第二話 強敵たち
四月二度目の日曜日、俺はいつも来る書店にお馴染みのボクシング月刊誌を買いに来ていた。
先月は世界タイトルマッチもなかったせいか、表紙はスーパーフェザー級タイトルマッチの一場面。
言わずもがな俺と御子柴選手の試合である。
最後のコーナーで交わされた攻防の一瞬を切り取られており、見ただけで当時の興奮が蘇るようだ。
「あら、遂に表紙を飾るようになったわね~。おめでとさん。」
レジに持っていくと、いつもにこやかかな太めのおばちゃんがいつも通りの顔で語り掛ける。
「あはは、まあ、自分はおまけみたいなものですけどね。」
写真の角度から大きく映っているのは御子柴選手で、俺は端に切れてしまっている。
「でもまだまだこれからなんでしょ?今度は一人で表紙を飾れるようにならなきゃね。」
その笑顔に釣られる様に俺もまた笑顔で返し、書店を後にした。
「それでは、これが部屋の鍵になりますのでね。何かありましたら遠慮なくお電話ください。」
木崎さんから鍵を受け取ると、さっそくかちゃりと開錠し引き戸を開ける。
すると、真新しい畳の香りが包む室内に心が躍った。
ここから新しい生活がスタートするのだと、はしゃぐ気持ちを隠さず畳の上にダイブする。
しかし、直ぐに引っ越し準備に掛かるべく再起動、車を走らせた。
引っ越し作業自体は、移動距離が殆どない事と荷物の少なさからあっという間に終わらせる事が出来、一息つく。
居間に忘れる事無くチャンピオンベルトを飾ると、胸に何かが込み上げるようだ。
しかし、今日はやる事が沢山ある為のんびりもしていられない。
まず第一の問題は、家電製品が無い事であろう。
電気ガス水道のライフラインは既に通っており問題ない。
そして生活の充実を図る為、さっそく家電量販店へと足を運ぶ事にした。
「いらっしゃいませ~、お客様、何かお探しでしょうか。」
冷蔵庫が陳列されている辺りをうろうろしていると、目ざとい男性店員が声を掛けてくる。
何が必要かを端的に伝え、お勧めは無いかと聞いてみた。
「そうですね。一人暮らしですとこちらなどはいかがでしょうか。」
紹介されたのは2ドアで右開きのタイプ、値段も手ごろで良さそうだ。
「これにします。後は、エアコンと洗濯機、電子レンジなども買いたいと思ってるんですが。」
これは美味しい客だと思ったのだろうか、店員の目がギラリと輝いた気がした。
「エアコンでしたらこちらがお勧めですよ。花粉やハウスダストにも対応しており空気清浄機も兼ねます。」
店員はまさに水を得た魚と表現出来るほど生き生きしてきた。
「洗濯機はやはりこちらでしょうっ!乾燥機能も付いたドラム式!洗浄力も中々ですよ!」
一方こちらはその勢いに呑まれ、たじたじである。
「電子レンジはこちらっ!レンジ、オーブン、グリル、スチーム、過熱水蒸気という五つの加熱方法に対応した優れもの!」
最早相槌を打つだけの人形と化した俺は、その全てを買う事になった。
大きな出費をしたばかりではあるが、この日の為にクレジットカードなるものを作っておいたのだ。
結果、またも三十万を超えてしまった。
暫くは節約生活が続きそうだと思いながらも、何故かワクワクが収まらない。
やはり基本的に男という生き物は機械が好きなのだろう。
購入金額が大きいからか、はたまた通常サービスなのか、店員は軽トラックにて直ぐに商品を送り届けてくれた。
エアコンだけは業者の関係で即日取り付ける事は出来なかったが、数日内には可能との事。
こうして家電製品も揃った我が家を眺め、暫し恍惚に浸る。
正に我が城、賃貸だが。
そして恍惚に浸るのも束の間、良い時間になっているのを確認しジムへと向かうのだった。
「「「「「チャーッス!」」」」」
年齢様々な練習生たちに挨拶を返し奥へと進む。
すると会長がこちらに歩み寄り、これからの展望を聞かせてくれた。
「まだ仮ではあるけど、次の試合は六月三十日に予定してるよ。相手は交渉してる最中だから決まったら伝えるね。場所は泉岡アリーナ。大きな会場だよ。」
泉岡アリーナ、県民からは『県政の汚点』と呼ばれている施設である。
そう呼ばれる理由としては、大掛かりの費用をかけて建造されたにもかかわらず、あまりにも少ないその使用頻度だろう。
その為まるで採算が取れず、今では維持費を食い潰すだけのお荷物と化しているのだ。
「いやぁ~、これがね、思いのほか安く借りられそうなんだよね。その分ファイトマネーに上乗せできるから期待してて。」
どうやら本当に安く済むらしく、語る表情は極めて明るい。
こちらとしても実入りが増えるのは大歓迎なので、思わず表情が緩んでしまう。
その絵は、まるで談合でもしているかのようだ。
「会長まで揃って悪だくみしてねえで、練習、練習。」
明君のミット打ちをしていた牛山さんもインターバルに入ったらしく、ロープにもたれ掛かりながら呆れ顔で語る。
俺と会長、二人揃って少し恥ずかしくなり、軽く咳払いをしてから練習に入っていった。
その夜の風呂上り、新居にまだ慣れずそわそわした感覚のまま、おもむろにボクシング雑誌を開くとライバル達を確認する。
日本スーパーフェザー級ランキング
十二位
十一位
十位
九位 デビット
八位
七位
六位
五位
四位
三位
二位
一位
いずれも一癖二癖ありそうな選手ばかりで指名挑戦者とか色々な事もあるが、それは俺が考える事じゃない。
だがどんなに気にしないように努めても、気にしてしまう相手もいる。
それが六位に名を連ねる高橋晴斗選手、先週行われた試合は衝撃的な幕切れだった。
これからのマッチメイクは敬遠され厳しいものになるだろうが、必ず上がって来るだろう。
それでも俺は会長が選んだ相手の前に立ち、勝ち続けるだけだ。
それ以外を考える余裕など、少なくとも今の俺にはある筈無いのだから。
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