四章 そこから見る景色

第一話 新しき日々

すっかりポカポカ陽気が差し込む四月初めの日曜日。


俺は自室のパソコンにて、この辺の賃貸物件を検索していた。


何故そんなことをしているのかと言われれば、兼ねてから思っていた事があったのだ。


一度は一人暮らしを経験した方が自分の為になるのではないかと。


そうなった時一番の心配は叔父の食生活だが、それも移り住むのが近くであれば問題ないだろう。


まあ、本人にとっては俺がいない生活の方が長かったはずなので、余計なお世話だと思うかもしれないが。


「お、これいいんじゃないかな?……借家か。」


目についたのは、家賃六万五千円の一軒屋。


築三十年以上を経過しているが、場所もここから車で十五分程度とほど近く、リフォームしたばかりという売り文句にも目を引かれる。


更に意外にもネット回線の工事なども済んでいる様だ。


しかし、一度は直に見て見ないと評価は下せない。


そう思い、連絡を入れ一路不動産屋へと車を走らせる事にした。














「……こちらがその物件になりますね。」


不動産屋に着くと話はスムーズに進み、取り敢えず見てから決めるという流れになった。


「築年数はそれなりですけど、リフォームしたばかりですし良い物件だと思いますよ。」


目に入ったのは、意外と立派な瓦屋根が印象的な平屋。


本日の天候は快晴という事もあり、黒々と太陽の光を浴び輝いている。


周りを見渡すと買い手のつかない土地に田んぼ、加え田舎らしく隣の家までは五十メートル以上ありそうだ。


新居になるかもしれない興奮もありながら、ガラガラと音を立て玄関の引き戸を開く。


中を見渡すと、確かに言う通り中々に綺麗な作り。


間取りは六畳と八畳の和室が一室ずつと居間があり、トイレはウォシュレットだ。


そしてリフォームしたばかりの綺麗な浴室と台所。


第一印象としてはとても住みやすそうな感じ。


「あと、ペットもOKですので、そういう意味でも良物件かと。」


担当の男性が、決めあぐねている俺の背中を押す様に語り掛ける。


先ほど渡された名刺によると、木崎さんというらしい。


向こうに急かすつもりはないのだろうが、こちらは慣れていないせいか幾分焦りも感じてしまう。


そして迷いながらもついに結論を出した。


「ここに決めました。」


俺がそう言うと、木崎さんは満面の笑みで早速事務所へと車を走らせる。








「…ですと~敷金礼金が家賃二ヶ月分ずつとなってまして、それに仲介手数料などが加わりますので………」


木崎さんはパチパチと弾いていた電卓をこちらに差し出し金額を提示する。


「あと、こちらが連帯保証人様に書いていただく書類で、こちらが収入証明書となっておりますので、まとめて持って来て頂けると助かります。」


思った以上の出費に苦笑いの俺と、晴れやかな笑みの木崎さん。


何とも対照的な二人だった。


(はぁ~~っ、約三十万の出費か。車買って以来だな。)


しかし、新生活に胸が躍るのも事実。


そんな相反する感情を胸に抱きながら帰路に着くのだった。










その日の晩、叔父に今日の不動産屋でのやり取りを伝えると、


「そうか。こういうの聞くとお前も大人になったんだって実感沸くな。」


子供のいない叔父にとっては俺がそれに当たるのだろう。


そのせいか、表情には寂しさと嬉しさが同時に内包されているように見えた。


「印鑑証明書とか必要なんだったか。分かった、なるべく早く用意しとくわ。」


叔父に書いてもらわなければならない用紙を手渡すと、一通り目を通してからこちらに優しく笑いかけてくる。


「いやいや叔父さん、引っ越すって言ってもすぐそこだし、ご飯は作りに来るからね?一人にすると酷い食生活になっちゃいそうだし…。」


誰が得する事もないであろう、男の通い妻宣言である。


「お前な…それじゃ何の意味もねえだろうがよ。全く…。」


叔父は呆れ顔で俺を眺めながらも、その声にはどこか嬉しそうな感情を含んでいた。













翌日仕事を終えジムの戸を開くと、相変わらず独特の熱気に包まれた空気が外に漏れだす。


「「「「「ちゃ~~っすっ!!」」」」」


何人もの声がハーモニーの様に重なり響く。


その声の方へ視線をやると、練習生の人達が一旦シャドーを止め、こちらに頭を下げていた。


そこには会長もおり、中々懇切丁寧に教えている姿も見て取れる。


こちらも挨拶を返し、構わず続けてと仕草で促した。


そして視線をリングに移すと、


「突き上げるっ!突き上げろっ!ほらっ!もっとっ!」


こちらもかなりの熱の入りよう。


新人王戦を控えた明君と、そのミットを持つ牛山さん。


つややかに光る頭に玉の汗が浮かび、その年齢不相応な逞しい体に滴らせている。


明君は殆ど体重を預ける形になりながら、何度も何度も下からミット目掛けて突き上げていた。


それを眺めつつ奥に進み腰を下ろすと、同じく来たばかりらしい佐藤さんの横で会釈と共にバンテージを巻き始める。


「いやぁ~、熱入ってますね。四月三十日でしたっけ?一回戦。」


壁には新人王戦のトーナメント表が貼っており、ライトフライ級出場者は八人であるらしい。


相手は王拳ジムの選手で、体格が明君よりも小柄との情報がある。


「そうだったと思いますよ。この調子なら何とかなるんじゃないかと。」


そう言われて再度目を移すと、パンチからも好調ぶりが伺えた。


ならば俺の調子はというと、実は激しい練習を再会したのは最近の事。


あの試合から暫く、激しく動くと頭痛がするのでその事を会長に伝えると、一応の為暫くは本格的な練習を控える様にと言われていたのだ。


自分が思っていた以上にダメージは深刻だったらしい。


とは言え、あの時はそれ以外活路を見出す事が出来なかったのも事実なので、あの不可思議な感覚に頼らずとも勝ち抜いていける地力を身に付けるのが第一だろう。


お互いにバンテージを巻き終わると、ストレッチを済ませその熱気に混ざっていった。










一日の練習を終え外で体の熱を冷ましていると、無駄に広い敷地に建造中の建物が目に入る。


そう、これ以上人数が増えるとこのプレハブでは満足に動けなくなるので、その時を見越してもう一つ練習する為の施設を建造中なのだ。


何でも、完成と同時期にもう一人のトレーナーもこちらに呼ぶとの事。


どんな人なのか今から楽しみだ。

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