閑話 ドキドキの転校初日

「事情は伺っています。お父さんを亡くして、こちらに編入してくる事になったそうですね?」


そう問い掛けて来るのは、俺が編入する予定のクラス担任だ。


眼鏡を掛けおっとりとした雰囲気の女性教師で、年齢は四十前後だろうか。


「そうなんです。でもしっかりとした奴なんで、あまり面倒は掛けないと思いますんで、どうかよろしくお願いします。」


そう答えるのは、共に挨拶へと赴いた叔父だ。


「そうですか。うちのクラスは皆良い子達ばかりですから、きっとすぐに馴染めますよ。」


教師という人種の言葉を鵜呑みにするほど単純ではないが、その言葉で少しだけ不安が薄らいだのも事実だった。







そして迎えた編入初日、クラス担任の女性教師に連れられ教室に入ると、やるべき事は当然自己紹介。


「と、遠宮統一郎です。よ、宜しくお願いします。」


どもってしまったが、それ以外は取り敢えず無難な立ち上がりと言えよう。


その後自分の席へと案内され、隣が女の子である事にまた緊張感が沸き上がる。


「隣の席の芹沢せりざわさんは学級委員長だから、分からない事があったら聞いてね。」


隣に視線を向け軽く頭を下げると、愛嬌のある笑顔で応えてくれた。


芹沢春せりざわはるだよ。宜しくね。」


中々に気さくな感じの子で、もしかしたら女の子の友達が出来るかもしれないと秘かに胸が高鳴る。


「よ、宜しくお願いします。」


俺は確かに人見知りではあるが、普段はここまでどもらない。


恐らく必要以上に女子という事を意識してしまっているのだろう。


「固いな~、固い!もっと力抜いて行こう、ね?」


彼女はそんな俺の緊張を解す為か、まるで十年来の知己の様に接してくれる。


そんな気遣いが、誰一人知人のいない環境ではとても有難かった。


その後は、転校生の定番イベントともいえる教科書借りも当然こなし、気の休まらないままに昼休みを迎える。


「遠宮君は部活何にする予定なの?見た感じ結構動けそうな感じだよね。」


自分としては部に入るつもりは無かったのだが、どうやら義務として何かしらの部には所属しなければならないらしい。


前の学校は任意だった事情も伝え、どうすべきかと考えを巡らせた。


「そうなんだ。じゃあ放課後一緒に回ろうか?」


有難い提案だが、思春期男子が女子と二人きりで校舎を回るというのは中々ハードルが高いイベントと言えるだろう。


しかし頼れる人がいないのも事実であり、恥ずかしながらも丁重に願い出ることにした。


「オッケー、じゃあ放課後待っててよ?忘れて帰ったら怒るよ?」


彼女はそう言った後、温かみのある笑顔を振りまき、仲の良さそうな女子グループの元へ駆けて行く。


その時、少しだけスカートの中が見えそうになって興奮したのは秘密だ。






そして迎えた放課後、俺は彼女の怒りを買わない為にも約束通り教室に残っている。


「ごめん、待たせた?部活の顧問に事情話してたら遅くなっちゃった。」


面倒を掛けているのはこちらなのに、謝る所に律義さを感じた。


「こちらこそだよ。態々部を休んでまで来て頂いて本当に有難う御座います。」


「だから固いって、まあ良いや、それでどこから見に行こっか。」


この後を考えると運動部は遠慮しておきたいので、それ以外の案内を中心にお願いする事にした。


「分かった。でも意外だね、結構鍛えてそうなのに。」


俺は苦笑いを浮かべはぐらかす。


「そういえば芹沢さんは何の部に所属しているの?」


「え、私?私は吹奏楽だよ。」


何となく活発なイメージに見える彼女、勝手に運動部だと思っていたので意外だった。


「今似合わないって思ったでしょ?まあいいけどね、自覚してるし。」


まるで心を見透かされた様でドキッとした。


そういえば、叔父とも同じ様なやり取りがあった事を思い出す。


もしかしたら、俺は考えている事が顔に出やすい質なのだろうか。


「確かに私のイメージじゃそうなるよね。大和撫子って感じじゃないもんね…。」


少しがっかりした感じの芹沢さん、宥めながら歩いていると、いつの間にか最初の部室に到着した。


「はい、ここがっていうか見れば分かるよね。私も所属している吹奏楽部で~す。」


何事かという他の部員達の目も他所に、彼女は満面の笑みで紹介を続ける。


だが、思っていたよりもしっかりとした設備があり本格的な印象。


何の経験もない俺には少しハードルが高いと感じてしまう。


「そう?やってみれば何かしら出来るもんだよ?」


