第8話 仲間になりたそうにこちらを
夏も終わり肌寒くなってきて、暦の上では秋と言える時節。
実さんがこちらに居を移し、本格的に練習が開始された。
しかしその矢先、成長痛なのか酷使したからなのか、膝が痛む事が多くなり、どうせすぐに収まると高を括る俺とは逆に、体が出来ていないうちの無理は後に祟ることが多いと、意外に慎重な実さんの方針で、冬の間は軽いメニューをこなすだけとなった。
そうして出足から躓く格好にはなったが、秋も終わり冬に移り変わる頃、ジムに新しい仲間が出来た。
仲間といっても、六十近いと思われる初老といって差し支えない男性。
その風貌は、小柄だが年齢を感じさせない筋骨隆々の体と、蓄えた髭に反り上げたスキンヘッド、堅気ではないと言われても普通に納得出来るものだ。
たまに実さんと並んで話をしている所を見掛けると、どこからどう見てもこちらが会長にしか見えない。
【
俺も行きつけである、近くのスポーツ用品店の親父さんだ。
最初はバンテージ等の日頃練習で使うものを買いに行ったのだが、ボクシング用品は扱っておらず、何度も個別に取り寄せてもらっていた所、いつの間にか懇意の仲になっていた。
「この近くの学校でボクシング部なんてあったか?」
何度も通っていると不思議に思ったのだろう。
そんな事を聞いてきて、事情を説明するとその厳つい顔を興奮させながら、
「そんな面白い事やってんのか!俺も混ぜろ!」
迫力のある声でそう言った後、ジムまで押し掛けてきた。
店番は良いのかと問うたが、どうせあまり客は来ないし奥さんが対応するから問題無いとの事。
この土地の地主のお爺さんとも顔馴染みらしく、かなり強引に許可を取った後、自費でジムの横に仮設のシャワー室を作り上げた。
折角の設備だが、俺はランニングがてら走って帰るのであまり使う事はないだろう。
ちなみに月謝は、諸々の設備投資をしてもらった手前もらうわけにはいかないと実さんが断っていたが、そんな訳にはいかないと強引に手渡していた様だ。
外見に似合わず意外に律義な性格をしてるらしい。
そして冬も終わり景色から雪が消えた頃、本格的な練習が始まった。
まずはストレッチ。
実さんがトレーナーに就く様になって一番変わったのが間違いなくこれだろう。
何せ最初は、ストレッチの種類と定義という講習から入ったのだ。
たっぷりと二時間以上もその重要性を説かれると、流石に俺にも理解出来た。
それを境に練習前と後、二十分程掛けて体を解す様にしている。
その後はシャドー、サンドバッグ、ミット打ちと続くのだが、全て実さんがマンツーマンで付きっ切りの指導をしてくれる為、一人でやっていた時とはまるで練習の密度が違う。
実戦練習はお互いにパンチは当てず寸止めをする、所謂マスボクシングという形を取っていた。
とは言っても、完全な寸止めではなくお互いに浅くは当てるのだが。
驚いた事に、実さんの動きは只のトレーナーというよりはまるで現役のプロを彷彿とさせるもので、正直今の俺では全く勝負にすらならなかった。
最後にリズム感を養う為のパンチングボール、ロープ(縄跳び)で終わる。
筋力トレーニングはしないのか聞いてみたが、今は必要無いと言っていた。
それが月曜から土曜まで、日曜は休養日だったが、それでもロードワークだけは続けている。
そして月に二度程度、いつの間にか他県のジムに連絡を取りつけており、様々な選手と拳を交える事が出来た。
スパーリングの回数自体は少ないかもしれないが、殆ど続けて同じ選手とやる事はなく、実戦経験という意味では大手のジムの選手にも引けは取らないのではないだろうか。
月日はあっという間に流れ、父が亡くなってから二年が過ぎ去っていた。
墓参りをすると、まだ少しだけあの時の感情が自分の中に残っている様な気がする。
だが、いつかはこの残り香すらも完全に消えていくのだろう。
この時期の中学三年生といえば、本来ならば高校受験を控え机にかじりついているのだろうが、俺が受験する森平高校は田舎特有の定員割れで、名前さえ書ければ受かりますよ、という状態。
まあ流石にそれは言い過ぎだが、机にかじりついてまで勉強する必要性は皆無だった。
そして合格発表の日、当然掲示板には俺の番号も乗っていた。
もしかしたら、全員合格しているんじゃないだろうか。
だが、それでも叔父は心配だったらしく、不安そうな顔で結果を聞いてきた。
合格した旨を伝えると、ホッと胸を撫で下ろし、出掛けるから準備をしろと俺を促す。
車に乗り少し走った後、やってきたのは携帯ショップだった。
俺は今時珍しく携帯を持っていない人間だったが、パソコンを所持していた事と友達付き合いの少なさのお陰で、これまで必要性を感じてこなかった。
何より、持てば必要になるであろうSNS等のやり取りも、正直面倒臭いと思っていた節もある。
叔父は気が進まないという俺を尻目に、一番最新の機種のスマートフォンを買い与えてくれたが、高機能性が無駄になる未来しか目に浮かばない。
しかし、叔父が俺を思ってしてくれたなので、その心遣いは有難く受け取っておくべきだろう。
三月下旬、桜を眺めながら、いつもより少し早い時間にロードワークをしていると、いつも折り返し地点にしている神社の石段で、せっせと掃除している女の子がいた。
(そういえば、何時も中段まで使わせてもらってるけど、参拝した事無かったな。)
箒を忙しく動かしている女の子を見ると、その事が少し後ろめたく感じられ、ドリンクを買う為に持っていた小銭を取り出した。
(丁度良い。お礼も兼ねてお参りしていこう。)
いつもは登らない、中段の先を超えて境内へ進む。
参拝の礼儀など知らない為、取り敢えず賽銭箱に小銭を入れ鈴を鳴らし、パンッパンッと手を合わせて祈る。
何となく来てみたが今はこれといった願い事もないので、無病息災を願っておいた。
そしてお参りも終わり帰ろうとした時、
「いつもご苦労様です。」
掃除をしていた女の子にそう声を掛けられ、照れながら頭を下げる。
その声は透き通る様に綺麗で、顔を見たかったが恥ずかしさもあり確認出来なかった。
その後は何となく気分が良くなり、ロードワークも快調にこなすことが出来たのだった。
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