第21話 初めての減量
冬の到来を肌で感じる様になった十一月下旬、練習前のストレッチをしていると会長から報告があった。
「統一郎君のデビュー戦決められそうだよ。」
いよいよかと思い体に一本芯が通った。
身が引き締まり、血の巡りが加速していくのを感じる。
「と言っても君が良ければだけどね。試合日程が十二月十六日で結構余裕無いんだよね。」
十六日というと三週間あるかどうかといった所だ。
本格的な減量は初めてだが、それくらいなら何とかなりそうな気がする。
「はい。大丈夫です。受けられます。」
俺はそう答えたが、会長はあまり乗り気では無さそうに見える。
「悪いね。なんでも第一試合の選手が怪我で出られなくなって興行に穴が開きそうなんだって。こっちはまだ相手を選べる様な立場でもないからね。」
それは何となく理解していた。
自前で興行出来るジムならまだしも、うちではどうやってもそんな資金は捻出出来ないだろう。
だが、そんな事は最初から分かった上でこの環境を選んでいるのに、今更文句を言うなど恥晒しも良い所。
「しかしよ、そんなに短い期間で体重は大丈夫なのかよ。」
不安そうに口を開いたのは、横で話を聞いていた牛山さんだ。
その疑問は当然の事で、ボクサーは本来ならもっと長い期間を掛けて準備していくものだ。
しかしこういう事もあるかもしれないと前もって会長から聞かされていたので特に驚きはなかった。
会長曰く、酷い時には十日後だったりそれ以下だったりもするらしいのだから、それに比べれば幾分かましだろう。
練習後、ジムに置いてある体重計に乗る。
ここ置いてあるのはデジタル式ではなく分銅を使って量るアナログ式だ。
ガチャリという音を聞いてか、二人共が揃って覗き込んで来る。
「…六十五,五か。練習前から一㎏くらいは落ちてるね。」
体重はいつも量るが、練習後は大体このくらいは落ちる。
「坊主の階級は大体五十九㎏くらいだから、何とかなりそうではあるか。」
俺自身本格的な減量の経験が無い為何とも言えないが、このくらい出来なくては話にもならないだろう。
「大丈夫です。精々六、七㎏程度ですから何とでもなりますよ。」
強がりではなく本当にそう思っている。
だが、どうやら会長はそう思ってはいないようだ。
「普通ならそうなんだけどね。統一郎君の体を見ると無駄肉は一切無いし、体重の増加分は筋肉だから君が思ってるより厳しいかもしれないよ?」
そう言われ気付いたが、普段から節制しているのに体重はどんどん増加傾向にある。
以前、家の体重計で体脂肪率を計った時は五%くらいだった。
ちなみに身長は殆ど伸びていない。
そう考えると少し不安になってくる。
「まあどっちにしろもうやるしかねえんだ。頑張れ、坊主!」
牛山さんが背中をバチンと叩き激励してくれた。
こういう時はこの豪快さが頼もしく感じる。
「会長は減量ってどうやってたんですか?コツとかあれば教えてくださいよ。」
元世界ランカーが身近にいるのに聞かない手はないだろう。
「え?僕?あ~僕は殆ど減量必要無かったからね。それこそ前日に食事を抜けば事足りたから、参考にはならないと思うよ?」
その言葉を聞いて愕然とし、この人は物が違うんだという事を改めて痛感させられた。
殆どナチュラルウェイトのままリングに上がり、海外も含め勝ち続け無敗で引退。
確かにとても自分には真似出来そうも無い。
だが忘れるべからず、俺には子供の頃から練習してきた減量メニューがある。
父も言っていた様に、それは全てこの日の為にあったのだ。
何を言おうが、とにかく体重を落とさない事には始まらないのだから頑張るしかない。
手探りで減量を始め十日程が経ち、試合まであと一週間となった。
最初は順調に落ちていたのだが当然の様に落ち幅は小さくなっていき、昨日は殆ど落ちていなかった。
現在の体重は六十一,五㎏。
人間の体とは不思議なもので、食事の量と運動量を比べたら絶対に落ちても良いはずなのだが、体重計で見る数字は当初の計画から大きくずれ込んだもの。
今日からは更に食事の量を減らしていかなければならないだろう。
救いはある程度水分を取れている事か。
どうやら漫画の様な日頃から脱水症状を起こすレベルの減量は必要無さそうだ。
それでも空腹感は酷いものがあり、今一番きついのは何と言っても学校の授業だ。
ただ座っているだけなのだが、これがまた辛い。
寧ろ体を動かしている時の方が、気が紛れて楽なくらいだ。
「遠宮君本当に大丈夫?凄く具合悪そうだけど…。」
心配してくれる明日未さんにこれ以上迷惑は掛けられないと精一杯の笑顔で応える。
「大丈夫…。元気だよ…。」
どう見てもおかしいのは自分でも分かっているのだが、喋るのも億劫なのでこれが限界だ。
彼女に心配そうな顔をさせてしまったが、それ以上言及しては来なかった。
一方家では叔父にも気を使わせていた様だ。
最近は俺の前で食事をしている姿を一度も見ていない。
「…叔父さん、気を使わなくていいから普通に食べてて良いって。」
減量の影響かちょっと口調が厳しくなったかもしれない。
流石に周りに当たる事はないものの、通常時より神経が敏感になっている様だ。
これは良くないと自分を戒め、口調を改めて再度伝えた。
「俺は外食してっから問題ねえよ。それよりそっちだ。あんま無茶すんなよ。」
「医者と一緒に住んでるんだから大丈夫だよ。」
「医者の見地から言わせると、ボクサーの減量って行為が既に問題あるんだが…。まあ、しょうがねえし気を付けて見てやるよ。」
その言葉通り、叔父からは為になるアドバイスを多くもらう事が出来た。
そして試合を二日前に控えた日の練習終わり、
「どうですか?」
俺が乗る体重計の秤を二人が覗くと、
「五十九,一㎏.これなら明日の計量は大丈夫そうだね。」
リミットまでは後二百グラムだが、これくらいは寝れば自然に落ちる数字であり会長もほっと胸を撫で下ろしている。
正直ここまできつくなるとは思いもしなかった。
特にここ二日間は最低限の水分を取っただけで、それ以外何も口にしていない。
「どうなる事かと思ったが、何とかなったな。頑張ったぞ坊主!」
いつも通り背中をバンバン叩いてくるのだが正直今はやめてほしい。
何はともあれとにかく準備は整った。
後はとにかく無事に計量が終わる事を願うだけだ。
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