第32話 想定外の体育祭
迎えた体育祭当日、俺の気分とは裏腹に空は気持ちの良い夏晴れを覗かせていた。
「おっし、頑張ろうぜ二人とも。」
やる気に満ちている田中を見て、阿部君と二人で軽く溜息をつく。
「う、うん。応援頑張るよ…。」
俺も出る競技は一つだけだから同じ様なものだ。
只その一つが物凄く嫌な事を除けばだが。
田中の出番は初っ端の徒競走からだ。
声援を送るクラスメイトの間から覗くと、スタート位置に着いている奴の姿が見えた。
意外に女子からの声援が多い事に驚くが、その表情は凄く真剣で、ああいう顔をしていれば確かにイケメンに見えなくもない。
スタートが切られ、僅か百メートルの勝負は一瞬で終わり、結果は二位。
「クッソ~、やっぱ勝てねえか。陸上部出るとか空気読めよな。」
本校における体育祭では、競技における本職の出場も特に制限が無い為、後は自主的に空気を読むか勝ちに行くか生徒の判断に委ねられている。
これに関しては賛否分かれる所だろうが、俺はこのままで良いと思っている。
強い人を除いた勝負よりも、門外漢が本職に挑む方が見ていて楽しいからだ。
特に野球部やサッカー部なら結構番狂わせを起こす期待もあり特に面白い。
「…に、二位なら立派だよ。」
阿部君の言葉に俺も頷きながら同意する。
田中はそれでも悔しそうにしており、その姿を見ていると、俺も何となく勝ちたくなってくるから不思議だ。
もしかしたらこいつには、人を引っ張る素養があったりするのではないだろうか。
その後いくつかの種目が終わり、次は綱引き。
一応阿部君を激励したが、あの細腕ではあまり戦力になりそうもない。
しかも選出されたメンバーもあまりやる気とは言えない為、開始直後に引き摺られていき応援空しくあっという間に負けた。
それも一年生のクラスに。
「もう少し粘れよな~。まあ面白かったから良いけど。」
確かに綱引きであそこまで一方的に負けるのは珍しく、会場からは結構笑い声も響いていた。
笑いと言っても馬鹿にしたものというよりは、寧ろ会場の空気を盛り上げる為の一助になっていた様に感じる。
その後昼休憩の時間になり、阿部君と二人で持ってきたおにぎりを食べていた。
何故二人きりかというと、昼休憩に入って直ぐ田中は女子のグループに誘われ、悩んだのも束の間俺達に背を向け喜んで付いて行ったのだ。
今頃はさぞや楽しくやっている事だろう。
あいつは結構モテるみたいで、実はこういう事は多々ある。
寧ろ他のクラスメイト達から見れば、俺達と仲が良い事の方が謎ではないだろうか。
「良いなあ…田中君。」
阿部君がぼそりと呟いた意外な言葉を、俺は聞き逃さなかった。
いつもは人と関わり合う事を極力嫌う彼がそう言うのなら、何とか力になってやりたい。
「阿部君、あそこの女子なんてどうかな。静かそうだし、きっと行けるよ。」
俺が指差したのは、ザ・オタクといった感じの女子グループ。
体育祭の日だと言うのに、炎天下の中三人仲良くアニメの雑誌を広げている。
更に手に持つのは、和服を着た美少年が描かれた団扇。
自分で進めておいてなんだが、かなり癖が強そうだ。
どうやら阿部君もあまり乗り気ではないらしく、苦笑いを浮かべながらやんわりと断られてしまった。
そんな訳で女子と過ごす事は諦め、二人で寂しくご飯を食べ終え横になっていると、
「男二人で宜しくやってんな。」
上体を起こす事無く視線を向け、そこに立つ田中を見やる。
「借り者競争、午後の一発目だろ。期待してるぜ。」
ニヤニヤとした表情を浮かべ語るニュアンスが、どこかおかしかった気がする。
「何に期待するんだよ。箸休めみたいな競技だろ?」
午後は騎馬戦やリレーなど花形競技が多い中、借り物競争だけは祭り的というか見ている人が楽しむ為のものだと認識していた。
「もしかしてお前知らない?借り『物』じゃなくて『者』だぞ。毎年結構盛り上がるんだ。去年なんかその場で告白した奴もいたんだぜ。ゴールした後ちゃんとお題にあってるかチェックも入るしな。」
指で空中に字を書く様にして説明されると、俺にも漸く理解出来た。
「何だよその言葉遊び……。」
とんでもない失敗をしてしまったかもしれない。
そういえば出場種目を決める時、俺が手を挙げるとみんなの視線が集中した。
あれはそういう事だったのかと、今更どうしようもない後悔が押し寄せる。
俺は二年連続で殆ど傍観を決め込んでいた事もあり、そんな競技があること自体知らなかった。
今思えば、何だかやけに盛り上がっていた競技があった様な気がしないでもない。
