第十九話 意地

第二ラウンド、更にプレッシャーを強める為、ワンツーから入っていく。


しかし回り込みながら器用に放ってきた左を、二発とも被弾してしまった。


(…何とかコーナーに詰めたい所だが、やっぱり早いな。)


間違いなく今まで試合をした選手の中で、最もスピードがある相手だろう。


その動きは、どうやら左を差し合うのではなく、常に動きこちらの打ち終わりだけを狙って打っている様だ。


(次に体勢低くしたら、アッパーで牽制してみるか。)


ちょろちょろと動かれるうえに、常に向こうのKOパンチをちらつかされては中々に厄介。


「…シィッ!」


こちらの左に合わせて覗き込むような体勢になった瞬間、強めに下から突き上げる。


しかし、相手はそれを起用に受け流すと、返しで左を二発。


被弾覚悟でこちらも同じタイミングで左を返し、相打ちになった。


相打ちとは言っても所詮はジャブ、流れを決定づける力はない。


だが、ここまで手応えがなかった中での初めて味わうしっかりとした感覚。


ダメージという意味では大した事は無くとも、精神的には大きな意味のある一発だ。


相手は受けた左が想定より強かったのか、先程までよりも大きく動いて来る様になった。


(ボディだな。足を止めない事には、どうにもはっきりとしない試合になりそうだ。)


そんな事を考えている内にゴングが鳴る。





コーナーに戻った後、今感じている事を会長に伝えてみた。


「そうだね、ダッキングからの左フックを右でガード。そしてこちらも同時に左でボディ、不発に終わったら、直後に追いかけて右でボディストレート。」


目を瞑りそのビジョンを思い浮かべると、ありありとその光景が浮かんだ。


「でも、必ずフックが来るとは限らないから。集中してね。」







第三ラウンド、先ほど頭に浮かんだ光景を現実のものとするべく、こちらから左を突いていく。


これは餌なので、本気よりは僅かに速度を落とし、相手が合わせやすいように調整して放つ。


しかし、中々思い通りに乗ってきてはくれない。


こちらのジャブには僅かに下がりながらパーリング、強振にはしっかり足を使って回避してくるのだ。


ここまで手を合わせてきたが、相手のディフェンス技術には感嘆してばかり。


唯一当たっているパンチは、ミドルレンジからフェイントを掛けて放つ左ボディくらいか。


それすらも深く抉る事は出来ていない。


だが、この相手に対しては特にボディが有効であるだろう。


浅くでも当てておく事に、後半大きな意味を持つはずだ。


幸い相手の攻撃力にそれほど脅威は感じない。


しかしタイミングが合えば倒せる程度のパンチがある事も理解出来る。


恐らくこのディフェンス技術を持ってすれば、その程度で十分なのだろう。


加え当て感も大したものであり、先程から被弾している数は間違いなくこちらが上だ。


その全てが倒す為のパンチではなく、リズムを取る為のパンチであるのが救いだが、判定までいく事を考えると、これも看過出来ない。


「…シッ!シッ!シィッ!」


ジャブ、ジャブ、左ストレート、先ほどから誘っているのだが、やはり中々乗っては来てくれない。


恐らく、こちらが何かしらの策を練っていると察しているのだろう。


だが、時折見せる重心を下げる動きは完全にこちらの隙を伺っており、その時が近づいているのを予感させた。








第四ラウンド、プレッシャーを掛けつつ、先程までを踏襲しジャブで突いていく。


そして三十秒ほど牽制しあった頃から、ジャブをパーリングで弾くのではなくダッキングで躱す様になってきた。


最初は大きく躱していたが、徐々にそのギリギリを見切りながら回避を計っているらしい。


必然、際どいやり取りが増えていき、互いの神経がピリピリと張りつめていくのを感じていた。


(覚悟を決めたか…。こっちも準備万端だ。いつでも来い!)


