第十五話 会長の仕事

十一月も終わりに差し掛かった頃、出先から戻った会長が開口一番言い放つ。


「統一郎君、次の試合決まったよ。相手はランキング四位の柴田選手。勿論、幸弘君の試合も決めてきたからね。」


言われ、選手情報を記憶から手繰り思い出していく。


柴田 茂しばたしげる、東雲ボクシングジム所属の二十六歳、戦績は十六戦十三勝(七KO)三敗。


話を詳しく聞いていくと、正確な日程は一月二十日。


場所は今までと同じ泉岡県営体育館で執り行うとの事。


正直、ここから先は相手の地元、若しくは中央で行う事になるかもと思っていたので意外だった。


しかも相手の所属ジムがあるのは中部地方らしく、かなりの遠征距離になりそうだが、よく話をまとめる事が出来たものだ。


もしかしたら、それなりにファイトマネーを弾んでいるのかもしれない。


俺のファイトマネーはタイトルホルダーでもないA級ボクサーの中では平均くらいだろう。


余分に出す分の負担はやはりジムに、ひいては会長に掛かっているのだろうか。


まあ、全て自分の憶測にすぎないのだが。


そんな事を考えていた折、そう言えばと思い出した事がある。


「会長、佐藤さんは新人王戦には出ないんですか?」


二月には抽選も行われる為、出場するのならそろそろ話題に上がってもおかしくないのだが全く聞こえてこない。


その問い掛けについて答えたのは、佐藤さんだった。


「うちの工場、夏から秋にかけてが繁忙期ですから、何度も連休取るのは厳しいんですよ。正直、出たいのは山々なんですけどね。今でも結構配慮してもらってるんで…。」


なるほどと思いながら話を聞いていた。


ボクサーは世界チャンピオンにでもならない限り、基本大きな収入など見込めない。


ましてや、それだけで生活していこうなど無理にもほどがある為、現状では仕方がないだろう。


勿論何事にも例外というものは存在し、デビュー前から大スポンサーがつく規格外な選手もいるのだが。


「そうなんですか、少し残念ですね。佐藤さんなら優勝も狙えると思ったんですけど。」


俺がそう言うと、佐藤さんは謙遜しながらも満更でもない表情を浮かべていた。


「はいはい、話はここまで。二人とも練習に戻ろうか。」


会長に手を叩きながら促され、思い出したように練習に入っていった。







練習終わりの歓談中、会長からもう一つ大きな報告がされた。


「そうだ、言ってなかったけど、すぐ近くのテナント借りてフィットネスジムやる事にしたから。」


そこは昔コンビニがあり、それ以降は借り手がつかずこの間まで空きテナントになっていた場所で、今は毎週決まった曜日、会長が子供たち向けのボクシング教室を開いている。


他の人達は知っていたのかと視線を通わせると、皆初耳だったらしい。


すると、誰もが感じていた疑問を牛山さんが聞いてくれた。


「でもよ会長、それだと坊主達を見れる時間が限られてくるんじゃねえか?」


佐藤さんや明君もそれが不安だったらしく、一様に頷いている。


ミット打ちくらいならば牛山さんでも可能だろうが、スパーリングをやるとなれば、会長がいない時はしないというのが暗黙の了解だ。


「それも言い忘れてましたね。向こうのトレーナーさんは他から雇う事にしてるんですよ。」


話を聞くと、いつの間にか求人を出しており、良い人が見つかった事もあって開設に踏み切ったという流れ。


「色々なマシンを導入するつもりだから、時間があるとき見に行ってみるといいよ。中にはアスリート用の高いやつも入れる予定だからね。」


そう言いながらパソコン画面を開き、買った商品の概要を見せてくれた。


全部合計するとかなりの金額になる為、その本気度が伺える。


「みんな大丈夫なのかって顔をしてるけど、意外に需要あるんだよ?それに、明君もこれから本格的にプロになるわけだし、いつまでもこのままってのはね。」


何でも、ボクシング教室についてきている保護者から、大人も利用できる施設があればいいのにと、常々言われていたらしい。


やはりボクシングは本気でやるとなると敷居が高いのだろう。


しかも、やりがいばかりで実入りは少ないと来ている。


現に明君に佐藤さん、この二人が来て以降誰一人として見学にすらも来ない現状だ。


反面、会長がやっているボクシング教室は盛況のようだが。


「明君の同級生とかで興味があるっていう子いないの?いたら連れてきてみればいいよ。」


俺がそう言うと、明君は少し困ったような表情をしていた。


「すいません、ボクシングやってること同学年には誰にも言ってないので…。」


その返答を聞き、そう言えば自分もそうだった事を思い出した。


「ま、まあ、すぐに知られる時が来るよ。確か誕生日七月だったよね。」


少し悪い事を聞いてしまったかと思い、話題を変えるため強引に切り替える。


「はい。夏休みの最中に誕生日なんで、プロテスト受けるならその時期かなって思ってます。」


