第四話 帰ってこれた

試合は、序盤からこちらのペースに引き摺り込むことに成功していた。


リードブローの差し合いは譲らず、しっかり自分の距離を保ち、後の先を取る展開。


こうして相手の戦力分析に費やしたのは、約三ラウンドほど。


踏み込みの鋭いタイプではなく、しっかりガードを固めて突き進んでくるのを旨としているようだ。


パンチ自体は筋肉質な体に見合い結構あるらしい。


あまり細かい事が得意な選手ではない様で、持ち前のタフネスに任せグイグイ押して来る。


だが一発一発は結構大きく振って来るので隙は大きく、俺との相性は抜群。


四ラウンド目に入り、相手の射程を見切ってからは殆ど一方的に打てる態勢を作れた。


「…シィッ!!」


踏み込みながら放ってくる力の籠った右フックを、こちらは最低限下がりながら躱し左ストレート。


だが首でいなされ直撃はならず。


相手は強気に更に追って踏み込み、返しの左フックを振り回して来る。


「…シッシッ…」


俺は下がりながら軽く左を伸ばす。


狙うのは目、正確に言えば視界を狭めるのが目的。


構わず振り回してくるパンチにカウンターを合わせたくなるが、まだ危険を冒す段階では無い。


求められているのはKО、しかし同じくらい勝利も求められているのだから。


そしてラウンド終了時公開された採点結果は、当然俺の大幅リード。







「今のままでいいよ。只、もう少しリズムを変えて打とうか。後、もっと強弱付けてもいいね。」


なるほど、相手の耐久力も相当なものだと思っていたが、繰り返されるのが単調な刺激では慣れてしまう、そう言う事か。


そして迎えた第五ラウンド。


初手は右ボディストレート、予想していなかったのだろう、綺麗に入った。


すぐ前にある顔面に向かい、相手は大きく振り抜くも既に俺の姿は無い。


隙を晒した相手に、俺はトントンと軽くステップを踏みながら左を三発。


最初の二発は弱く、最後の一発は強く、だが向こうも強気で貰いながらも構わず振り回して来る。


俺はしっかり見極め初撃の左をガードし、続く右フックもステップで躱すと、


「…シュッ!!」


右ストレート。


この相手、意外に勘が良い。


隙はあるものの、芯に響くような貰い方は中々してくれないのだ。


しかも隙あらば自分からパンチに額をぶつけ、拳を壊してやろうという意思さえ感じる。


だからこそ、不用意に強いパンチが打てなくなっているのが現状。


とは言え、試合を支配しているのは完全に俺。


どうやらこういう不器用でタフな選手は、めっぽう得意らしい。





「いいね。言う事無いよ。じわじわやって行こう。一発を狙うのは絶対ダメだ。決めるのはこのまま蓄積していって、相手が完全に参ってからでいい。」


俺も同感なので、頷き立ち上がる。


元々俺は一発KОを狙うようなタイプでもない。


第六ラウンドのゴングを聞き、勢いよく向かってくるのは相手側。


ラウンド初めの空白、そのわずかな時間で距離を詰めてしまおうという考えだが、それは想定内。


「…フシュッ!!」


相手の中心目掛け放ったのは、左コークスクリューブロー。


ダメージを狙った一撃ではなく、前進を止めるのが目的。


そして止めるのは一瞬で良い、一瞬でも鈍ればそれで充分俺の距離に出来るのだから。


俺は一度ステップワークのフェイントを混ぜ、右に行くと見せかけ瞬間的に左へステップ。


一瞬見失った相手は、誰もいない所へ豪快な空振りを放った。


俺は完全に横からその姿を見る形、当然隙だらけ。


「…シッシッシッシュッ!…シュッシィッ!」


左、左、左、強めのジャブ三発から右ボディストレート。


そして間断なく左アッパーへと持っていき、視界の外から大きく迂回させ右フック放つ。


最後の一発が本命だったのだが、それのみガードの上、それ以外は首でいなされながらも一応はヒット。


相手はめげずにお返しと言わんばかりに振り回してくるが、それに応じてやる義理は無い。


しっかり距離を取って、視界を塞ぐような伸ばすだけの左を当てていく。





「向こう、大分疲れてきたね。少しボディ多めにしてみようか。心をへし折ろう。」


倒せではなく、心をへし折れとは何とも会長らしいが、俺もそれが良いと頷く。


第七ラウンド、相手の顔は紅潮しておりダメージを伺わせるが、その闘志未だ衰えず。


俺は左の弾幕を張り、相手のパンチを誘ってから踏み込みボディへ。


そこから真っ直ぐ下がるのではなく、フックを引っ掛け回る様にして距離を取る。


ここまでのやり取りでも分かる様に、この相手は非常に直線的な動きが多い選手。


細かいサイドステップには対応しきれていない。


勘は良いのでパンチのフェイントにもよく反応するが、ステップワークのフェイントにはもっとよく引っ掛かるイメージ。


キュッと乾いた音を響かせ、左に行くと見せかけ体を反転、右へステップ。


どうやら相当ダメージの蓄積があるらしく、相手は前につんのめる形でパンチを空振った。


「…シッシィ!」

(これなら…入るっ!)


隙ありと、力の籠ったワンツー一閃。


無理な体勢で追いすがってくる相手へのカウンターとなり、この試合で始めて腰が砕けたのを確認。


攻め気に逸りそうになるが、一度軽いパンチで冷静に余力を確認する行程を忘れない。


「…シッシッ…シッシッシッ…」

(どうだ?反撃の力は…無さそうに見えるな。)


俺は一度自陣へ視線を向けると、会長からもゴーサインが出ているのを確認。


だがこれはがむしゃらに決めに行けと言う意味ではなく、倒しに行けるなら行ってもいいという意味。


俺は踏み込むことはせず中間距離を維持しながら、左右のパンチを間断なく突き刺す。


相手はそれでも反撃を試みようとするも、これは悪手、またもカウンターとなって数発クリーンヒット。


首でいなす事も出来ておらず、完全に効いてしまっており、ふらふらとロープ際を彷徨いながらコーナーに行き着く。


俺は油断なく距離を維持し、クリンチに来た所をアッパーでかち上げた。


更にラッシュを掛けようという所で向こうサイドからタオル投入、試合終了。


久し振りに俺も満足のいく内容に、思わずガッツポーズも出ようというものだ。







相手陣営と一言二言声を掛け合い見送ると、勝利者インタビューに入る。


「おめでとうございますっ!」


マイクを向けられ応える俺の横には、ベルトを巻こうとしてくれている牛山さんの姿。


リングアナの後ろには、今日もラウンドガールをしてくれていた三人娘が微笑んでいる。


少し瞳がうるんでいる様に見えたのは気のせいだろうか。


満員の会場から向けられる声援も心にしみる。


あの負け方を見てしまえば、もう帰ってはこれまいと結構な人が思っていたはず。


リング脇に目を向けると、あの日悲しい涙を流していた妹が、笑いながら泣いている姿が見えた。


あの時は存在しなかった、心許せる友人と共に。

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