第27話 この時を糧にして

大晦日も過ぎると、心持ち新たに新年を迎えた。


身を切るという表現がまさに正しい気温の中、俺は早朝からロードワークへと繰り出す。


そうして暫く走っていると、いつもは人のいない神社に多数の人影を見つけ、俺もそれに倣い石段を登って行く。


去年は人の少なくなった時期を見計らってやってきたが、今年は思う所があり元旦初日からやってきた。


俺が思う所とは他でも無い、もしかしたら明日未さんの巫女服姿を拝めるかもしれないという、純粋な下心からである。


境内に上がると、この田舎では殆ど見る事の無い人の山。


何となく帝都へ行った時の電車の中を思い出す。


やはり人の多い所は苦手だが、下心で満たされた今の自分にはこの程度障壁になりようも無い。


そして周りをきょろきょろ見渡しながら境内を歩いていると、おみくじ売り場に目当ての姿を見つける。


始めて見る彼女の巫女服姿に胸が高鳴るが、どうやら俺と同じ目的の男子生徒グループと談笑している様だ。


その姿はとても楽しそうで、これでは話し掛ける事も出来ないだろうと肩を落としながら賽銭箱にそっと五百円球を落とす。


(今年も怪我無く迎えられます様に。)


願う事は同じだ。


勝利は自分の手で掴むもの。


勝負の場に不備無く立つ事が出来れば、それだけで充分。


帰り際に明日未さんと少し目が合ったので、軽く会釈してから境内を後にした。


話せなかったのは残念だったが、色恋に現を抜かして勝ち上れる程自分が才能豊かな人間だとは到底思えない。


だから丁度良かったかもしれない。


そう自分を納得させつつ、帰り道を走り出した。








冬休みも終わりに差し掛かった一月中旬、久しぶりに遠出する事になった。


遠出と言っても高速道路を使えば二時間も掛からない距離だが。


目的地は鈴木ボクシングジム、相沢君も所属しており地方にある中では一、二を争うほどの規模を持つ全国でも中堅所のジムだ。


運転は牛山さんがしてくれている。


流石にこの程度の事で頼むのは申し訳無いと会長が言っていたが、本人立っての希望もあり押し切られる形で任せる事になった。


最早完全にマネージャーと呼ぶのがふさわしい立ち位置になっている。


「そうそう、統一郎君の新人王戦へのエントリー済ませておいたからね。」


会長が車中の会話で重要な事を口にした。


新人王戦とは毎年行われるトーナメント形式の大会で、その名の通り出場資格は一戦以上四勝未満に限られる。


大会は東西の地区に分かれて行われ、その東西のトーナメント優勝者が全日本新人王を賭けてぶつかり、覇者には日本ランキングが与えられるのだ。


恐らく、出来立ての弱小ジム所属である俺が這い上がれる数少ない道だろう。


これだけは絶対に落とす事は出来ない。


「今日の課題はミドルレンジからのボディブロー。統一郎君は相手の動きを制するのが上手いから、これが出来れば長いラウンドの試合をこなす時、グンと組み立て易くなるはずだよ。」


会長は毎回課題を出してくるが、その全てにおいて今の俺に足りない物を的確に指摘してくる。


勿論、今回も例に漏れずだ。








「おう、来たな統一郎。」


目的地に着き、まず迎えてくれたのは相沢君、しかしその手には包帯が巻かれていた。


俺がそれに注目していると、


「ああこれか。痛えと思ったらヒビ入っててよ、まあすぐに治るから心配すんな。」


本人はあまり気にした様子が無さそうだが、癖になったりするので気を付けた方が良いとだけ伝えると、面倒臭そうに渋々頷いていた。


因みに今日の相手は元々彼ではなく、プロの六回戦の選手の予定だ。


鈴木会長から相手を紹介され、お互いに一礼を返す。


相手は吉村さんという右利きのボクサータイプ(ある程度距離を取って戦うタイプ)戦績は六戦五勝一敗。


階級はフェザー級で一階級下だが俺(百七十一センチ)より身長は高そうだ。


去年の新人王戦では三回戦まで行ったらしく、その時負けた相手が去年の全日本新人王に輝いた事を鑑みても実力は折り紙付きだろう。


アップをしながら相手の体型や動きを眺め、どのような戦い方に重心を置いた選手であるかを見極める。


「どうだ?準備は良いか?」


鈴木会長の問い掛けにお互い視線を合わせた後、頷き返す。


「じゃあ五ラウンドな。よし、始め。」


そんな簡単な合図を皮切りに、スパーリングは開始された。


俺は今日の課題を思い出しながら、ちょこんとグローブを合わせ挨拶。


まずはリング中央で、主導権を握る為の左の差し合い。


どうやら相手のスタイルもこちらと同じ中間距離を主体とするものらしく、お互いに拮抗した探り合いになり、殆ど膠着状態のまま時間が過ぎていった。


相手の方にリーチで分があるという事も勿論あるが、これ程までリードブローの差し合いで流れを掴めないのは初めての経験かもしれない。


差し込まれる場面も少なからずあり、相当の実力者だと感じていた。


それでも約二分程が経過した頃には、ある程度の速さ、距離、タイミングも掴めてくる。


このままならいつものやり方でペースを握れるだろうが、今日の課題を忘れてはいけない。


(次の左に合わせて踏み込んで、ボディ行ってみるか。)


