しだ。学校は行くのか?今日は休んでも良いと思うが…。」


翌日、叔父の病院で診察を受けた後、律義に学校へ向かった。


正直そこまで無理して行く必要も無いのだが、何となく休むのも気が引ける。


次の試合は十二月二十三日。


全日本新人王決定戦だ。


これに勝つか負けるかで、この先の予定は大きく変わるだろう。


これを逃せば後いつランキング入り出来るチャンスがあるか分からないからだ。


何より地元を中心に火が付き始めている人気も、一気に陰る事が予想される。


そうなれば自主興行など遠い夢の様なものになるだろう。


明後日にはいつもの局からの取材も入っている。


今回はその翌日にもう一つ蒼海そうかいテレビの取材も入っており、その期待の程を伺わせ少し緊張してしまう。


プレッシャーにはなるが、これからはそれを力に変える位の度量が必要だ。





そして学校に着きはしたのだが、時間が中途半端で授業の最中なので入りづらい。


時計を見やれば後少しで終わる、では待とうかと思っていると、


「何やってんだ遠宮。早く入れ。」


授業中の教師が扉を開けそう言ってきた。


よく考えれば校門から入って来た時点で丸見えなので当然だ。


教室に入るとクラス中の視線が一斉に集まる。


そして昨日の試合を見た様で、良く頑張ったとかカッコ良かったとか褒め称えてくれた。


どうやって見たのか不思議で話を聞くと、後援会の人が試合映像をネットにアップしているらしい。


「やったじゃねえか。マジでカッコ良かったぞ。遠宮の癖に。」


席に着くと、田中がいきなりそんな事を言ってきた。


癖にってなんだ。


「おめでとう。遠宮君が頑張ってるの見ると、何か触発されるよ。」


田中とは違って阿部君は嬉しい事を言ってくれる。





休み時間になると、珍しく俺の周りに人が集まって賑やかになった。


「でもさ遠宮君、あのインタビューは無いわ~。あそこで一発かまさないと!」


いつも賑やかな女子、田辺さんが痛い所を突いてくる。


確かにあれは無かったと自覚している為、苦笑いしか出ない。


そんな中、集まった内の一人がアップされている動画を再生し始めた。


「なんかこうやって実物見ると痛そ~。ちょっと触って良い?」


興味津々と言った感じに田辺さんが手を伸ばしてくるので、取り敢えず触らせておいた。


指が触れる際、顔が至近距離にあってかなりドキドキしたのは内緒だ。







学校も終わり今日は休んで良いと言われていたが、一応ジムには顔を出した。


すると会長が明君のミット打ちをやっており、


「どのパンチを打つにしても軸がぶれたら駄目だよ。そうそう、あと重心なんだけど……」


こうして見ていると、忘れかけた初心を思い出して懐かしい気分になる。


とは言え眺めているだけなのは退屈で、練習が終わるまで牛山さんで遊ぶ事にした。


「腰が入ってませんよ牛山さん。コンビネーションが甘い、それではカウンターの餌食です。」


牛山さんが叩いているサンドバッグを支えるように持ち、適当な事を言い続ける。


確かもう六十近い筈だが、そのパンチは意外に重い。


しかも結構真面目にやっている為、邪魔するのも気が引け大人しく座って待つ事にした。


練習後、会長に次の対戦相手のことを聞いてみると、


「西日本代表はレッド木田ジムの谷口誠司たにぐちせいじ選手だね。戦績は六戦五勝一敗。KО勝ちは無いよ。身長は百七十三センチ、リーチは百八十一センチと結構懐深いね。」


戦績である程度察していたが、映像を見る限り俺と同じ地味な選手だ。


ポイントボクシングと言えばいいのだろうか。


ジャブを中心とした細かいパンチで主導権を握り、相手の距離になると迷わずクリンチ。


このクリンチが見習いたくなるほど上手い。


その見切りはクリンチじゃなくカウンターを狙えるのではないかと思える程だ。


だが試合自体の盛り上がりは欠ける。


そのせいで関西弁のヤジも飛んでいるが、本人に気にした素振りは無い。


「これじゃ、俺の試合でMVPとかは絶対無理ですよね。」


俺とこの選手では、塩試合になる構想が濃厚だ。


だがこちらとしてはそれでは不味い。


この先に自主興行の展望を覗くのなら、ここで地元人気を底上げしておきたいのだ。


「難しいだろうね。勝つ事だって簡単な相手じゃないのに、その上内容も求められるとなると。」


そう、これが勝つこと自体簡単という相手なら自分のスタイルを崩してでも強引に行くのだが、この相手にそれをやってしまうと嫌な結末しか想像出来ない。






翌日、陸中テレビのいつものお姉さんがインタビューにやってきた。


「東日本新人王獲得、おめでとうございま~す。」


そんな明るい挨拶から始まったインタビューは、流石プロと言う感じで進んでいく。


「次は全日本新人王。そしてチャンピオンへと夢が膨らみますね。」


俺へのインタビューが終わった後、いつも通りその後を会長が引き継いだ。


「遠宮選手の知名度人気共に県内では高まりつつありますが、この先県内で試合をする予定はありますか?」


アナウンサーの質問に会長が淀みなく答えていくのは驚く内容だった。


「そうですね。全日本を取れたら県内を本拠地として活動していこうかと思っています。こんなに応援してくれる人達がいるのに、皆さんにその姿を見せられないのは残念ですからね。」


