第十八話 苦戦の予感
計量日当日、五人で車に乗り込み会場に向かった。
及川さんは当日だけの同行なので、本日は本業をこなしている。
明君も特についてくる必要はないのだが、本人たっての希望で同行する事に。
昼前、計量会場に着くと既に何人かの選手は計量を終わらせている模様。
今回の相手、柴田選手も既に終わらせていた様で衣服を着用している途中の姿が視界に入る。
見た感じ体格は俺とそう変わらず、サイドを刈り上げ襟足を伸ばしている髪型が特徴的だ。
そして服を着終わると、同門の選手と一緒にそそくさと会場を後にしていった。
試合前に顔を合わせたくないという心境は、とても共感出来る。
「統一郎君、君の番だよ。ほら、行っておいで。」
いつの間にやら佐藤さんも済ませており、催促される様にして俺も秤に足を乗せた。
すると、天秤秤の静かな音だけが室内に響く。
「……五十八,九㎏。スーパーフェザー級リミットですね。OKです。」
その瞬間、俺だけではなく陣営全員から安堵の溜息が漏れる。
後ろで見ていた成瀬ジムの会長達も、少しホッとした顔をしている様な気がした。
渡されたドリンクを飲みながら、佐藤さんとこれからの食事について談笑していると、
「遠宮選手、すみません、陸中テレビなんですが、インタビュー宜しいですか?」
声を掛けてきたのは、何度も取材にやってきてもうお馴染みになったアナウンサーのお姉さんだった。
試合の中継をしてくれたりもしているので無下に扱う事は出来ない。
そして現在の調子や明日の試合への意気込みなどいくつかの質問をした後、笑顔を崩さず帰っていった。
その後、自分がいつも読んでいる月刊誌『ボクシングフリーク』のインタビューも受ける。
いつもならもう一組いるはずなのだがと見回してみると、その姿を発見した。
三人組の少女達は、俺と目が合うと軽く頭を下げ合い挨拶を交わす。
「明日も応援させていただきます。頑張ってください。」
藍さんの丁寧な口調の応援に続き、それぞれにらしい激励を受けた。
ラウンドガールが贔屓していいものかと思ったが、誰も聞いていないので大丈夫だろう。
その後、彼女たちはこの場にいる関係者たちにも挨拶回りをしてから帰っていった。
そんな姿を見ていると、芸能活動というのも大変なのだなとつくづく思う。
「お前ら、何か食いたいもんあるなら言えよ。俺の奢りだ。」
どうやらいつもと同じく、今日も牛山さんの奢りで食事にありつけるらしい。
俺はその言葉に遠慮する事無く、明日への英気を養う事にした。
一月二十日午前十一時、ジム前に集合した面々は車に乗り込み会場へ向かう。
いつもは余裕のある六人乗りのミニバンも、座席が埋まり結構な人口密度だ。
「及川さん、今日は宜しくお願いします。」
その恰好は上下スウェット姿で、いかにもな雰囲気を漂わせている。
セコンドとしては初顔合わせという事もあり、一応丁寧な挨拶を交わした。
「こっちこそ、今日勝てば本当にタイトル見えてくるから、気合入れて行こ!」
爽やかな笑顔で激励してくれる彼女に、こちらも力強い返答で返す。
「それとこれ、用意してきたから二人は今のうちに食べちゃって。」
そう言って、俺と佐藤さんに手渡されたのはおにぎりと果汁100%のジュース。
心遣いに感謝しながら、有難く胃に納めた。
会場最寄りの駐車場に着いた時刻は十二時を回った辺り。
第一試合の開始は十五時なので、当日計量や検診を済ませてもまだ余裕がある。
だからと言って、どこかへ出掛けるなどという事はする分けも無く、陣営全員そのまま控室へ。
すると及川さんは適当な所へ進み、クッションマットを手早く敷き始める。
本当に用意周到な人で心強い限りだ。
そしてマットの上に俺と佐藤さんが胡坐をかいて座り、バンテージを巻いてもらう。
会長は当たり前だが、及川さんの手付きも熟練のそれと言った感じで安心感があるものだった。
試合まで1時間を切ってくると、流石に少しピリピリした空気が室内に漂い始めた。
誰も口を開かないまま、シャドーの音だけが静かに響く。
佐藤さんの方へ視線を向けると、動きもパンチも切れがあり、どうやら調子は良さそうだ。
三十分前、明君が撮影のため観客席に向かっていった。
そして試合開始の時刻、リングへと進み出る第一試合の選手の掛け声が聞こえてくる。
どうやら始まったらしい。
場合によっては一ラウンドで終わる事も考えられるので、横では最後の確認とばかりに、自分の動きをチェックする佐藤さんがいる。
試合直前の独特の空気が室内を包み、誰もが集中を妨げまいと口を閉ざした。
