第六話 初恋?

「広い…ね。何だか色々凄すぎて、逆に落ち着いてきたかも…。」


二人分のティーカップを並べ、綾子さん御用達の高級茶葉を使い紅茶を入れる。


「あ、良い匂い。た、高そうな紅茶だね…。値段は聞かない方が良さそう…。」


「これ美味しいよ。俺も好きなんだ。…はい、どうぞ。」


カップを差し出し隣に腰を下ろすと、必然肩が当たりそうになる。


落ち着いてきたと言っていた彼女だが、これには赤面し下を向いてしまった。


(そういや、同年代の奴を部屋に入れたの初めてだな。)


友達を必要だと思った事が無い為、プライベートでの関わりを持つ人間は少ない。


そんな中ここまで強引に引っ張ってきてしまった事実に、自分自身少し意外でもあったりする。


そして俯いている彼女を覗き込むと同時にノックの音。


「失礼します。お客様がいらしていると聞きましたので、お茶菓子をお持ちいたしました。」


彼女、燈子がいるという事は綾子さんも帰ってきたという事だろう。


「高野燈子と申します。以後、お見知りおき下さい。」


俯いていた彼女だが、丁寧に挨拶されれば返さない訳にもいかず、慌てて顔を上げた。


「あ、はいっ。よろしくお願い申し上げます。か、樫村鈴と申します。」


くっくっと、あまりの可笑しさに笑い声が漏れてしまう。


「ふふっ、随分可愛らしい女性ですね。大事になさってくださいね…裕也さん。」


燈子は少し微笑み、流れる様な所作で部屋を後にした。


一方もう一人の少女はというと、その後ろ姿を呆けた顔で眺めている。


「鈴さん、どうかした?」


「え?あ、うん。綺麗な人だな~って。え?今、名前で呼んだ!?」


どんな反応をするか試しに名前で呼んでみたが、期待通りの反応をしてくれる。


「駄目だったかな?俺は名前で呼びたいな。」


「だ、駄目じゃないよ!いくらでもどうぞ!じゃ、じゃあ…その…私も…。」


名前で呼びたい、という事だろう。


無言の笑顔を肯定の証として、彼女を真っ直ぐ見つめる。


「…ゆう、やくん。」


彼女はチラチラと上目遣いでこちらに視線を向けながら、恐る恐る口を開いた。


何と言うか、こんな反応を見せられると、言い表すのが難しい不思議な感情で満たされる。












面白い反応を堪能していると時間はあっという間に過ぎ去っていった。


「あ、もうこんな時間、私そろそろ帰るね。」


そして彼女を玄関まで送っていく途中、綾子さんと鉢合わせてしまう。


だからどうしたという訳でも無いのだが、何となく気まずい。


「おや?彼女かい?どれどれ、顔を見せてごらん?」


綾子さんは初対面だというのに、遠慮する事も無く樫村の顎に手を添えてグイっと上に持ち上げた。


「中々可愛い顔をしているじゃないかい。」


彼女はその値踏みする様な視線に囚われ、小刻みに体を震わせながらも耐えている。


綾子さんの名はこの一帯に轟いている為、無理も無い事だろう。


しかもその殆どが悪名であるのだから。


「ああ、悪かったね。あんた隣の子だろ?これからも裕也と仲良くしてやっておくれ。」


綾子さんにしては優しい声色で語り掛けたのが功を奏し、彼女は蛇に睨まれた蛙状態を脱すると、何とか震える声を絞り出す。


「は、はい。か、樫村鈴と申します。よ、よろしくおながいしまひゅ!」


綾子さんはその反応に満足気に頷いた後、自室へと向かっていった。






「じゃあ、またね。ゆ、裕也君。えへへっ。」


豪奢な門の前、笑顔で語る彼女はとても晴れやかだった。


「うん。また近いうちにね。鈴さん。」


名前を呼ばれ、まだ慣れないのか、真っ赤になりながら直ぐそこまでの家路を駆けていった。








その夜、燈子を自室に招き、何故か収まりきらぬ情欲を叩きつける。


そして互いが何度目かの絶頂を迎えた頃、ようやく行為も終わった。


「はぁはぁ……今夜は随分激しいんですね。彼女に触発されましたか?…ふふっ。」


特に意識してはいないが、そういう事もあるのだろうか。


「貴方の初恋かもしれませんから…実ると良いですね。応援していますよ。」


まさか、という思いで一杯になった。


良い玩具だと思っていた少女に、自分が心を奪われているとでもいうのだろうか。


「裕也さんは少し歪んでいますからね。良いお相手だと思いますよ。」


自分が歪んでいる事実は認めるが…それにしても恋とはこういうものなのか、俺には分からない。


「…では、私はこれで。裕也さん、恋愛成就の秘訣は素直になる事ですよ。」


行為の跡など微塵も感じさせない素振りで、燈子は部屋を後にする。


一方俺はというと、彼女の言葉を飲み込めず、柄にもなく考え込んでしまっていた。


















季節は夏の終わり、そろそろ国内タイトルくらいは取る準備に掛かりたい。


十月に行われる挑戦者決定戦、それに勝てば取り敢えず日本タイトルに挑める。


後は何回防衛してからベルトを返上して世界へ行くかだが、それは今後の予定次第か。


世界王者の招聘は王拳ジムであっても中々の大仕事らしい。


(ま、そちらは本職に任せるとして、圧勝してばかりというのも飽きられるな。偶にはドラマ性を作ってみるか。…逆転勝ち、うん、それがいい。)


とは言え、何でもない相手に苦戦したとあっては俺の株が落ちる。


ドラマチックな試合をするにあたって、それなりの相手が求められるのだ。


そういう意味では、現日本王者は最適だと言える。


コアなボクシングファンからの人気も根強く、戦歴も中々。


(うん。備前直正。こいつとの試合を演出しよう。この男相手ならそれほど株を落とす事もないだろうからな。)


「御子柴、何をボーっとしてる。早く打ってこい。」


思案に耽っていると、ミットを構えた白井が急かしてくる。


どうやらインターバルが終わっていたらしく、期待に応えて軽快なコンビネーションを叩きつけた。


「お前はトレーナーとしては面白くねえ選手だな。何にも教える事ねえ…。」


言われずとも知っているが、当然口には出さず謙遜気味の笑顔を返す。


「わざとらしいっての。俺が何にも分かんねえと思ってんのか?…別にいいけどよ。」


それなりに長い時間共に過ごしていると、やはり何か感じるものがあるのだろう。


それで何か不都合を生じるかと言われればそんな事も無い為、こちらとしても別に構わないのだが。














そして迎えた最強挑戦者決定戦。


「…シィ!」


この試合で四戦目、全てをインファイトで破ってきたが、未だにクリンチの際に感じる忌避感を完全には拭えていない。


そうは言っても着実に成果は出てきており、近いうちに克服出来るだろう。


まあ、自分からクリンチに行くというのは未来永劫無いと思うが。


(しかし、ランキング上位でこんなもんか。楽な相手ばかりだと感覚が鈍るな。)


誰かが聞けば世の中舐めてると思われるだろうが、事実なのだから仕方がない。


(あの王者は衰えたと言っても世界まで行った選手だし、少しは期待出来そうかな。)


そんな事を考えながらも間断なく打ち込み、気付けば相手コーナーからタオル投入。


「御子柴、言う事ねえよ…。全く可愛げのねえガキだよお前は。」


嬉しいのかつまらないのか分からない表情のまま、白井がタオルを投げつける様に渡してくる。


俺は軽く笑みを返し、黄色い歓声がこだまする会場を後にした。

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