第十七話 今の在り方
一月一日元旦、吐く息は白く、景色は真っ白に染まっている。
その中、いつもとは比べるべくもないほど混雑している石段を登り、境内へと上がっていく。
何人かに声を掛けられ、少しだけ慣れてきた対応をしつつ参拝の列へ。
そうして並びながら、今日届いたメールを思い出す。
『明けましておめでとう御座います。本年の活躍も心よりお祈り申し上げております。』
などと言う硬い文章から始まり、
『今は実家に帰ってきてるから、参拝に来る予定があれば声掛けてくれたら嬉しいです。』
年賀状替わりであろうそんなメールを届けてくれたのは明日未さん。
卒業以来何の連絡も取っていなかった彼女に思いを馳せ、軽い足取りで俺は境内を進む。
彼女に贈られたマフラーを一度は手に取ったが、どうしても何かが心に引っ掛かり、結局巻いてくる事は出来なかった。
(確か去年までは、おみくじ売り場を担当していたんだよな。)
思い出し視線を向けると、去年と同じ、いや、久し振りに見たその姿はそれ以上に美しく見えた。
自分が知っている彼女より少しだけ伸びた髪、大人らしさを増す化粧と神聖な雰囲気を持つ巫女服。
俺は後ろに並んでいる人に促されるまで、その姿に見惚れてしまっていた。
胸がざわつく。
(俺は彼女に顔向け出来る様な生活を送っているだろうか。寂しさを埋める様に葵さんのぬくもりを求め、その優しさに付け込んでいる今の俺は…。)
そんな思いが胸に渦巻き、参拝後このまま帰ろうとしたが、どうしても視線を向けてしまう。
幸か不幸かその視線は彼女と交差し、満面の笑顔を浮かべながら、しかし小さく手を振っている姿が見えた。
こうなっては観念するよりないと、おみくじ売り場へと足を向ける。
すると、彼女は他のバイトの娘たちに断りを入れ、こちらに歩み寄って来てくれた。
「久しぶりだね遠宮君、活躍見てるよ。本当頑張ってるんだね…。」
見ているというのは、当たり前だが直接見に来ているという意味ではなくネット等の媒体でという意味だろう。
「うん…。今年はもっと上に行けるように頑張るから。」
二人共が奥歯に物が挟まった様な物言いで、どうにもすっきりしない。
「…明日未さんは、その…元気?」
今何をしているのか、と聞こうとしたのだが、そうするとこちらも応える義務が発生する気がした。
毎週のように女性の部屋に転がり込み、楽しくやっているなどと言える訳が無い。
そう考える自分があまりにも醜く感じられ、思わず嫌悪感さえ催した。
「うん…、ピアノコンクールにもね、出てみたんだ。全然ダメだったけどね…。」
顔は笑っていたが、その声からは悔しさが滲み出ていた。
ピアノの事など何にも分からないが、彼女が頑張っているのだという事実だけは感じられる。
「大丈夫。明日未さんなら大丈夫だよ。きっと。」
軽々しく言うべきかどうか迷ったが、自分程度の言葉で少しでも元気になればといつの間にか口を突いて出ていた。
「有り難う、遠宮君。そうだよね。今までサボってきたのに、ちょっとやったからって結果が出る訳無いよね。よし、まだまだ頑張るよ!」
空元気かどうか判別できなかったが、少なくとも先程まであった影は消えた様な気がする。
「あっ、呼ばれてる。ゴメンっ、行かなくっちゃ。またね遠宮君。頑張ってね!」
「うん。明日未さんも頑張って。応援してる。」
そう言って戻っていく彼女の笑顔はとても眩しく、どれほどの時間か、立ち竦む様にしてその後ろ姿を眺めていた。
三が日の中日でもあり、俺の連休もあと一日となった二日の夜。
当日に葵さんからメールが届き、誘いに乗る形で部屋に転がり込んでいた。
どこかへ出かけようかと聞いたのだが、彼女は意外にも人混みが好きではない模様。
その為、結局室内でごろごろする事に。
「そんな顔しなくてもいいんだよ。何にも悪い事してるわけじゃないんだから。」
ガラスに結露が浮かぶ中、お互いの熱を分け合い、彼女は急にそんな言葉を口にした。
言葉の意図が分からず、俺は探る様にただ彼女を見つめる。
「あの神社の娘と会ったんでしょ?聞かなくたって分かるよ。一郎君、顔に出るからね~。」
彼女はさも気にしていないという口調のまま、平然とそんな言葉を投げかけてきた。
今自分がどんな顔をしているのか分からないが、いつも通りの表情を作っていたつもりだ。
「ねぇ、一郎君。寂しいからお互い求めあう。それだけでいいじゃん。今時セフレがいるのなんて別に珍しくもないんだしさ。だから、そんな顔しないで…。」
あまり見せない表情を浮かべ、そっと頬を撫でる様に指を這わせる。
彼女にとって自分はその程度の存在なのかと、一瞬寂しく思ったが、言葉を額面通りに受け取るほどには馬鹿ではないつもりだ。
きっと彼女は、一日一日を楽しく過ごしたいのだろう。