田中はニヤニヤと面白そうに、阿部君は少し同情する様な視線を向けてくる。
そして俺が絶望的な気持ちのまま昼休憩を終えると直ぐに午後の部が始まり、出場選手は集合する様にとのアナウンスが響いた。
周りを見渡すと自分以外にも項垂れている者がおり、心の中で同志に同情と激励を送る。
だが意外な事に自分から進んで出ている者の方が多いらしく、覚悟を決めた表情を浮かべている者も数名。
係の人から出走順が伝えられると、どうやら俺は四組目に走るらしい。
どんな感じなのかと思い前の走者の様子を眺め探る。
結論から言えば、これは自分が出たら駄目なやつだと確信した。
お題には実質好意を伝えるに等しいものが多々あり、殆どの出場者が異性を連れている。
中にはどこからかお祖母ちゃんを連れてきた女生徒もいたりしたのだが、それは例外中の例外。
勿論中には『親友だと思う者』など、比較的軽いお題もある。
いや、俺にはそれでも結構きついのだが、同性でも許される時点で救いがあるだろう。
彼らが引いたお題を何故把握しているかというと、ゴールした後読み上げられるからである。
この時間は最早俺にとって罰ゲーム以外の何物でも無く、逃走を本気で考えてしまうが出来る筈も無く、最早祈る以外に道はない。
「位置について…」
今すぐ中止になってほしいという祈りは聞き届けられず、スターターの合図が響くと、全員先を譲る様な速度で横一列に並び走り出した。
この後のくじ運で全て決まるのだから急いだとて全く意味がないのだ。
一体こんな拷問を考えたのは誰なのだろうと、顔も知らない誰かに恨み言を抱きながら、重い足取りで辿り着いた先には箱が置かれた机が二つ。
他の出場者と少し視線を合わせると、お互いにどうぞどうぞと某漫才トリオみたいなやり取りが交わされる。
意を決して最初に引いた生徒は歓喜の声を上げた。
どうやら当たりを引いたらしい。
俺もそれにあやかろうと、祈りながらお題が書いてある紙を引いた。
それに書かれていた文言はこうだ。
『最も美しいと思う者』
これはどう解釈するかで逃げ道が沢山ありそうな気がする。
例えば一人でゴールまで行き、最も美しいのは自分だと主張するとかは…。
(いや…それは駄目だろ。)
それでは只の痛いナルシストだし、会場全体に微妙な空気が漂いそうだ。
日陰者の意地として、折角の盛り上がりに水を差す事だけはしたくない。
(大丈夫、これ以上の緊張を俺は知っているんだから。)
ならば観客の期待に応えるべく腹を括るしかないだろう。
俺が声を掛けられる女子で、この条件に合うのは極めて少ない。
その中で問題なく受けてもらえそうなのは、芹沢さんか明日未さんの二択だが、芹沢さんとは今はもう朝の挨拶程度しか接点がないので、必然もう一人に絞られる。
彼女なら空気を読んで断る事は無い筈だ。
目当ての人を探すべく視線を巡らせると、見つけてしまった。
俺は意を決し歩み寄り、一度咳払いしたのち語り掛ける。
「あ、明日未さんっ、ちょ、ちょっとご協力を願えますかな?」
緊張のあまりどこかの紳士みたいな口調になってしまったので、咳払いをしてもう一度言い直した。
「ん?私?いいよ。行こっか。」
彼女は思った通りにすんなり引き受けてくれた。
周りの男子生徒の何人かからは睨まれていた気がしたが、今はそんな事に構っている余裕も無い。
この苦行を一刻も早く終わらせる為ゴールへ向かうが、振り返ると何故か明日未さんが付いて来ていない事に気付く。
「ふふっ、借り者競争なんだから、ちゃんと連れて行ってくれないと。」
彼女はなにがそこまで楽しいのか、くすくすと笑いながらそんな事を仰る。
その体勢は両腕を広げており、『手を引く』という行為を要求している訳では無さそうだ。
察するに、抱き抱えろと言う事だろう。
正直早く終わるならもう何でも良く、殆どやけくそに近い心持ちであった為、俺は躊躇う事無く彼女を抱き抱えると、お姫様抱っこのままゴールを駆け抜けた。
ここに来るまでに会場は随分盛り上がっていたようだ。
逆にここまでやって白けていたら、俺はもう如何すれば良かったのだろうか。
複雑な感情を抱きながら取り敢えず明日未さんを降ろし、係の人にお題の書かれた紙を渡す。
「では、確認します。お題は『最も美しいと思う者』OKで~すっ!」
俺が恥ずかしさで耳まで真っ赤にしていると、周りの者達は更に囃し立てる。
流石の明日未さんもこれは恥ずかしかったらしく、珍しく赤面し苦笑いを浮かべていた。
「そういうお題だったんだね…。私で良かったのかな…?ちょっと自信無いな…。」
不味いと思った。
