第十四話 安息の一時
十月の始め、A4サイズくらいだろう俺宛ての封筒が自宅に届いた。
封を開けてみると、それは一月ほど前に受けた資格試験の合格通知。
正直、試合などの事で頭が一杯だった為、今日の今日まですっかり忘れてしまっていた。
それでも、こうして目に見える形で成果が出ると嬉しくなる。
店長に伝えた所、次の出勤時にそれをもってきてほしいとの事。
「うん、間違いないね。医薬品の管理資格は二年間の実務経験を詰めば手に入るから、それまでは研修中として時給が百円上がるからね。」
「あ、はい。有難う御座います。」
契約書も書き直さなくてはならないらしく、ハンコを取りに戻る羽目になったが、少しでも実入りが増えるなら有難い事だ。
だが、二年経っても俺はパートをしているんだろうか。
そんな事を考えたが、取り敢えずは今のままやっていくしかないだろうと思い仕事に戻った。
試合から約四週間ほど経つと、問題なく指の関節も曲げられる様になり一安心。
痛み自体はまだ少しあるが、このくらいならさして問題はないだろう。
徐々に練習もいつものペースを取り戻していき、十一月に差し掛かる頃には次の試合を見据えていた。
そして日曜日、いつもの様に葵さんの所へ赴く途中に本屋へ寄っていく。
毎月買っているボクシング専門誌を買う為だ。
今月の表紙には最強挑戦者決定戦の文字が躍っている。
会長の計画では、来年の今頃これに出場出来るようになるのが当面の目標らしい。
最強挑戦者決定戦というのは、その名の通り各階級の上位二名がチャンピオンへの挑戦権を賭けて争うものだ。
怪我などの理由がない限りは、基本的に一位と二位の選手で争われる。
「一郎君の試合は載ってないの?扱い小さいね~。全くけしからんっ。」
葵さんが腹の下から潜り込む様にして覗き込み、不満気な顔を見せる。
「一応載ってるけど、まだそこまでの扱い受ける選手じゃないから仕方ないよ。」
「ふ~ん、あっ、ここっ、名前載ってるよ。スーパーフェザー級六位だって。凄いね~。」
雑誌の後ろの方にあるランキング一覧の表に俺の名前を見つけると、彼女は凄く嬉しそうに笑った。
同時期に六位の選手も試合をしており負けた為、順当に一つ繰り上がったらしい。
「どれどれ、チャンピオンは備前直正っていう人なんだ。何か強そうな名前だね。」
【
二度の世界挑戦に失敗した後、日本王座を獲得し現在四度防衛中。
身長百七十三cm、リーチ百七十一cm、三十三歳のボクサーファイター。
「確かにね。カッコいい名前だと思うよ。何か戦国武将みたいじゃない?」
「分かる~。何か独眼竜とか名乗ってそうな雰囲気あるよね。」
それは違う人と勘違いしているんじゃないか思ったが特に指摘もせず、互いに笑い合う。
「この人と戦う事になるの?でも、一郎君ならきっと勝てるよね。」
どうだろうか、全盛期を過ぎているとはいえ相手は世界を知っている程の選手だ。
今の所、タイトルを返上してもう一度世界を目指すという話は聞こえてこないので、こちらが順当に勝ち進んでいけば当たる事にはなるだろう。
この人のスタイルは非常に粘り強く、タフネスを活かした立ち回りをする。
そう言った意味ではこの間の加藤選手と似た所もあるが、基本的に器用なことも出来るので同じやり方では劣勢を強いられるだろう。
世界戦でも負けたとはいえダウンも無く、どちらも判定での決着だった。
実はこの備前選手の戦績には父の名前があり、一勝の中にはその試合も含まれている。
当時、一度目の世界挑戦に敗れ再起する過程で、一度だけランキングに入った父と当たった。
確か当時俺はまだ八歳くらいだったはずだ。
要は体の良い調整相手として選ばれたという訳だったが、スタイルが噛み合ったか、思った以上の善戦をしたのではないかと思う。
俺にとって、そんな現王者の戦い方はどこか父を彷彿とさせるものがあり、見ていると不思議な感情が涌き上がってくる。
「勝ちたいね。でも当たるとしたら、試合は向こうでやる事になると思うよ。」
俺がそう伝えると、不満そうな残念そうな顔を向けてくる。
「え~、でもそっか、仕方ないよね…。ネットで見れるかな?それともテレビでやる?」
まだ挑戦権を得る事すらも決まっていないというのに、彼女はもうその気の様だ。
勿論負けるつもりはないし、来年の今頃はタイトルマッチに向けての準備をしていると信じたい。
「生中継だと確か有料だった気がするから、試合が終わったら電話かけようか?」
こんな話をして、全く手が届かなかったらと頭の隅で考えるが、やるしかないのだからとその不安を振り払った。
「いいよ~、どうせすぐ結果分かるんだし。勝つって信じてるからね。」
まるで本当に疑っていないかのような顔で語り掛けてくる彼女に、こちらも微笑み返す。
「その前にまずは挑戦権を得ないと話にならないけどね。」
そう言ってランキング上位に目を向けると、いずれも一筋縄ではいきそうにない。
特に今回の挑戦権を獲得したランキング一位の
身長百七十六cm、リーチ百七十九cm、俺と同学年で近距離を得意とするファイタータイプ。
と言っても、飽くまでもプロではそのスタイルしか見せていないという事。
本来はどんな距離でも戦える万能型だろう。
高校インターハイ三連覇の実績をひっさげ、たった四戦目でのタイトル挑戦権獲得。
その実力は折り紙付きで、ベルトが移動する事も十分に考えられる。
「その人、何かアイドルとかやってそうな顔してるね。」
そうなのだ、そのルックスも相まってスポーツチャンネルで特集を組まれるほどの人気。
これからは更にきつい試合の連続になる事を思い、天井を見上げると少し溜息が漏れ出てしまった。
「ふふっ、一郎君は大丈夫だよ。何かね、そんな気がするんだ。」
何故だろうか、彼女にそう囁かれ不思議とそんな気分になっている自分がいた。
そして隣のランキング、ライト級に目を向けると二位には見知った名前が載っている。
敢闘侍こと、
この月刊誌には、この間行われた試合の結果はまだ反映されていない為、実質的には彼が一位。
そう、ほんの二週間ほど前に行われた試合で勝利し、タイトルに挑戦する事が決まった。
やはり駆け上がる速度にはどうしてもジムの興行力が影響してしまうが、それも本人の実力が伴わなければ意味の無い事だ。
実際試合を見たが、今はもう俺とやった時とは別人と言ってもいいボクサーになっている。
どっしり根が張っているかの様な体幹を活かし突き進むその姿は、まさに重戦車と呼ぶべき姿だ。
「どしたの?何か嬉しそうだね。」
知らず知らずのうちに顔が綻んでいたらしく、不思議そうな表情で覗き込んでくる。
「このカラーで載ってるライト級の選手、俺のデビュー戦の相手だったんだよ。その人が活躍してるのが何となく嬉しくてね。」
チャンピオンカーニバルの注目選手として、半ページにカラーで載っている姿を見せ説明する。
その記事では剛腕が魅力の選手と紹介されていた。
「うわっ、凄い筋肉だねこの人。一郎君も凄いけど、着痩せするもんね。…あっ、じゃあこの人がチャンピオンになったら、その人に勝った一郎君もきっと成れるよ。」
そう単純な話ではないと思うが、勇気づけられるのは間違いない。
敢闘侍に心の中でエールを送った後、静かに本を閉じ構ってほしそうにしている彼女に向き直った。
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