第26話 危ないやつ?

初公式戦翌日、遮光カーテンの隙間から差し込む光で目が覚める。


少し頭が重く感じるが、活動に支障をきたす程では無い様だ。


今が何時か確認する為棚上の時計に目をやると、もう八時半を回っており慌てて飛び起きた。


ドタバタした目覚めで、いつもやっている日課のロードワークもこなせ無かった事に多少のモヤモヤを残しながら、急ぎ学校へと向かう支度を始める。


行ってきますと、軽く叔父に挨拶をして勢い良く駆け出し陽光を浴びた。


太陽の光が少し眩しく目を細めながらふと考える、寝坊した日など何時以来だろうかと。


少なくともボクシングを始めてからは身に覚えが無い。


(初勝利を挙げたからと言って、少したるんでるな。)


勿論、深いダメージを受けたのなら話は別だが、ダウンこそすれ強烈な一撃を受けたのは初回だけで、そこまで深刻なダメージを受けた実感は無かった。


今も学校に向けて走っている最中、多少の痛みが頭部に残るだけなので感覚としては問題無い。


とは言え、準備運動も無しに走ったせいか多少息が上がってしまった、だがその甲斐もあってどうやら遅刻しなくて済みそうだ。


校門を潜り時刻を確認する為スマホを見るとメールが届いていた事に今気付く。


『試合結果おっさんから聞いたぞ。全く情けない。また後で鍛え直してやるからな!』


一通目は相沢君からだった。


因みにおっさんとは牛山さんの事だろう。


もう一通に目を通した時、重大な事を忘れていた事実に気付いた。


『起きたら診察するから病院だって言っただろうが!』


二通目のメールは叔父からで、多少怒気を含んでいるのが見て取れる。


そういえば、前日にそんな事を言っていたなと思い出した。


しかし時すでに遅く、今俺がいるのは教室の前。


ここから戻るのはどう考えても只のサボりにしか見えないだろう。


こうなっては仕方ないので学校が終わったら急いで行くとだけ送り、教室に足を踏み入れた。


挨拶をしながら席に着くが、何故か皆が俺の顔を見て固まっている。


「お、おはよう。明日未さん。」


明日未さんにも挨拶をしたのだが、彼女も何故かこちらを見たまま固まっている。


そしてハッと我に返ると口を開いた。


「ちょ、ちょっと遠宮君っ!ど、どうしたのその顔っ!」


そういえば慌てていたので碌に身嗜みも整えてこなかった。


一応顔を触ってみるが触れると痛い部分があるだけで、そんなに腫れているという事も無さそうで一安心。


「見てっ!これっ!」


明日未さんが自身の手鏡を俺に向けてくる。


とても綺麗なケースの手鏡に映る自分の顔を見ると、思わずうわぁと声が漏れた。


問題個所は顔の左下半分、腫れはそこまででは無いのだがとにかく色が酷い。


青いというよりも、これは黒いといったほうが相応しい色合いだ。


目の周りも所々痣になっている。


昨日の時点ではこんなに酷くなっていなかったはずだが、次からは気を付けなければなるまい。


「席に就け~、出席取るぞ。」


タイミングの悪い事に、明日未さんが俺に手鏡をかざし、クラス中の視線が一点に集まっているという時に担任教師が入って来てしまった。


「と、遠宮それどうした…。…あ~…昼休み職員室に来るように。」


初の呼び出しを食らってしまった。


それからも授業の度に入ってくる先生方が俺を見て驚き、クラスメイト達もひそひそとこちらを見て話している。


ちょっと聞こえた感じでは、どこぞの学生と喧嘩したとか言う話も聞こえてきた。


どうやら自分は、危ない奴だと認識されつつあるらしい。


実はプロボクサーなんだと言えばどうなるか想像してみたが、目立つのはそれはそれで嫌だという結論に達した。


思えば自分が話題の中心に上がる事等、生まれて初めてではないだろうか。


全然嬉しくない形ではあるが…。


今更ながら、今日は家で大人しくしておくべきだったという思いが湧き上がってきた。


そもそも寝坊なんてして慌てていなければ、昨日の叔父の言葉を覚えてさえいればと、後悔が頭の中でぐるぐる回る。


「大丈夫だよ。私は遠宮君が不良じゃないって知ってるからね。」


明日未さんのその言葉は有難かったが、言葉振りから彼女以外の認識がそうなっているという事も示しており、微妙な気分になった。






昼休みになり、人生初の呼び出しに応じて職員室に入る。


思わず出頭する犯罪者はこんな気分なんだろうかと、馬鹿な事を考えてしまった。


「し、失礼します。あ、あの呼び出しを受けた遠宮ですけど…。」


「来たか。内容次第じゃ長くなるかもしれんから座れ。」


先生はそう言いながら椅子を差し出してくれた。


心境はまるで取調室にいるようだ、勿論ドラマでしか見た事はないが。