「はは…、でもリコーダーくらいしか触れたことないから…。」


「そっか~、ま、しょうがないね。次行こ次。」


芹沢さんは、気持ちを切り替える様に俺を促し案内を続けた。


「あ、そうだ。遠宮君のアドレス教えてよ。」


「え…?あの、実は、まだ持ってないんだ…。」


「へ~珍しいね、今時の子は皆持ってるのに。」


そうだろうなと思う。


前のクラスでも、持っていなかったのは俺を含めても極少数。


まあ、俺の場合は連絡を取り合う様な友達がいない事もあり、必要になった記憶自体殆ど無いのが実態なのだが。


「じゃあ、買ってもらったら教えてね。」


「う、うん。いつかね…。」


彼女の距離感は刺激が強いと感じる程近いものがあり、終始鼓動が休まる時がない。


そんな俺を気にもせず、彼女は淡々と案内を続けていく。


「はい、ここが放送部だよ。」


次に案内されたのは、放送の為の設備がずらっと並ぶ一室。


部の顧問の先生が活動内容を教えてくれるのだが、どうやら部員が女子しかいないらしく、ここもちょっとハードルが高すぎると感じた。


「で、どうだった?放送部入る?」


部室を出た後感触を聞いてくるが、苦笑いしている俺を見て何となく悟ったのだろう。


「まだまだあるから大丈夫。次行こ、次。」


申し訳ないと項垂れる俺を気遣い、彼女は明るく促してくれる。


次に案内されたのは『視聴覚準備室』と書かれた部屋。


一見しただけでは何の部活動で使われているのか分からなかったが、ノックして入室するとその疑問も直ぐに解消された。


テーブルに将棋盤が置かれているのを見れば一目瞭然だ。


「やあ、待ってたよ。転入生の子だよね。」


迎えたのは30代くらいの、静かそうな印象を受ける男性教諭だった。


室内を見渡すが他の部員の姿はなく、いるのは顧問の先生一人だけの様だ。


「ああ、折角来てくれたのに悪いね。今日は活動が休みの日なんだ。」


きょろきょろと見回す俺に気付き、そう伝えてくれる。


将棋は触れた経験が無かった事もあり、俄然興味が湧いたのだが残念だ。


また後日伺う旨を伝え、退室しようとしたのだが、


「いやいや折角来てくれたんだから、駒の動きくらい教わって行かないかい?」


提案に頷くと、先生は将棋盤を俺の眼前に置き、駒の名称を読み上げながら並べてくれる。


それから小一時間程だろうか、全くの素人の俺に対して、冗談を交えとても熱心に教えてくれた。


新しい刺激を受け時を忘れて熱中していると、横から視線を感じる。


何だと思い目を向けると、慈愛の満ちた目で眺める芹沢さんと目が合い思わず赤面してしまった。


その後、お礼を述べ退室し次への案内の道中、彼女はずっと嬉しそうな笑みを浮かべている。


「何だか安心したよ。遠宮君って学校に興味無さそうに見えたから。」


そんな事は無いのだが、楽しいと思った記憶もあまり無い。


その後、美術部、書道部、演劇部と案内されたが、結局将棋部に入ることにした。


活動は週に二日しかないらしく、その事も決める大きな要因となったが、一番の理由は思いの他将棋という競技が面白いと感じたのが大きい。


そうして全ての案内を終える頃には既に十七時を回ろうとしており、芹沢さんに今日の案内のお礼を丁寧に伝えた。


「良いって事よ。困った時はお互い様だよ。私学級委員長でもあるしね。」


少し照れ隠しの意味もあるのだろう、彼女は口調を変え冗談交じりに返してくれる。


始めはこんな時間まで掛かるとは思っていなかったので、結果的に部活動を休ませてしまった事を心苦しく思い、どうしても表情は曇った。


彼女はそんな俺を覗き込みながら、


「遠宮君はちょっと遠慮しすぎだよ。まあ慣れれば違うのかもしれないけどさ。」


思春期男子の顔を覗き込んで微笑み掛けるとは、何と罪深い女の子だろうか。


危うく好きになってしまいそうだった。


「じゃあね。これから宜しく。」


「う、うん。こちらこそ。宜しく。それと、今日は本当に有難う。」


再度お礼を伝え、差し出してきた彼女の手を握り返すと、お互いのぬくもりが手の平から通じ合う。


女の子の手は思っていたよりもずっと柔らかく、己の鼓動がいつもより早くなっているのも感じており、俺はもう彼女を見つめ返す事が出来なくなってしまった。


もしかしたら気付いていなかっただけで、この時の感情こそが初恋と呼ばれるものだったのかもしれない。

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