俺の為に空気を読んで来てくれた彼女に気まずい思いをさせてしまっているのだから。
何とか気持ちを紛らわせる為、どうにかしなければと頭を巡らせた。
「だ、大丈夫っ!俺がそう思ったんだから問題無いっ!」
そして口から出てしまった言葉は、火に油を注ぐものだった。
その殆ど好意を伝えるに等しい言葉に気付き、後悔するも既に時遅し、更に周りは囃し立てる。
その中には何故か田中の姿もあった。
ここにいる殆どの連中は俺の名前すら知らないはずなのに、何故こうも盛り上がれるのかと不思議に思う。
明日未さんは先程よりも更に恥ずかしそうにしており、耳まで真っ赤になって可愛いなとも思うが、これ以上羞恥に晒す訳にも行くまい。
だがどうすればいいんだろうと悩んでいた時、
「付き合ってくださいっ!」
勿論言ったのは俺じゃない。
声が聞こえてきた方を見ると、一人の男子生徒が女生徒に告白しているようだ。
この空気の中それが出来るとは、何という強心臓だと感心していると、
「ごめんなさい。付き合ってる人いるから…。」
じゃあ何故付いて来たのだろう…。
そんな疑問が口から出そうになるが、確かにこの空気で断りづらかったのも分かる。
そしてこちらとしても非常に助かった。
この瞬間、皆の興味も話題も向こうに移っているので、この隙に脱出してしまおう。
今のうちに戻ろうと伝え、俺は明日未さんの手を取った。
彼女も頷き、どさくさに紛れ輪の外へ。
「ふぅ~、ご、ごめん。恥ずかしい思いさせちゃったよね?」
まだ手を握っていた事に気付き慌てて離した後、お礼と謝罪を伝えた。
「ううん、楽しかったよ。一番綺麗って言ってくれたし、本当…凄く嬉しかったよ。」
向けられる彼女の笑顔は本当に美しく、俺の心は切ないのか嬉しいのかよく分からない感情で満たされていた。
彼女は俺の事をどう思っているのだろうか。
不意に気に掛かった。
脈があるかどうかはさておき、もし告白して付き合えたとしても、彼女は卒業後音楽の専門学校に行くと言っていたので、直ぐに離れ離れになってしまう。
俺にしても、この先どうなるのか分からない現状で交際するというのは如何なものだろうか。
付き合うならその先の事も見据えたい。
そんな事を考えるが、これは只の言い訳だ、分かっている。
臆病で自分に自信が無い。
それだけの事なのだ。
「さ、さっきの言葉はまあ本心だけど、そこまで深く考えなくていいから…。今日は本当に有難う。」
その言葉を聞き、彼女は笑顔のままクラスメイトが集まっている場所へ戻っていった。
俺も自分のクラスの場所に戻ると、案の定話題の中心はさっきの事だ。
その全てを愛想笑いで躱し、いつもの三人で集まった。
「すげえなお前っ。マジで勇者だったぞっ!お姫様抱っこからのあのセリフっ…ぶっはっはっ!」
田中は腹を抱えて笑っている。
少しくらいなら殴ってもいいかもしれない。
「か、カッコ良かったよ。人抱えてあんなに速く走れるなんて凄いよ。」
阿部君はちょっとズレた所で感心しているようだ。
とんでもなく恥ずかしかったが、悪い事ばかりでは無かった。
お陰でクラスの中ではそれなりに認知してもらえたようだし。
この後はいつも通り面白い形の雲でも探していよう。
俺がオブジェと化している間に、いつの間にか最終競技のリレーが始まろうとしていた。
リレーは一レース三クラスずつ走り、各クラス毎のタイムで順位が決まる。
点数も一番高いらしく、うちのクラスもこればかりは本気の選出だ。
アンカーの田中も真剣な顔でスタンバイしている。
スタートが切られ、第一走者が二番手でバトンを渡そうとするが、スムーズにいかず一つ順位を落とした。
だが順位は変わらないまま第三走者からアンカーの田中へバトンが渡る。
そして田中がグイグイと追い上げ、ゴール目前一位の生徒に迫っていく。
その熱い展開に、思わず俺も身を乗り出して見入った。
結果は惜しくも届かず二位。全体順位は五位とまずまずの結果だ。
戻ってきた田中は、皆からよくやったとかカッコ良かったとか言われているが、とても悔しそう。
かくいう俺も、今回ばかりはカッコ良かったと認めざるを得ない。
その後、順位の発表と表彰式等が行われ体育祭は閉幕と相成った。
因みに結果は全十八クラス中七位、思ったより振るわない順位。
それでも皆楽しそうにしていたので、学校生活の良い思い出になったのではないだろうか。
勿論俺にとっても、思っていた形とは少し違ったが、間違い無く記憶に残る出来事にはなった。
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