第25話 余韻に浸る
三ラウンドをこなし多少は息が上がっているが、さしたる問題は無い。
それより気になるのが、このまま判定まで行った時の結果だ。
落ち着かない気持ちを抑え自陣に戻ると、会長の助言に耳を傾ける。
「そうだね。このままいけば勝てると思うんだけど、採点は確実にこうとは言えないから、贅沢を言ってしまえばダウンは取っておきたい所かな。でも無理に攻めるのは悪手だよ?」
俺は頷くと、静かに呼吸を整え最後のラウンドに備えた。
場内にセコンドアウトのアナウンスが流れ、一度息を吐き立ち上がる
目が合った会長は何を言うでもなく静かに頷いた。
そして、勝負を決する最終ラウンドのゴングが鳴り響く。
(恐らくこの時点でポイントはイーブン。確実に勝つには最低でもダウンっ!)
開始直後、今までとは逆にこちらから打って出る。
「…シュッ!」
いきなり右ストレートから入ると、相手も想定していなかったのか、進み出る足が止まった。
俺はそれを見逃す事無く、続けざま左右の連打で追い打ちを掛ける。
「シッ!シィッ!!」
相手も意地を見せ打ち返してくるが大振り、それをダッキングで掻い潜ると渾身の右ボディストレートを伸ばす。
「…フッ!」
無警戒の所に深々と突き刺さった。
よろよろと後退する姿を見て、反撃の力は無いと判断。
手は緩めずロープを背にする目標に左右の連打を浴びせ続ける。
「シッシッシッシッシッシィッ!!」
このまま決められるかと思ったが、ガードをがっちりと固められ中々決めきれない。
「……っ!?」
攻めきれず力みそうになった瞬間、考えるより先に体が反応し反射的にスウェー。
刹那、相手の強振した左が鼻先を掠め、ひやりとさせられた。
(…危なかった。強引に行ってたらもらってたな。油断するな馬鹿がっ。)
そう自分に言い聞かせ少し後退った直後、向こうから返しの右が飛んでくる。
「シッ!」
運が良い事に、取り敢えず牽制の意味で放った左がこれ以上は無いタイミングのカウンターとなった。
相手は前のめりにグラリと体の芯が揺れる。
「…シュッ!!」
俺はチャンスと見て、渾身の右を強振するも空振り。
「コーナーに戻って!」
直後、俺を制したのはレフェリーだった。
相手は俺の足元に頭を向けうつ伏せに倒れており、視界から外れ気付かなかった様だ。
「ワン!ツー!………ファイブ!シックス!」
カウントシックスで立ち上がった相手の目には、まだ終わっていないという意思がギラギラとした輝きになって表れている。
(…強引に行くべきか、慎重に行くべきか…。)
この場面自分では判断に迷ったので、当然会長に視線を向ける。
すると、会長は左を突く仕草をした。
「…ボックスッ!!」
レフェリーが試合続行を告げ、俺はゆっくり距離を詰める。
(目には力があるがどうだ?)
ダメージを伺いながら、会長の指示通り丁寧にジャブを突く。
その間、相手はガードを固め隙間からジッとこちらを睨む様に覗き込んでいた。
(これはどっちなんだ?誘っているのか、単に反撃の力が無いのか。)
判断がつかずガードを抉じ開ける様にワンツー、それでも反撃して来ないのをみて後者と判断した。
カンッカンッと残り十秒の合図が響く。
ここまで追い詰めたのだから、どうせならKОで勝ちたいと欲が沸いて出るのはボクサーの性。
「シィッシッシッシッシィッ!!」
残り僅かな時間で猛然とラッシュを掛けると、ここは自分の領域だと言わんばかりに相手も迎え撃つ。
だが下半身に力の乗らないそのパンチは、初回の豪打が見る影も無かった。
試合終了を告げるゴングが鳴り響き、健闘を称え合う意味でお互いに軽く抱き合いながら背中をトントンと叩く。
一度も言葉を交わした事すら無いはずなのに、分かり合えたと感じるのはおかしいだろうか。
思い思いに背を向け自陣へ戻ると、決着は判定に委ねられた。
手応えがあり思わず会長に緩んだ顔を向けたが、視線を向けた先の表情は依然として険しいものだった。
「まだだよ統一郎君…ここは敵地なんだよ。」
その通りだと、浮かれていた自分を恥じつつ大人しくコーナーで採点結果を待つ。