そして、係員の呼び出しが掛かり、
「よっしゃ!行くぞ!」
牛山さんの迫力ある声に、いつもの佐藤さんからは聞く事の出来ない気合の入った返事が返される。
四人がリングに向かった後、少し寂しさを感じながらも、俺は一人マットに寝そべって集中力を研ぎ澄ます事だけに一念した。
そうしてどれほどの時間が経ったのだろうか、会場から聞こえる歓声が止み試合終了を悟った。
戻ってきた佐藤さんの左目に当てられたタオルには、血の跡が見え、まさか負けたのかと思い立ち上がると、
「大丈夫だよ。最後にアクシデントがあってね。でも結果は文句ない判定勝ち。」
会長の言葉を聞いて、安堵感から大きく息を吐いた。
聞けば、ラスト三十秒に差し掛かった頃、スリップした時に運悪く相手の頭が当たったとの事。
「駄目ですね。集中出来てなかったって事だと思います。四回戦じゃなかったら、試合止められてた可能性もあるんで…。」
そう語る佐藤さんの表情には、いつもは見せない悔しさが滲み出ていた。
「大丈夫ですよ佐藤さん。勝てば官軍、勝つこと以上に大切なことなんて早々ありません。」
試合をこなせる回数が少ないボクシングでは、それが特に顕著だろう。
俺の言葉が気休め程度にはなったか、出ていく佐藤さんの表情には少しいつもの余裕が見て取れた。
「人の事より自分の事だよ遠宮君。佐藤君に続いて、森平陣営連勝と行こう。」
及川さんの言葉で、動揺していた自分に気付き、深呼吸をしながら集中力を高めていく。
セミファイナルが始まった。
軽いミット打ちをやりながら、体は充分に温まっている事を確認する。
「遠宮選手、準備お願いします。」
係員の声が、陣営四人しかいない控室にこだました。
「はいこれ、トレードマークのオジロワシ、忘れちゃだめだよ?」
及川さんに手渡され、もう慣れ親しんだガウンを被り廊下に出ていくと、いつも通り名前が書かれたのぼりを掲げ、後援会の人達が道を作ってくれている。
その中には佐藤さんや明君の姿もあり、ハイタッチを交わしながら進んでいった。
ざわつく会場にリングアナの紹介コールが響く。
「赤コーナ~、十六戦十三勝三敗、十三勝の内七つがKO勝ち~、公式計量は百三十ポンド、日本スーパーフェザー級四位~東雲ボクシングジム所属、しばた~~~しげるぅ~~。」
会場からはそれなりに大きな拍手が巻き起こった。
相手選手にも敬意を払ってくれるこういう所が、俺はとても心地よく思っている。
「青コーナ~、八戦八勝…………とおみや~~とういちろう~~。」
それでも、ここは俺の地元だ。
比べるべくもないほど、こちらの声援の方が大きい。
「バッティング、ローブロー気を付けて…フェアな試合を心掛けて……」
レフェリーの声が響く間、どちらも俯き視線を合わせなかった。
そして軽くグローブを合わせた後、両陣営に戻り開戦の時を待つ。
「統一郎君、向こうはダッキングから流れる様に大きな左フック打ってくるから、体勢を低くした時は要注意だよ。」
返事をし頷きながらも相手の姿から視線を外す事はせず、頭の中にインプットしてきたデータを呼び起こす。
(印象的なのはフットワークの軽快さだ。掻き回される展開は避けたい。)
要注意事項を参照していると、遂にゴングが鳴り、いつものボジションとなりつつある中央へ進み出る。
開始を宣言する挨拶を交わし睨み合いながら、先ずはフェイントの掛け合い。
(これまでの試合を見る限り、どちらかと言えば待ちのボクシング。出来れば強気に出て主導権を握りたい所だな。)
そう考えているのだが、中々に反応が良く距離感もしっかりしていそうな為、そう簡単に崩せるビジョンは浮かばない。
「シッ!……シッ!」
こちらがジャブを放つと、相手はしっかり距離を取った上で回避してくる。
どうやらジャブといえども簡単にもらってはくれないようだ。
だが出てこないのならば今のうちにと、流れを掴むべく少しずつプレッシャーを強め押していく。
相手は想定内といった様子で、右に左にジャブを突きながら上手く立ち回ってくる。
そのフットワークは事前情報通りかなり軽快で、早いラウンドで捕まえる事の難しさを早くも実感していた。
それでも、手数を出しているのがこちらである以上ポイントの面で優位は保てている筈。
そして第一ラウンドも終わりに差し掛かった頃、こちらの左に合わせてしきりに重心を下げる動作を見せる様になった。
(タイミングを計ってるのか。いつ来てもいいよう、備えておく必要があるな。)
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