はきはき答える明君を温かい目で眺めながら、時間が経つのは早いなと感慨深く感じていた。














二週間ほど経ったある日、皆でそろって新設されるフィットネスジムにやってきた。


「おお~~っ。」


想像していたよりもはるかに充実した設備に、三人共が感嘆の声を上げる。


一目見た感想は、もはやこっちが森平ボクシングジムの本体ではないかという事。


高そうなトレーニングマシンにサンドバッグなど、リング以外の全てが揃っている。


サンドバックは土台に砂を入れるタイプだが、かなりの重量があるため重心が安定しており、とても打ちやすそうだ。


簡易式ながらあっちよりも立派なシャワー室まで完備と、至れり尽くせりの内容。


以前見せてくれたパンプレットから値段を逆算すると、五百万まではいかないくらいだろうか。


「会長って結構金持ってんだな~。」


思わずそんな言葉が口を突いて出てしまった。


「実君はウェブデザイナーとしても結構有名だからね。」


不意に事務室だろう部屋から出てきた女性に声を掛けられ、全員が視線を向ける。


「初めまして、こっちでフィットネスを担当させてもらう及川明子おいかわあきこです。」


そこにいたのは引き締まった体が印象的な、年の頃は三十くらいだろう女性。


見た目からもやり手な雰囲気を醸し出している。


「こちらこそ初めまして、遠宮と言います。」「佐藤です。」「菊池です。」


三人ともが少し緊張した面持ちで自己紹介すると、


「大丈夫、知ってるよ。私ボクシングも好きだからね。この前の試合も見に行ってたんだよ?」


もしかしたら自分たちが知らなかっただけで、結構前から計画が進んでいたのかもしれない。


少し話を聞いた所、会長とは高校時代からの知り合いで、結婚してからはこちらに移り住み、今はここからほど近い場所で専業主婦をやっていたらしい。


「でも規模は小さいけどさすが実君と言うか、選手も粒ぞろいだよね。佐藤君は切れのあるカウンター打ってたし、遠宮君はもうチャンピオン狙ってもおかしくない。菊池君もかなり行けるだろうって聞いてるよ?」


誉め言葉を投げかけられ三人で顔を見合わせた後、少し恥ずかしくなって苦笑いを交わし合う。


見た目通りとても爽やかな人で、緊張はすぐに解れていき会話も弾んだ。


そうしていると、先ほど及川さんが出てきた部屋から会長と牛山さんもこちらにやってくる。


「盛り上がってんな。どうだ及川さんは、実年齢より若く見えんだろ。」


そんな事を言って大丈夫なのだろうかと思い彼女の方へ視線を向けると、ニコニコとした表情を崩していない。


「まあ、誉め言葉として受け取っておく事にします。」


そして気にした素振りも見せる事無くさらりと受け流す姿に、堂々としたカッコ良さを感じた。


「時々うちの選手たちもこっちに来るかもしれないから、その時はよろしく頼むよ。」


会長が親しげに話す姿に、何だか珍しいものを見たような気になった。


そういえば、先ほど会長の仕事がどうとか言っていたのを思い出し、少し聞いてみる。


「会長ってウェブデザイナーだったんですね。何かカッコいいです。」


とは言ったものの、俺はそれが何をする仕事であるのかすらも知らない。


だが、横文字で表される事だけでも何となくオシャレな気がしたのだ。


「うん?ああ、そうだね。クライアントと話すのは基本的に昼間だから、特に問題はないんだよ。」


何かいかにも現代人という感じでカッコいい。


会長はそう語った後、及川さんとこれからの経営方針などを話し合い始めた。


「ところで二人共、ウェブデザイナーって何をするの?」


俺の問いに対し、知らずに聞いてたのかと、二人の顔は物語っていた。


「確か、ホームページを作ったりするんじゃなかったかな?」


「そうだったと思います。うちのジムのホームページもあるんですよ?見たことないですか?ボスターにも載っていたはずですけど。」


言われれば見たような気がしないでもない、そう思いスマホを開いて検索してみる。


すると、ジムの場所や所属選手の紹介などが事細かに乗っていた。


「見てください佐藤さん、顔写真付きですよ。凄いですね。初めて知りました。」


少し興奮気味に語る俺を、二人は微笑ましく眺めている。


「でもこんなに設備投資して元は取れるんですかね?」


そんな疑問を三人で話していると、またも及川さんが答えてくれた。


「この先の事は分かんないけど、既に会員が二十人以上いるから大丈夫なんじゃない?それに、貴方達の活躍でこの程度の散財吹き飛ばしてやればいいのよ。」


確かに、数百万程度なら俺がチャンピオンになればすぐに元が取れるだろう。


三人で顔を見合わせた後、見慣れた光景が広がる場所に戻り練習に励んだ。

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