だからこそ必要以上に踏み込まず、踏み込ませず、一定以上の距離感を保ち続ける。
踏み込んでしまえば、必ず傷つく事や悲しい事もあるのだから。
一時期はその背景を知りたいと思った事もあったが、今はこの距離感が一番心地良いと思える様になってきた。
本気にはならず、お互いが欠けたものを補う様に求めあう。
それだけでいい、そんな関係が俺達には合っている。
「気を使わせてゴメン。そっか、顔に出やすいんだな、俺。」
「そうだよ~、結婚したら絶対浮気出来ないタイプだね。直ぐばれるから。あははっ。」
快活な笑顔で笑う彼女の内面をはかり知る事等、俺には一生出来ないだろう。
どちらにせよ分かりえない事ならば、気にしない方がいい。
複雑な考えなど忘却の彼方に追いやり、彼女を抱き寄せ眠りについた。
一月十八日、計量日前日になり、蒸し暑いほど暖房を利かせたジム内で秤に乗る。
五十九,一㎏。
後二百gリミットに届いていないが、これくらいならどうとでもなるだろう。
相変わらずきついが、体が覚えた感覚のせいか今では作業といった感じだ。
覗き込んでいた面々も、揃って安堵の表情を浮かべている。
「何とかなったか。坊主はいつもギリギリだな。」
牛山さんは強面を綻ばせ、珍しく優し気な笑顔を浮かべながら俺の肩を叩いていた。
「それでもきっちり仕上げるんだから大したものだよ。」
会長の言葉に、声は出さず頷きだけをもって返す。
秤から俺が下りると、今度は佐藤さんが体重計に乗った。
「55㎏ジャストです。ふぅ、何とかなりました。」
もう既にリミットを割っており、その上で幾分かの余裕さえ感じられる。
自分と体格を比べてみても、佐藤さんの方が身長は高い。
その差は何なのかと何時か叔父に聞いた事があったが、筋肉量は勿論だが、骨の太さ等も関係するのではないかと言っていた。
確実にそれが要因だという確証がある訳ではないのだが、骨の重さというのは大きなファクターかもしれないとの事。
二人共が取り敢えず大丈夫そうだという事で、後ろで見ていた明君にも促してみる。
「…え?俺ですか?分かりました。」
予期していなかったことに動揺しながらも、明君は上着を脱いでいく。
こうしてみると、本当に逞しい体つきになってきたのが分かる。
足腰の筋肉もしっかりついており、走り込みの成果も伺えた。
「五十四,五㎏くらいですね。勿論、減量とかはしてないですけど。」
成長次第での増え幅にもよるが、ライトフライかフライ級くらいでいくのだろうか。
そうして考え込んでいると、俺の考えを読んでいたかのように会長が口を開いた。
「予定では、取り敢えず最初はライトフライ級で行こうかと思ってるよ。後は、成長と共に臨機応変に上げていく形だね。」
ふむふむと聞いていると、牛山さんが何かを思い出した様な表情をした。
「会長、セコンドの件だが明以外には言ってなかったんじゃねえか?」
何のことだろうと佐藤さんと二人、顔を見合わせる。
「ああ、そうだったね。セコンドなんだけどね、次の試合から及川さんも付いてくれる事になったから。」
及川さんとは、フィットネスの方を担当しているあの女性だ。
「お前ら不思議そうな顔してるが、及川さんは元プロボクサーだぞ?なあ、会長。」
この前会った時にはそんな事情にかけらも触れていなかったので、俺も佐藤さんも意外そうに声を上げた。
「そうだよ。日本の女子プロボクサーの中では最初期の選手に当たる大先輩だよ。」
何はともあれ、これで安定してセコンドが三人揃った事になる。
これから明君がプロになった時、人が足りなくなるという心配も解消された。
因みに及川さんがいない日、フィットネスの方は臨時の人が務めるらしい。
ここで、今回のカードを振り返っておこう。
一月二十日泉岡県営体育館 十五時開始
第一試合バンタム級四回戦
第二試合スーパーバンタム級四回戦
第三試合ウエルター級六回戦
第四試合ミニマム級六回戦
第五試合六十二㎏契約六回戦
第六試合ライトフライ級六回戦
第七試合フェザー級八回戦 セミファイナル
日本フェザー級八位
第八試合スーパーフェザー級八回戦 メインイベント
日本スーパーフェザー級六位
今回の興行のキャッチフレーズは【ROAD TO CHAMP】
この試合をものにすれば、タイトル挑戦が目の前まで迫っている事を感じさせる。
顔ぶれには今回も相沢君はいない。
彼は三勝目にして既に日本ランキングに名を連ねている為、三月に向こうのホールで上位の選手と試合の予定があるらしい。
このままでは本当に抜かれてしまいかねないので、気を引き締めなければならないだろう。
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