第7話 叔父の葛藤

会長宅に泊まり、迎えた次の日の朝。


日課であるロードワークをこなした後、シャワーを借り、荷物を纏める。


たった一泊しただけなのに、まるで家族の一員になった様な、そんな不思議な感覚があった。


俺は母の事を殆ど覚えていない為、家族団らんという感覚をあまり知らないが、この家は俺の持つそのイメージにぴったりだった。


そんな感傷に浸っていると、


「準備出来たかい?良ければ行くよ。」


実さんが玄関から声を響かせる。


帰りはジムの視察がてら、実さんが送ってくれるとの事だ。


俺は返事を返すと、玄関へ向かった。


そして玄関先で待っていた会長夫妻に一泊のお礼を告げる。


「いいのよ~。また何時でも来て良いからね~。」


と、会長の奥さんがニコニコと笑みを浮かべながら返してくれた。


「まだ来い。息子が使い物にならねがったら、送り返していいぞ。」


会長は、冗談か本気か分からないことを言いながら笑っている。


俺はもう一度頭を下げ、会長宅を後にした。


車中、実さんとこれからの事を話し合い、少しずつ道が出来上がっていく事実に心が高揚した。







「あ、そこ、曲がって真っ直ぐのとこです。」


もう見慣れた景色が広がる場所まで来ると、取り敢えずジムの場所や設備が見たいと言った実さんを案内する。


外観のプレハブを見ても表情を変えなかった事には、少しホッとした。


「へー、思ったより良い環境だね。一通りの物は揃っているし、本格的なリングもある。」


実さんは、思っていた以上にしっかりとした設備が整っている光景に驚いている様だった。


正直同感だ、これほどの設備を揃えてくれた叔父には、感謝するとともに申し訳ない気持ちもある。


俺一人の為に揃えたというには、あまりに過分といってもいいのだから。


ジムの中を一通り見終えた実さんは、腕を組み満足気にした後、こちらに向き直り語った。


「うん、いいね。スパーリングは親父のジムと協力すれば、それなりの回数はこなせるだろうし、問題無さそうだね。よし、じゃあ軽く練習始めようか。」


「あ、はい。すぐ準備します!」


何だか凄くやる気になっている実さんは、手にミットを嵌めたまま既に体を解し始めていた。


パンッ!スパンッ!パパンッ!


軽快で小気味良い音が室内に響き渡る。


叔父も時間がある時偶にミットを持ってくれるのだが、そこは素人とプロの違い、こうはいかない。


音が違う、手応えが違う、打っていてとても気持ち良いんだ。


「いいね~、でもガードは下げない!ラスト10秒!連打!休まない休まない!」


その丁寧な口調とは裏腹に、実さんの課すメニューはかなりハードだ。


だが、無茶という訳ではなく、限界ギリギリを要求してくる。


「いやー、軽めの練習のつもりだったんだけどね、統一郎君があんまり良い動きするもんだから、張り切っちゃったよ。あ、軽くアップしてから上がるんだよ?」


実さんはミットを外しながら、ニコニコとした表情を崩さないまま語り掛けてくる。


俺は疲労困憊といった状態で、掠れた声で返すのが精一杯だった。


その後、これから不動産屋に行くらしい実さんは、軽く挨拶をして帰っていく。


俺も自宅に戻り、叔父と話す事もあったのでその帰宅を待つことにした。






夜遅く、ガチャリと扉が開く音がした後、ふぅ~っと溜息を吐く音も聞こえ、叔父が帰ってきたらしい事を悟る。


少し疲れた顔をしている叔父を、労う様に声を掛けると、


「おお、なんだ起きてたのか。」


俺が寝ていなかったことに意外そうな顔を見せる叔父に、少し話をしようと持ち掛ける。


「ああ、ジムの件か?向こうさんどうだって?」


実さんが了承してくれた事と、話を通してくれた事に感謝を伝えると、


「そうか!まさか本当に来てくれるとはな!」


何だか、叔父は凄く嬉しそうだ。


任せられる人が決まって、安心したのだろうか?


