第二十七,五話 罪花
貧富の差、その言葉はどこに行っても耳にする。
例えば日本やアメリカ、先進各国でも同様に耳にする言葉だ。
だが、本当の意味で実情を知る者は少ない。
少なくとも日本人には想像もできないだろう。
その国に生れ落ちその地しか知らず、なのに自らを証明するものが何もなく、国にありて国人ではない、そんな者達。
想像もできまい、恵まれた者達には。
だが、俺が生まれた場所ではそう珍しい事でも無かった。
いや、寧ろそれが普通だった。
それが悪い事ばかりかと言われればそうでもなく、犯罪を犯す時には好都合な場合もある。
誰でもないからこそ、誰にでもなれるのだから。
俺の名は
戸籍でそうなっているのだから、これは紛れもなく俺の名で、俺の持ち物だ。
至る過程などどうでもよい、例えそれが金で買ったものだとしても、他人になんの関係がある?
いや、実際の所を言えば、国にとっては不都合な部分も多かった様だ。
何故なら、俺は英雄だから。
調べられて不味い箇所は丁寧に修正のち補完し、俺を紛れもない中国人にしてくれた。
自分の才能に感謝と言った所か。
なのに何故だ、時々無性にイライラする。
自分が本当は誰かなどどうでもいい事だというのに、そのような感傷がまだ残っていたのかとうんざりだ。
▼
俺は人を殺したことがある。
盗みを働く際に顔を見られたから、金が欲しいからやった、ただそれだけの事。
その場にとどまっていれば不味いと、必死で逃げたのも今では良い思い出だ。
…冗談だ、良い思い出である訳が無い。
生きるためには何でもやった、生きるために必要でない事もやった。
語った通り盗みを働いた事もあるし、薬物の売買に加え、女を犯したこともある。
普通はそこからマフィアの下部組織などに属するのだろうが、性格上へりくだるのは死んでも御免だった。
因みに先ほど俺と言ったが、それは厳密にいえば今の俺じゃない。
だってそうだろう?
その俺は、この国に最初から存在すらしていなかったのだから。
今思えば、俺と言う存在は最初から浮いていた。
寒村に生まれ、物心ついた時には両親は行方知れず、正に泥を啜る生活を続け十になるかならないかで、生きるため都会に出てきて悪行三昧。
同じ生まれでも、殆どの奴らは自らの境遇を受け入れ諦める。
だが俺には受け入れられなかった。
まあ、女で見目も良ければ、金持ちの豚に飼われて悠々自適な未来もあるらしいが、残念ながら俺は男。
あの頃はとにかく金が欲しかった、何にも縛られず好きに生きたかった、女も欲しかった、名声は…どうでも良かったな。
その中で一番容易だったのは金、得るのはそんなに難しい事じゃない。
子供でも手段さえ選ばなければどうにでもなるものだ。
因みに、人を殺したことがあるとは言ったが、何も一人とは言っていない。
俺と同じ事をしようとするなら気を付けるべき点を挙げておく、先ず都会で気を付けなければならないのは、何と言っても監視装置の類だ。
戸籍上存在していなくても、姿が捉えられれば流石に逃げるのは難しくなる、今は至る所にあるから特に注意しなければならない。
同じ場所に居続けるのも問題だ。
特に殺しなんて大それたことをした時は、直ぐに場所を変えた方が良いだろう。
心配する必要はない、金なんてものは手段さえ選ばなければ、どこでだってどうにでもなる。
戸籍を売る業者も存在するからな、いよいよ不味くなったら利用するのも手だ。
奴等は複数の国籍を扱っている、アメリカ人は勿論、日本人とかもあるぞ。
だがその場合一番のハードルは言語だ、その点から考え最良を選ぶべきだろうな。
俺にとって幸運だったのは、業者から買った戸籍が自らの在り方にぴったりな生い立ちだったことか。
天涯孤独で同年代、幼い頃に身内を全て亡くし、両親が残した僅かな貯えを切り崩し細々と生きてきた。
そして貯えが底を尽きアパートも追い出された所で、戸籍を売りに出したのだろう。
恐らくネットの繋がりで、そういう業者の事を知ったのではなかろうか。
その後はどうなっているか知らないが、告発でもしようものなら国が黙ってはいまい。
オリンピックボクシング競技、二大会連続の金メダリスト、今の俺はまさにこの国の英雄なのだから。
とは言え、一時期その男の事を調べてみた時期があった。
しかし件の男は人づきあいも無かった為、誰も覚えていないらしい、正に俺の為に生まれてきたような人間。
それが
▼
ボクシングを始めたきっかけはただ一つ、簡単そうに見えたから。
オリンピックが自国で開催されたおり、俺も多少は興味が湧いたのでいくつかの競技を眺め見た。
その中で一番容易そうに見えたのがボクシング。
こんなままごとみたいな事で金になるのか、ならやってみようとそう思った。
ジムに入会し数か月も経つと、専属トレーナーなる者が付けられ、うっとおしいと思いながら言う事を聞く毎日。
強化選手なるものにも選ばれ、日々の生活も国が面倒を見てくれる。
練習は確かに疲れるが、監視装置の場所を覚え、常に神経を張り詰め路地裏を徘徊していた頃に比べれば随分ましだ。
何より、こんな安全で楽な商売はない。
まあそれと言うのも、自分で言うのは何だが、他とは一線を画した才能があった故だ。
一つ訂正しておくが、俺は好きで荒んだ生活をしていた訳では無い。
最初の出足から躓いていたのだ、仕方ないだろう?
己を証明するものが無ければ何もできないじゃないか。
それこそくそ安い賃金で、奴隷のようにこき使われる仕事しか存在しない。
日本人なら国に申し出れば良いとかいうんだろうな、如何にも平和な世界しか知らない者達の発想だ。
この国の指導者が、たかが浮浪者じみたガキ一匹の言葉を聞くと思うか?
聞く訳が無いだろうが…。
下手に騒ぎ立てれば、国の恥部を晒すなと消されて終わりだ。
だがもう関係のない話、今の俺は持ちうる者。
汚らしく町を徘徊する奴等とは、住む世界が違うんだよ。
だが何故だ?
初めて金メダルを取った時からだ、周りがちやほやすればするほど、胸の中で燻る何かは大きくなっていく。
そして二度目の金メダルを取った時、その声はより大きく頭の中で響くようになった。
ああ…壊したい。
ああ…壊されたい。
そんな矛盾した感情を抱える様になっていたのだ。
その感情は留まる事を知らず、まるで種の様に俺の中で芽を出す時を待ち続けているかの様。
種……どんな花が咲くだろうか。
罪の花、きっと赤く赤く染まった美しい花だ。
楽しみだなぁ。
何時咲くのだろう?
きっともうすぐだ…誰かが咲かせてくれる。
そんな気がするんだ。
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