その一瞬を逃さぬ為、瞬きもせず意識を集中させ、その時を見極める。


向き合う互いの空気が引き締まっていくのが分かり、ギラギラとした視線がぶつかり合う。


そして一瞬の静寂が場を包んだ。
















「……ダウンッ!!」


会場から湧き上がる悲鳴にも似た歓声が鼓膜を振動させた。


レフェリーに押される様にしてコーナーに戻るのは柴田選手。


そのレフェリーが指を向けてカウントを数えている眼前には、俺の姿があった。


先ほどの一瞬、ダッキングからの左フックをガードし左ボディを合わせる筈だったが、それを読まれたか、向こうが放ってきたのは速度重視の小さな右アッパー。


左フックをフェイントに挟まれ、まんまと引っ掛かった形だ。


顎先だけを掠める様なコンパクトで軽いパンチだったが、僅かに俺のバランスを奪うのには充分過ぎる程で、そこから返しの左フックで横殴りに叩かれると、耐えきれず背中をマットに着いてしまった。


「……フォー!ファイブ!……」


(おっと、反省は後だ。このまま終わりにはさせられないっ。)


立ち上がってダメージを確認してみると、致命的とは言えないまでも、このまま勝負出来るほどに軽いとは言えなかった。


(大丈夫。これでも凌ぐだけなら問題なさそうだ。…大丈夫、大丈夫だ…。)


ダメージを確認しながら歩き、何気なく向けた視線の先に葵さんの姿が目に入った。


口を塞ぐように手を当て、今にも泣きそうな顔をしているのが分かる。


(あ~あ、心配かけちゃったな。うん…これ以上みっともないとこ見せらんない。)


そんな顔をさせてしまっている事が情けなく、こんな状況なのに何故か自嘲気味の笑みが零れた。


「…ボックス!」


レフェリーの再開の合図に、敢えて余裕を見せゆったりと構える。


「落ち着いて!大丈夫だよ!しっかりパンチ見て!ガードしっかり!」


その声は恐らく及川さんのものだろう。


この状況においては、非常に的確でこれ以上は無いほどまともな指示だ。


相手はここが勝負所と見たか、しっかりと腰を入れた強打を放ってくる。


「…っ!……っ!!」

(慌てるな。しっかりとガードして…。……………いや…やられっぱなしじゃ駄目だ。)


沸々と何かが自分の中で湧き上がるのを感じていた。


相手は完全にここで決める気らしく、そのラッシュは苛烈を極める。


「…っ!!……チィッ!!」


それでもリング中央で踏ん張り、意地でも下がる事はせず、相手の猛攻を凌ぎながら隙を伺っていた。


ガードをしっかり固め凌いていると、徐々に徐々に互いの距離が詰まる。


そして狙い図ました右アッパーを際どいタイミングで放つと相打ちになった。


「……シィッ!」


ズシリとした感触が俺の拳に響き、この相打ちの優位性がこちらにある事を物語る。


その一発は、相手の喉元を抉る様な角度を走り、顎を垂直に跳ね上げたのだ。


(どうだ!これは効いただろ!)


俺は勢いに乗り、更に頭をこすりつけるほどに接近していき、ラッシュの内側から放っていく。


「シィッ!!……シュッ!!」

(…ボディだ!この相手は足さえ殺せば何とかなる!)


相手の連打を丁寧にガードしつつ、狙うのはボディ。


ある程度の被弾覚悟で、執拗にみぞおちを狙いボディを突き上げ続ける。


「…っ!!」


激しい打ち合いになり互いがここを勝負所と見てか、引く事は無く痛烈なパンチを交換し合う展開。


(…上は急所だけ気を付ければいいっ!!とにかく腹っ!腹を抉るっ!!)


独特の血の匂いが鼻腔を占拠すると、不思議ながらリングに立っている高揚感が後から後から湧き上がってくる。


だが血が固まり呼吸の通り道を塞ぎ始めた為、加速度的にスタミナが削られていくのも事実。


現実問題、闘争心だけでは限界がある。


それでも二発、三発、四発と間隙を縫って放っていくと、相手は堪らずクリンチに出たようだ。


こちらのダメージも深刻になってきているので、逆らわずに受け入れると同時にゴングが響いた。

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