とてもそれだけには見えない喜びようだったが…。


気にはなるが取り敢えず置いて置く事にして、話というのは金銭面での事だ。


これが叔父にとってあまり触れてほしくない話であるというのは分かっている。


だが、どうしても話しておかなければいけない。


「それでさ、ジムを立ち上げる時のお金のことなんだけど・・・」


俺がそう切り出すと、すかさず叔父はいつもと同じ言葉を返してきた。


「だから何度も言ってるだろ、それはガキが気にする事じゃねえ。お前はお前がやるべき事をやってりゃいいんだ。」


この話はこれで終わりだというように、会話を切り上げ風呂場に行こうとする。


そうはさせまいと、俺は叔父を引き止め話を続けた。


「まあ、話は最後まで聞いてよ。何度も言ってるかもしれないけど、ジムを作る為の費用、それに父さんの残してくれたお金を使うべきだと思うんだよ。」


叔父は、何となく話の内容を察していたのだろう。


だからこの話を避けていたのかもしれない。


俺を引き取ってからの叔父の散財は、ジムの件もありかなりの額になっているはずだ。


その中には叔父がやりすぎた一面もあるのだが、それも言ってしまえば俺の為だ。


ジムを作る費用は、少し調べただけだが、団体に加盟するだけで目が飛び出るほどの金額になるらしい。


更にそこから建物や土地、施設の設備費用なども加わってくる。


叔父がどれだけ稼いでいるのかは知らないが、決して楽ではないだろう。


まあ、建物と土地については既に解決済みだから問題無いとしてもだ。


父の残してくれた遺産は、保険金などもありそれなりに大金だ。


損害を与えた会社への補償等もあったらしいが、それでもそれなりの額は残った。


これを使えば楽になるはずだが、叔父は全く手を付けようとしない。


だが、その理由を俺は恐らく知っている。


ある夜、珍しく酒の入った日、泣きそうな顔で吐露していた事があったのだ。


つまらないプライドや意地のせいで、父を素直に応援してやれなかったと。


一度でいいから素直に応援してやりたかったと。


自分はなんて小さな人間なんだろうと。


だから、弟の代わりに支えてやらなければならないんだと。


叔父はその後すぐに寝入ってしまった為、覚えていないかもしれない。


勿論、酒の入っていた状態での言葉だ。


それが本心であるかどうかは定かではないが、その顔は酷く寂しげだった為よく覚えている。


「俺はそれなりに高給取りだぞ?何とかなるんだぞ?それでもお前の金を使えってか?」


叔父は、苦笑いとも何とも言えない表情をしている。


『お前の金』と言ったのが何となく引っ掛かったが、名義上そうなっているのだろうか。


叔父なりの矜持があり、それには手を付けたくないのも理解は出来る。


しかし、俺にしてもここは引くべきではない。


生前の父の言葉あっての思い付きであり、俺の我が儘なのだから。


ジッと叔父の顔を見て口を開いた。


「父さんは自分のジムを持つのが夢だったんだよ。望んだ形ではないだろうけど、それを叶えさせてあげたいんだ。今俺にできる最後の親孝行って、このくらいじゃないかな?」


これは俺の本心だった。


父の夢を叶えたいと思いしていることなのに、そこから父を除けるのは何か違う気がする。


そもそも、最初から父の残した遺産を使ってもらうつもりの提案だ。


しかし、今まで何度そう言っても、叔父は首を縦に振らなかった。


こんな使い方をしたら、後で後悔するとも言っていた。


それでも、俺には確信があった。


あの父なら『やるならとことんやってみろ!』俺に拳を突き出し、そう言ってくれるだろう、と。


俺は観念した様に頷きながら風呂場へと歩いていく、叔父の背中を見送った。

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