第6話 再びの拳友

「忘れ物もないし、行くか」


本格的に暑くなり、夏休みに入って少し経ったある日、今日は成瀬会長の好意に甘え、向こうのジムにお邪魔させてもらえる事になった。


しかも日帰りは大変だろうという事で、会長宅に泊めてくれるおまけ付き。


何から何まで世話になってばかりだ。


最寄駅から約二時間半ほど電車に揺られていると、見慣れた景色が近づいてきた。


半年程度しか経っていないというのに、不思議と何年も離れていたような感慨に浸る。








「今日はよろしくお願いします!」


厚意に甘えてお邪魔する身、せめてもの礼儀として大きな声で挨拶をした。


「おお、元気そうで何よりだな。向ごうももうすぐ来るがらな。」


会長の言う向こうというのは、以前何度もスパーをした相沢君の事だ。


どうやら俺がこちらに来る日に合わせて、声を掛けてくれたらしい。


そして荷物を降ろし練習の準備をしていると、


「お願いシャ~スっ!」


こちらも、俺以上に元気の良い声を響かせ入って来た。


付き添いは居らず、一人でやって来たらしい。


「お~っす、久しぶり!」


暫く振りの再開に、お互い軽く挨拶を交わす。


彼と練習をするのは結構な回数になるため、もうある程度打ち解けた仲だ。


その後お互いそれぞれの練習メニューをこなし、グローブとヘッドギアをつけ準備万端。


「よーし、じゃあ三分三ラウンドな。」


ロープに寄りかかる体勢の会長が、手に持ったまま開始のゴングを鳴らした。


スパーリングをするのも、もう暫く振りになる。


相変わらずぐいぐいと強気に攻めてくる相沢君を尻目に、こちらはというと、一つ一つ確認しながらの作業。


「シッ!シッ!」


相手の勢いを止める様に、左を突き刺す。


パシン!っと乾いた音が響く。


思っていたよりも体は軽い。


この数か月、出来る事は限られていた為、その殆どを基礎練習やロードワークに費やした結果だろう。


どうやら基礎体力で後れを取ることはなさそうだ。


特にジャブは、明らかに以前よりも鋭くなっているのを実感する。


これも、毎日狂った様に姿見の前で打ち続けていた成果だろう。


しかし、それでも実戦練習が出来ていないというのは大きく、自分のペースを乱されると、あっという間に相沢君の得意な展開に持っていかれてしまう。


つまり、インファイトでの打ち合いだ。


実を言えば、俺はこの展開が非常に苦手だ。


だが言っても仕方ないと一応食い下がってはみたが、やはり全体的に見れば押される形が多いまま終了のゴングを聞いた。


「有り難うございました!」


全三ラウンドのスパーリングが終わり、お互いに頭を下げ合う。


親しき中にも礼儀あり。


その見た目とは裏腹に、彼はその辺しっかりしている。


「流石に今日は俺の勝ちだろ!」


相沢君が嬉しそうに俺に語り掛けてくるが、こちらが久しぶりだという事も考慮してほしいものだ。


そんな気持ちが表情に出ていたらしく、


「お?なんだ?言い訳すんのか?言い訳は男らしくねえな~。」


肌を伝う汗を拭いながら、揶揄い口調で語り掛けてくる。


確かに、今日の内容で負けてないと言えるほど厚顔無恥でもない。


それでも、次は勝つという意味合いを込めて言い返しておく。


何事も気持ちで負けたら終わりなのだから。


まあ実際の所は、何度やっても勝てるビジョンは浮かんでいないのが実情なのだが。


「でも、安心したぞ。事情聴いたときはもう辞めちゃうのかと思ったからな。」


もし叔父が引き取り手でなかったのなら、一時的にはそういう事もあり得た。


だが、今の状況では辞めるという選択肢は最早無いと言って良いだろう。


「それでこそだ、ライバルがいなくなると張り合いなくなるからな。」


どうやら彼も、俺の事情を知って心配してくれていたらしい。


もし逆の立場だったら、俺も同じことを思っていたはずだ。


それに、俺だけがライバルと思っていた訳では無いらしく心底嬉しい。


実績も実力も格上の彼にそう思われる自分でありたいと、そう思った。








「そろそろ電車の時間だから行くわ。んじゃ、またな!」


また機会があったら手を合わせてほしいと伝え、駅に走っていく彼の背を見送った。