この口振りからすると、少なくとも会長は採算が取れると思っている。


そんな予定も次の試合で負けたらご破算になるのだろうが。


(いや…違う。次の試合でじゃない。ジムの状況を考えれば一度でも負けたら終わりだ。足踏み所の話じゃない。這い上がるチャンスは何年待てば来るのかも分からないんだから。…絶対負けられないっ。)


俺は横で話を聞きながら、そんな決意を固めていた。






翌日、今度は蒼海テレビの取材がやってきた。


しかし、俺にマイクを向けているのはどう見ても本業ではない若い女の子。


カメラが回った冒頭の挨拶を聞くと、どうやら地元のアイドルグループの一人の様だが、あまりテレビを見ない為その存在を知らなかった。


「初めまして。BLUESEAブルーシーっていうアイドルグループやってます。いつもは三人なんですけど今日は一人です。私は桜って言います。よろしくお願いしま~す。」


アニメ声と言えばいいのだろうか、不思議な声色の少女だった。


だが挨拶をされたら返さない訳にはいかない。


「はい。宜しくお願いします。ブルーシートの桜さんですね。」


一度聞いただけなので、間違えない様に確認しながら丁寧に言葉を返した。


「BLUESEA!『ト』は要らないから!下に敷かれるあれじゃないから!」


間違えたのは悪いと思ったが、テンションの高さについていけない。


戸惑いながらも謝罪の言葉を伝え、インタビューを再開した。


「全日本新人王?おめでとうございます!」


だが出だしから微妙で、途中には俺の名前を遠山さんと言ったり階級をスーパーフライ級と言ったり、色々残念なインタビューだった。


だが一番驚いたのはそんな所では無く撮影が終わった後の挨拶だ。


「有り難うございました。今日はとんだご迷惑をお掛けしまして…。」


テンションも声もインタビュー中と全然違う。


恐らく彼女なりの誠意を込めた謝罪なのかもしれない。


あの声やキャラクターだって、生き残る為に必要な武器を磨いた結果と想定出来る。


その苦労には何となく共感出来るものがあった。


「いえ、お気になさらず、お互いこれからも頑張りましょう!」


励ます様に声を掛ける俺を、彼女はきょとんとした顔のまま見つめた後帰っていった。


連日の取材に疲れ俺が溜息をつくと、


「何だよ坊主、アイドルに会ったってのに浮かねえ顔だな。まあ、俺も知らねえ子だったけどな。」


知らないなら一般人と何の違いがあるのだろうか。


しかし明君なら知ってるかと思い聞いてみると、


「そうですね。蒼海テレビのアイドルオーディションがあって、それで選ばれたメンバーだった様な…。確かCDデビューはまだこれからで今は饅頭のCMに出てたはずですよ。」


少し前から俺と話してもどもらなくなって成長を感じる。


それはともかく世代によってはそれなりに知られているグループの様だった。


勿論俺と同じ、県内限定の知名度ではあるだろうが。





後日、件のCMを見る事が出来た。


それは三人の女の子があまりの美味しさに饅頭を奪い合うという内容で、大企業のCMにはない独特のシュールさがあり個人的には結構好きだ。







十一月三十日、今日は自分の誕生日だが今はそれ所ではない。


そう思いながらいつものコースを走っていると、境内へ続く石段の前で彼女が待っていた。


「お早う遠宮君。」


白いロングスカートに黒のセーター、チェック柄のストールと言うのだろうか、オシャレは全く分からないが良く似合っている。


その姿は完全に冬の装いと言った感じで、彼女の大人っぽさをより際立たせていた。


「お、お早う。珍しいね、下にいるのは。」


この時間はいつも境内を掃除している為、いるのはもっと上の方だ。


「うん、今日はね。渡す物があったから。」


そう言って手に持っていた紙袋を手渡してくれる。


「今日誕生日でしょ?あっ、でも今手渡されても迷惑かな?」


とんでもないと首を振り、喜んで受け取った。


「あ、有難う。中見てもいいかな?」


念のため確認を取ると、彼女は少し恥ずかしそうにしながらもどうぞどうぞと促してくる。


中に入っていたのは恐らく手編みであろうマフラーだった。


世の中には手編みや手作りのプレゼントを重いと感じるいう話は聞くが、こうして送られてみると要は誰にもらったかが重要なんだという事が分かる。


「…ちょっと重いかな?えへへ…。」


思い切り首を振りそれを否定した。


「そんな事ないよ!大事にするから、ずっと…ずっと。」


それだけを伝え袋にしまう。


今身に付けたら汗で汚してしまうからだ。


(確か彼女の誕生日は十二月二十四日だったはずだ。良いお返し考えないとな。)