「それで?その傷の原因は何だ?見た感じ殴られた様にしか見えんが…。」


訝しげな瞳を向けられ少し臆するが、俺は事の経緯を包み隠さず話した。


元々隠す様な意思自体無く聞かれれば答えたと思うが、そもそも自分に興味を示す人自体いない為、聞かれる事等あるはずもない。


事情を話す俺の顔を驚きと疑いの混じった表情で眺める先生に、出来れば目立ちたくないのであまり広まらないように配慮してくれないかと願い出る。


そして話を聞き終えた先生は、難しそうな顔をして唸っていた。


「言われてみれば確かに帰宅部の体付きじゃないよな遠宮は…。しかしプロボクサーとはな。ちょっと俄かに信じられんな。そのジムってどこにあるんだ?聞いた事もないんだが…。」


やはり我がジムは誰にも知られていない秘境らしい。


それでも場所を説明すると納得してくれた様で、何度も頷いていた。


「だがな、それだと別の問題が出てくるぞ。」


そう切り出され詳しく聞くと、当校ではバイトをするには届け出が必要であり、俺のボクサーとしての活動もそれに当たるらしい。


加えて他のバイトとは違い危険も付き纏う為、一度保護者と話したいとの事。


義務教育も終わっているというのに、今の時代に珍しい熱心な教師だと思う。


正直多忙な叔父に迷惑を掛けるのは嫌だったのだが、後回しにしても余計厄介な話になりそうだったのでその場でメールを入れる事にした。


すると、意外な事に直後返事が返って来る。


『今日は迎えに行くつもりだったから、その時に伺うと伝えておいてくれ。』


メールの内容をそのまま担任教師に伝え、職員室を後にした。


教室に戻ると、こちらに向けられる異物を見る様な視線を背に受けながら、席に着く。


少し落ち着くと、今日は弁当も何も持ってきていない事に気付いた。


(減量しなくても良いのに何も食べられないってかなりきついな…。)


不思議なもので、さっきまでは何ともなかったのに意識しだすと急に空腹感が襲ってきた。


何とか紛らわそうと俺が机に突っ伏していると、


「遠宮君、良かったらこれ食べて。」


輝く様な笑顔を向けて、明日未さんがおにぎりを俺の前に置いてくれた。


「で、でも、これ明日未さんのだよね?」


「ちょっと余計に持ってきちゃったみたいだから、遠慮しないで。」


多分、というか確実に嘘だろう。


心遣いに感謝しながら、もらったおにぎりを頬張る。


そのおにぎりは、今まで食べた中で間違いなく一番旨かった。


彼女はそんな俺を、慈愛のこもった眼差しで嬉しそうに眺めていた。










「どうもお呼び立てしてすみません。」


その担任教師の言葉に叔父も社交辞令を返す。


お互いの状況と説明が終わると、叔父が手に持っていたものをテーブルに置いた。


それは最新型の薄いノートパソコンで、これからする事が何となく予想出来てしまう。


「そんな事より先生、これ見てくださいよ。」


叔父は言いながら撮影した試合を流し始め、その音が職員室内に響くと、何だ何だと周りにいた先生方も集まってきてしまった。


かくいう俺も自分の試合を見るのは初めてなので、間から覗き込む。


「一ラウンドはね~…酷かったんですよ。でも二ラウンドからは結構凄いんですよ?」


試合経過を実況しながら動画を流すと、それを眺める先生方は大盛り上がり。


何やってんだとか、凄い凄いとか色々な事を叫びながら、バシバシ背中を叩いてくるのは体育教師。


映像が終わると話の話題は俺の事じゃなく、何故かセコンドに立つ人物へと移っていった。


「遠宮さん、あのセコンドの方はもしかして成瀬選手ですか?」


「やっぱり気付きますか。同年代だから当然気付くと思ってましたよ。」


どうやら先生もこちらの出身らしく、『成瀬実』には憧れがあるらしい。


その後も、現役時代の会長の話で盛り上がりそのまま良い時間になると、呼び出して何を聞きたかったのかよく分からないまま、叔父と共に帰路に就くのだった。





そして学校帰りに叔父が勤める病院に寄り、予定通り診察を受ける事に。


「よし、特に何も問題は無えな。それにしても成瀬会長が来てくれて本当に良かったな。」


叔父が感慨深げに呟いたその言葉に、心から同意する。


初めて試合をして色々と気付かされた。


俺が勝つ為に必要な技術が、知らず知らずのうちに身に刻まれていた事に。


会長が自陣にいるということが、どれだけ心強いかという事に。


何気に今日も救われた形になるのだろうか。


(今日は休む様に言われているから、また明日から頑張ろう。)


少々自分に甘いかもしれないが、何事もメリハリが重要だと思い明日からの研鑽を誓った。

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