「ながなが良い動き出来でだな。」


会長がタイミングを見計らった様に声を掛けてくる。


「はい、思ったよりは動けました。全体的に見れば負けてますけど、それでも想像してたよりずっとましだったと思います。」


「腐らねえで出来るごどをやる、それもおめえの長所だな。んでば行ぐが。」


そして俺達は、ジムのすぐ裏手にある会長宅へ向かった。


「お邪魔します。」「は~い、どうぞ~。」


俺の挨拶に被せるタイミングで声が響くと、奥から出てきた女性が迎えてくれた。


迎えてくれたのは、とても優しそうな初老の女性だ。


このニコニコとした女性が、どうやら会長の奥さんらしい。


「今日、泊まってぐがらな。」「はいはい、聞いてましたよ。」


またも分かっているという感じに、会長が話し終わる前に被せていく。


見た目よりもせっかちな人なのだろうか。


いや、もう耳に蛸が出来る程何度も聞いていたのかもしれない。


二人の掛け合いは、いかにも仲の良い老夫婦といった感じで、一つ一つの所作に年季を感じる。


その後、遠慮なく入ってと促され、客間へと足を向けた。


どうやら、実さんも高志さんも留守にしているようだ。


実さんとは会長の次男で、本職の他にジムのトレーナーも兼任しており、俺も何度か指導を受けた経験のある人物である。


今は少し外に出ているらしく、夜になったら帰って来るとの事。


長男の高志さんは家庭を持ち、少し離れたマンションで暮らしているらしい。


「実のやつはもうすぐ帰ってくるべ。帰ってきたら話あるがら、居間に来てな。」


何の話があるのかは気になったが、実さんが帰宅してからの話だというので、暫くはゆっくりさせてもらう事にした。






外も暗くなり始めた頃、夕飯をご馳走になりお風呂を頂いた後、居間へと足を向ける。


「やあ、久しぶり。」


そこには眼鏡をかけ軽い笑顔を浮かべている、いかにも秀才といった見た目の男性が座っていた。


年は確か40を過ぎているはずだが、実年齢よりは随分と若く見える人だ。


「来たな、座れ、座れ。」


会長が、ここだここに来いと座布団を叩く。


待たせるのは悪いので、俺もそそくさと腰を下ろした。


「んでば、いぎなり本題に入るぞ。おめえのどごのジムの会長、これにやらせてみねえが?」


突然の話に訳が分からず、首を傾げたまま間の抜けた顔で問い返してしまった。


すると会長が説明しようとするのを遮る様に、実さんが割って入る。


「僕から説明するね。この間、君の叔父から打診があったんだよ。ジムを起ち上げるから、誰か都合がつくその道のプロを紹介してくれないかって、それに僕が立候補したというわけだね。勿論君が良ければっていう条件が付くけどさ。」


こちらとしては願ったり叶ったりだが、それではこちらのジムはどうするのかと思い問う。


「大丈夫。うちのジムは兄が継ぐことになってるし、正直一人いれば十分なくらいの数の選手しかいないしね。」


そういうことならば有難い、深々と頭を下げお礼を口にした。


「いやあ、お礼を言うのはこっちだよ。設立費用も全額負担するからって頼まれたんだよ。そこまでの漢気を見せられたら、受けざるを得ないよ。」


叔父にかなりの負担を強いる事になりそうだったが、それには俺なりの考えがあった。


「それに、僕は君の才能を高く評価してるんだ。このまま腐らせるのはあまりにも惜しいよ。」


その言葉はとても嬉しかったが、どうしても一つ確認しておかなければならない事もある。


「あの~、うちのジムって立地も建物もあれなんで…、多分収入にならないと思うんですが…。」


これが一番申し訳なく思ったところだ。


裏手は稼働していない廃工場で、周りは田んぼばかりの立地。


誰が見ても、人が集まる要素はゼロと答えるだろう。


「ああ、いいよいいよ。特に収入には困ってないし。僕の場合、ネット環境さえあればどこでも仕事出来るしね。ジムの会長兼、君の専属トレーナーって感じかな。報酬は出世払いという事で。」


元が取れるほど俺の出世に期待出来るかは取り敢えず置いて置くとして、話し合いの結果、本格的にジムを起ち上げるのは俺が高校に入ってからという事になった。

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