実は彼女の誕生日については、以前田中に頼んで聞いてもらっていた。


ちょっとストーカーっぽいと我ながら思う。


「喜んでくれたなら良かったよ。試合頑張ってね。あまり怪我しないように…。」


少し心配そうな表情を浮かべる彼女に、笑顔を返し袋を大事に抱えて走った。







十二月に入ると、一気に冷え込む日が増えてくる。


中旬に差し掛かれば氷点下になってもおかしくは無い。


今日は叔父に紹介された病院近くの店、酒井ドラッグのパート面接に行く日だ。


履歴書に印鑑、持ち物を確認した後なるべく地味な服を着て準備完了。


スーツを用意しようかとも思ったが、普段着で良いと叔父に言われたのでそうした。


何でも普通は、正規雇用の面接でもない限りスーツでは赴かないとの事。


緊張しながら店内に入ると、見渡しながら店長らしき人を探す。


因みにこの店はチェーン店ではなく、ドラッグストアとしては珍しい個人経営の様だ。


店内をうろうろして一通り回ったが、それらしき人が見つからない。


仕方がないので近くの女性店員に聞く事にした。


緊張しながら訪ねると丁寧に対応してくれて態々呼びに行ってくれた、有難い。


「待たせてごめんね。店長の酒井です。約束の十分前、真面目で良い感じだね。」


叔父と同じくらいの年代であろう白衣を着た男性に奥へと通される。


促され遠慮がちに椅子に座ると、面接が開始。


「試合が終わってからでも良かったのに。そんな頬がこけた状態で無理しなくてもさ。」


当たり前だが俺がボクサーであるという事は知っているようで、気遣ってくれた。


その後は就業規則やシフトなどの説明に入る。


「基本時給は八百円、医薬品の管理資格持ってればプラス二百円出せるよ。後、日曜は定休日だから。」


この資格は毎年試験が行われているらしく、良かったら受けてみないかと勧められた。


と言っても管理資格と言うのを得るには二年間の実務経験が必要らしいが。


その後も色々話を聞いたが、どうやら最初から雇う事は決まっている様な口振りだ。


「取り敢えず本格的には四月からで、一月から週二回くらい慣れる為に出てみようか。」


緊張しながら挨拶を返し店内に戻ると、なるべく他の店員さんにも挨拶してから帰る事にした。


「じゃあ、また一月の四日にね。試合頑張って。応援してるよ。」


感じの良い店長さんのお陰で、不安も少し軽くなった気がした。


その日の夜にどうだったかと叔父に聞かれ、何となくやっていけそうだと返しておいた。







十二月も十日を過ぎ、雪が降ってもおかしくないほど冷え込んできた。


夜のロードワークに出ると特にそれを実感する。


しかし最近は楽しみがある為苦にはならない。


いつものコースを走り石段を駆け上がると、待ち合わせをしていたかの様に明日未さんが待っていてくれた。


白いロングスカートと暖かそうなウールコートが、綺麗な大人の女性という雰囲気を醸し出している。


「ふふっ、いつもご苦労様です。寒くなって来たからかな。ますます辛そうだね…。」


境内にあるベンチに二人並んで腰欠けると、ひんやりとした感覚が伝わってきた。


この時間を楽しく過ごす為に、俺は話す話題を極力選んでいる。


なるべく別れを連想させるものは避け、どうでも良いと思える事ばかりを話題に上げるのだ。


彼女が俺と離れる事をどう考えているかは分からないが、俺はつらくて仕方がない。


これが恋と言うものなら、思っていたものとは違いすぎる。


もっと楽しい気分になるものだとばかり思っていたが、こうして話している時さえも、もうすぐ訪れる別れの時を思い出してしまう。


特に減量中はそれが顕著で、考えれば考える程感情を抑えきれなくなりそうだ。


「そういえば見たよ。可愛い女の子にインタビューされてたね。ふふっ、ちょっと鼻の下伸びてたかな?」


そう言いながら、彼女は揶揄う様にこちらを覗き込む。


その一つ一つの仕草が心を抉り感情を揺さぶってくる。


俺はそれを表に出さないのが精一杯で上手く言葉を紡げなくなっていった。


「もし、俺が……」


ここに残ってほしいと言ったら残ってくれるか、と聞いてしまいそうになり、それだけは言ってはならないと自制が掛かる。


彼女にもしたい事があり、それを邪魔する権利が俺なんかにある訳が無いと。


彼女は少し困った様な顔をした後、頭を撫でてきた。


子供扱いされているにも関わらず、それに幸せを感じている自分がどこか情けない。


「大丈夫だよ。遠宮君はきっと頑張れる人だから。」


きっと彼女は俺などいなくても問題ないのだろう。


そう考えると、また胸の奥がチリチリと燻る様に痛んだ。


そして思う、俺はどうしようもなく、弱い、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る