そう思いジャブに合わせ踏み込もうとした時、相手の左腕がぴたりと止まり、それがフェイントである事に気付くが時既に遅し、ガードが間に合わない。


「…っ!!」


不十分な体勢で右の強打を受けてしまい、仕方無くバックステップで一旦距離を取る。


追い掛けて来るならインファイトで強引に流れを引き寄せるつもりだったが、相手は冷静に下がった分だけ踏み込み、ジャブで制してから丁寧なワンツー。


終盤は良い所のないまま一ラウンドが終わり、首を傾げながらコーナーに戻っていった。





「今日の課題は中間距離からのボディだよ。さあ考えながらやってみようか。」


会長のアドバイスになっているのか良く分からない言葉に悩まされながら、第二ラウンド開始。


このラウンドは相手のリードブローにも慣れてきて、左の差し合いは手応えを感じた。


だが慣れない距離からボディを打とうとする度に、それが隙となり手痛い反撃を食らってしまう。


考えろと言われた事を思い出して、色々試行錯誤していると気付いた事があった。


ジャブも、リーチの差から少し距離を詰めて打つ事になるのだが、どうやらそのタイミングを読まれてきている気がするのだ。


殆ど予備動作は見せない様に鍛えてきたはずだが、ここは相手が上手。


ならばその感覚の鋭さを逆手に取れないかと考え至る。


そしてわざと餌を巻く意味を込め、何度も繰り返しジャブからワンツー。


「…シッシッ…シィッ!」


これでもそれなりにペースは握れているのだが、今出来る事しかやらないのではこの時間に意味は無い。


そして二ラウンド目終了間際、遂に仕掛けに打って出る。


同じ様なコンビネーションの予備動作を見せ、相手がジャブと判断した瞬間を見逃さず軌道を変えてレバーブロー、踏み込むのではなく爪先を滑らせ回避と距離の調整を同時に行い斜め下から突き上げる。


間髪入れず、今度は深く踏み込んでテンプル目掛け返しの左フック。


狙い通り綺麗に入った所で、第二ラウンド終了。





「うん、良い形になってきたね。そのまま感触掴んでいこうか。」


会長の言葉に頷きながら歩み出る。


第三ラウンドも先程の感触を忘れぬように、フェイントからボディ。


今までボディを打つ時は深く踏み込んでいたが、この打ち方なら自分の距離をある程度保てるので試合を組み立てるのに非常に有用だと実感していた。


加えジャブの中に時折強い左も混ぜると、相手の警戒心も更に上がりフェイントに掛かり易くなっている様だ。


只まだ馴れていないせいか、時折ボディを打つ瞬間右のガードが下がったり、フェイントが見切られたりして手痛い反撃を何度かもらってしまった。


それでも少しずつ修正していき、スパーリングが終わる頃には取り敢えず形になっていたと思う。






「…有り難うございました。」


五ラウンドのスパーが終わり、吉村さんと隣り合いながらグローブを外していると、相沢君がやって来て俺の印象を聞いている。


「お前から聞いてたよりずっと強え~よ。階級違って良かったわ…。」


過分な評価を頂けた様で有難い。


そうして二人の会話に耳を澄ましていると、同年代の仲間がいる環境に少し羨ましさが沸き上がった。


勿論、俺にも掛け替えの無い仲間がいるのだが、どちらもずっと目上の人なので、こんな風に同じ目線で話す事は出来ない。








「んじゃ、帰るか。そっちの坊主はちゃんと怪我直せよ。」


今回は影の薄かった牛山さんと共に車に乗り込むと、帰路に着く。


帰りの車中、今日の評価を会長に聞いてみた。


「良かったよ。後は相手をコントロールして狙ったパンチを打たせる所まで行けば完璧だね。」


非常にハードルが高い事を要求されてしまったが、それは俺になら出来るという意味だと前向きに捉える事にした。


総括すると、得るものは得た、良い遠征だったと思う。


あと三か月もすれば、またあのリングに上がる時がやって来るだろう。


常に自分に対し厳しい目を向け成長していけば、選んだ道の険しさに怯む事無く進んでいけるはずだ。


そう気を引き締めていた時、学生なら殆どの者は経験しているであろう事柄を思い出してしまった。


(冬休みの課題、全部残ってるんだけど終わるかな…。)

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