「これは勝ってるだろ。勝ってるよな?」
牛山さんもちょっと落ち着きが無くなっていた。
「…以上ユナニマスデシジョンを持ちまして、勝者、青コーナー遠宮統一郎。」
判定の結果が読み上げられ、三対〇の勝利。
レフェリーがリング中央俺の手を取ると、先程まで胸の中に渦巻いていた不安が解けていった。
会場に響くのはパチパチとまばらな拍手だが、俺にとっては初勝利の瞬間。
込み上げるものがあり、涙が零れない様にするのが精一杯だ。
「統一郎君、向こうのコーナーに挨拶行かないとね。」
すっかり忘れていた。
慣れない舞台とは言え、最低限の礼儀を忘れるなどあってはならない。
直ぐに相手コーナーに赴き、何度も礼をし感謝を示した。
その後ドクターチェックの為廊下を歩いていると、松田選手とすれ違いお互いに一礼し合う。
彼の目は、悔しさで涙を流したであろう事が容易に推測出来る程真っ赤になっていた。
勝ちたかっただろうし、一ラウンド終了時点では勝てると思っていたはずだ。
この日の為に長い時間を掛けて準備してリングに上がり、それでも報われない。
自分に置き換えて考えてみたら、背筋に冷たいものが走った。
勝者が敗者に掛ける言葉等無いとは、誰の言葉だっただろうか。
その言葉の意味が、今は良く理解出来る様な気がした。
「おし、忘れ物はねえな?」
牛山さんの声に頷き、荷物を確認し車に乗り込む。
来た時とは違い、帰りは叔父も合流し共に帰路に着くらしい。
「いや~しかし、最初はどうなる事かと思ったぞ。」
そう語る叔父の言葉に、面目無いとしか言えない俺は無言を貫く。
とはいえ一、二ラウンドに関しては殆ど覚えていないのが今の状況なのだが。
無言の俺に代わり会長が口を開く。
「それでも三ラウンドからは、いつも通りに戻ったので安心しましたよ。」
三ラウンドからという事は、二ラウンドは出来が悪かったのだろうか。
俺がそう思っていると、代弁する様に牛山さんが聞いてくれた。
問い掛けられた疑問に、会長が視線を彷徨わせ少し考慮してから口を開く。
「二ラウンドはちょっと良すぎですね。あれを基準には考えられないから除外です。いつもの調子を思い出させるだけのつもりが、まさか左だけで完封しちゃうとは思いませんでしたし。」
どうやら逆の意味で参考にならないという事だったらしい。
いつでもその力を発揮出来れば心強いのだが、そんなものよりも地力を鍛えるほうが有意義そうだ。
話が咲く大人達に耳を傾けていると、疲れからか段々睡魔が襲ってきた。
そういえば、昨日もあまり寝られていなかった事を思い出す。
「……ぉい坊主、着いたぞ。起きろ。」
そう声を掛けられ、徐々に意識が浮き上がってくる。
すると、既に叔父のマンションの前で外は真っ暗だった。
どうやら寝入っているうちに到着したらしい。
どこかで食事をするとかそんな話をしていた様な気もするが、俺のせいで寄れなかったのなら悪い事をした。
「統一郎君、明日恵一郎さんにちゃんと診てもらうんだよ。それと初勝利おめでとう。」
初勝利、その響きが心にじんわりと染み込んでいく。
「有難うございます。これからも宜しくお願いします。」
しかしまだ歩き始めたばかりなのだから、浮かれる訳にはいかないだろう。
今はまだ、静かに余韻に浸る程度にしておくべきだ。
挨拶を済ませ叔父と共に部屋に戻ると、どっと疲れが体の芯を犯し始める。
「疲れてるだろ?さっさと風呂入って休むんだな。」
叔父の言葉通り、俺はふらふらとした足取りで浴槽へと足を向けた。
そして風呂上りの水を一杯飲んだ後、寝室に向かおうとする背後から叔父の声。
「統一郎、注文通りの面白え試合だったぞ。これからも頼むな。後、明日起きたら診察するから病院に行くぞ。」
面白い展開よりも出来れば完勝したい所なのだが、まあ喜んでもらえたのなら何よりだ。
了解と手を振り布団に入ると、意識は泥の様に沈み込んでいった。
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